同時代(20世紀半ば)のインドに、ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジと呼ばれた二人の聖者がいたが、マハルシは「引きこもり聖者」と言えるかもしれないし、マハラジは事実上、「反復転職聖者」だった。

マハルシは17歳で解脱、つまり、悟りを開いた。それまでは平凡な高校生で、スポーツは万能だったが、学校の勉強の方は熱心でなかったようだ。ある日、突然に偉大な聖者となったマハルシは、家を出て、遠いアルナチャラという場所に行き、数年の沈黙の行の後、人々を教えたが、言葉で語ることは滅多になく、いつも沈黙を持って導いた。よって、マハルシは沈黙の聖者とも言われる。彼は、生涯、アルナチャラを離れなかった。つまり、マハルシは社会に出たことは一度もなく、結婚もしなかった。
一方、ニサルガダッタ・マハラジは、貧しい農家に生まれ、学校教育はほとんど受けず、農夫になったが、ひどく貧しかった。やがて町に出て、事務員の仕事などをしたが、どれも長続きしなかったようだ。だが、小売業を始めてからは熱心に商売に励んだ。儲かりはしなかったらしいが。33歳位の時、師に、「あなたは至高の実在である」と言われ、その言葉を忘れなかっただけで、特に瞑想などの修行をすることもなかったが、37歳で悟りを開いた。だが、小売業の店主のまま一生を過ごした。結婚し、子供もいた。

マハルシは世間知らずのはずだが、雑誌などは取り寄せて見ていた。インドの有名な聖者パラマハンサ・ヨガナンダが訪ねてきた時は、ヨガナンダに、「あなたのことは知っている」と言ったが、雑誌で見ていたのだった。マハルシ自身は聖典を所有していなかったが、持っている人のところに行って、見せてもらい、その内容を適切に引用することもあった。だが、やはり、会話をすることは稀だった。
一方、マハラジはよく語った。彼は無学なはずであったが、科学技術のことも含め、何でもよく知っていた。新聞も毎日読んでいたようだ。そして、一応はヒンズー教の教団に属していたようである。

私は、聖者とはいっても、ある時期までは社会で鍛えられる必要はあると思っている。だが、ラマナ・マハルシはそうではなかった。彼は、世界に対してできる最大の奉仕、貢献は、真我の実現であると言うが、それは、解脱(悟りを開くこと)ということであろう。
そのために、マハルシは2つの道を示した。1つは、神に自分を全て明け渡すこと。これは、日本の黒住宗忠の言う、神に全て任せるということと同じと思うが、マハルシも、「神に全て任せて安心しなさい」と教えた。
もう1つの道が、世界ではよく知られているものだ。それは、常に、「私は誰か?」と自分に問う方法だ。
方や、マハラジは、相手によって、いろいろな教えを説いた。だが、彼の最も特徴的な教えは、「存在の感覚に常にしがみついていなさい」だ。これは、いきなり言われても、なかなかピンとこないかもしれない。マハラジは、「あなたが確信できることは、自分が存在するということだけだ」と言い、それに徹せよと教えたのである。「我思う、ゆえに我あり」で知られるデカルトも、この世で確実なことは、「考えている(疑っている)我」の存在だけと言ったが、考えていようがいまいが存在しているというのが事実だ。デカルトの場合は、あくまで理性を導くことを主体としていたので、そういう言い方になったのだと思う。彼もまた偉大な賢者であると思う。

「私は誰か?」と問い続けることは、退屈だし、忍耐がいる。
だが、スコットランド出身の神学者マード・マクドナルド・ベインの身体を借り、イエスもこう言ったのだ。

『自分は一体何なのか?』
この質問を十分に納得がいくまで自分自身に課するがよい。
※『心身の神癒-主、再び語り給う-』(霞ヶ関書房)より

一方、マハラジが言った、「存在の感覚にしがみつく」だが、マハラジは、座して、存在の感覚にひたり、何時間も喜びに満ちて過ごしたと言う。
私もやってみたが、少し慣れると、確かに楽しく、その後で歩くと、身体をひどく軽く感じるのに驚いたことがある。心が荒れた時も、存在の感覚に集中すると、すぐに嫌なことを忘れることができる。最初は、身体の存在の感覚で良いし、それから、心の存在の感覚と広げれば良いのだと思う。終局的には、心も消え、宇宙全体に遍満する魂の存在に達するのだろう。









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