日本人の体格・体形も欧米人並になってきた・・・なんて言われるようになってから何十年も経つのではないかと思う。しかし、街で人々を見る限り、それが若者であっても、「まだまだ」という印象だし、ひょっとしたら、今の若者は、一昔前の若者よりスタイルが悪いと感じられてならない。運動不足のせいで、身体に締りがない上、動作や姿勢が悪いというより美しくない。
また、欧米にいる知り合いから、「こっちの14歳は日本の14歳とぜんぜん違う。女の子なんかものすごく色っぽい。男の子も男っぽい」といったことを聞くことがあるが、これは、肉体的な理由ではなく、精神的な問題と思う。つまり、自立性という面だ。日本では14歳は全くの子供だが、それはおかしなことであるはずだ。日本だって、昔の13歳、14歳の少女は、とても女らしく、大人っぽかったに違いない。そして、単にセクシーさの問題ではなく、人間としての力が今の若者はなくなっているのであり、世界学力コンテストみたいなものは、本当にどうでも良いことと思う。試験の成績や受験にうつつを抜かすような教育は、悪いというより、子供から力や、力の芽を奪い取っていることは間違いないと思う。

手塚治虫さんは、元々は欧米人にコンプレックスを持っていたらしいが、初めてニューヨークに行った時に、それが全部吹っ飛んだと言う。
みんな自分より背が低いし、彼らにとっては母国語のはずの英語もデタラメなのだ。
ただ、教育という面では感心したという。子供達は礼儀正しいし、夜8時を過ぎたらテレビを消し、勉強を始めるのだそうである。これは、親が強要してできることではなく、ちゃんと手本を示しているのであろう。
手塚治虫さんは、日本人としては良い体格だったらしいが、昔の日本人の典型的な体格体形の男性が、長身イケメン揃いのデンマークに行ったところ、別になにか特別なところがある訳でもないのに、女の子達にモテまくり、ディスコでは、彼と踊るための女の子達の列ができたという。だが、日本に帰ったら、また、女の子達に全く顧みられない日々に戻ったという。

つまり、外見の問題ではないのだ。心の問題なのである。
以前も書いたが、私が知っている、最もモテる男は、身長157cmだった。別にイケメンでもない。人間的にも、良いところはあるのだが、時々、殴ってやろうと思わずにいられない、いい加減なやつだった。しかし、彼なら、後10cm低くても問題はなかっただろう。
『荘子』に登場する、中国一モテる男となると、部類の醜男だが、これが女だけでなく、男にも、変な意味でなく、大変に慕われる。醜男でも何か特別なところがあるのかというと、全てにおいて取り得が無いのである。エマーソンは、想像と空想ははっきり異なると言ったが、荘子が書くくらいであるから、この醜男の話も、単に面白い空想ではなく、理のあることなのである。
日本人としても背の低い岡本太郎も、パリにいた頃は、次から次と、世界中の美女、美少女と同棲し、中には有名なモデルもいたらしい。ある雑誌の表紙になっていた人気モデルのことについてインタビューされた時の、「ああ、確かに以前、一緒に住んでいたなあ。名前はえーと、えーと・・・」という返事を、そのまま掲載されてしまったことがあったようだ。

「獣の分際で何を言うか!」
「ジルコニア様、大切なのは形ではなく・・・心です」
~セーラームーンミュージカルより。タイガースアイのセリフ~

身長、顔形、成績、金メダルやトロフィーなどといった形は、全く下らないものとは言わないが、あくまで2次的なもので、どうでもいいものである。
ゲーテは、人格が第一と言ったが、いきなり人格者や賢者にはなれない。しかし、心を明るいところ、高いところ、輝くところに向けることが大切である。
黒住宗忠も、病で死を覚悟した時、その病の原因が、心の暗さであることに気付き、心を明るい方向に向けることで奇跡的な回復を見せ、以降、生涯に渡って偉丈夫であったばかりか、人の病気までイエスのように治せるようになってしまった。
形ばかりを求める学校や世間の教義や信念など捨ててしまうことだ。心は自分で養うしかないのである。









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