1年という期間を1つの節目と考えることは良いことだと思う。
地球は1年で太陽の周りを1回りする。木が1年で年輪を1つ加えるように、植物は特にそうだが、虫や魚や鳥、その他の多くの動物も、1年をサイクルとして生きているのである。人間だってそうではないかと感じる。何をやるにしても、たゆまず努力すれば、しっかりとした進歩が感じられる最低の期間が1年ではないかと思う。

私の子供の頃からの夢の1つが、年の暮れを心安らかに過ごすことだった。大晦日という季節も、昨今の商業主義の世間の風習はいただけないながら、1年の締めくくりとして悪い時期ではないと思う。
だが、その夢はいまだ叶わないし、それを夢見たということは、年の暮れに、特に心が苦しかったのだろう。

江戸末期の神道家、黒住宗忠に、彼の弟子の1人が、「神に全て任せれば、年の暮れは安らかだ」という意味の歌を示したところ、宗忠は、「神に全てを任せれば、毎日の暮れが安らかである」という意味の歌に書き直したという。
年の暮れが心安らかでないなら、常日頃が心安らかでないのであり、それは、常日頃、神に任せ切ることができず、我の力でものごとを為そうとしているということだろう。

地球は1年で太陽を回る。だが、我々の身体もまた惑星なのである。そして、我々の太陽は魂だ。肉体は魂の周囲を回転している。太陽が惑星に、惜しみなく、恐ろしいまでに与えながら請求書を寄こさないように、魂も、肉体や、それと同一のものである心に光を与えているのである。我々の心が魂と一致するなら、我々も太陽になるのであるに違いない。人々の光として輝き、安らぎを与える太陽であることが、人の真の安らぎなのだろう。









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