芸術家だろうが、スポーツ選手だろうが、技術者だろうが、科学者だろうが、セールスマンだろうが、懸命に励んでいてある時期が来ると、にっちもさっちもいかなくなる状態になる。それは、大抵は、ある程度うまくいっていて、自信がついたような頃に不意に訪れる。
ビル・ゲイツが、どんな文脈で言ったのかは憶えていないが、自分は何でもできると思っているコンピュータ・プログラマが、必ずそうなるということを言っていたが、彼自身がそうだったのだろうし、まだマイクロソフト社が小さかった頃に、若いプログラマ達のそんな様子を見たのだろう。
それは、神秘についても同じらしい。ラマナ・マハルシが、やはり、若い修行者が、心身や周囲の世界を支配し、神秘力をも獲得して自信を持った時に、修行の本筋から外れてしまうのだと言っていたようだ。
では、これらの、膠着状態に陥り、多くは自信を失い、身動きできない求道者は、どうやれば輝きを取り戻し、自由に活動できるようになるのかというと、真の目標に立ち返ることである。
芸術家であれば、真のエクスタシ(忘我)を求めていたはずだし、スポーツ選手なら肉体と精神の一致の神秘を求めていたはずだ。技術者であれば、大自然の法則を目に見える形にしたかったのだろうし、科学者であれば内なる英知の声を聞きたかったのだ。セールスマンは、自他の区別が消失する神秘を求めているのだ。
そして、人間は、いかなることをしていても、真の目標は1つで、どれも同じなのである。

本来は、信仰というものは、人間の真の目標を最も純粋に目指すものであったはずだが、宗教を作って宗派同士、果ては、同じ宗派内での利権争いばかりにうつつをぬかし、現在においては、人間のあらゆる活動の中で、最も道から遠いものになっているのである。
また、信仰の下僕として始まった芸術もそうであったのだが、芸術もまた権威主義や、日本では、流派といった閉鎖的な家門主義がはびこり、道どころではない醜いものに堕落している。
だが、幸い、信仰も芸術も、自然を師とすれば、1人で道を探求することができるのであり、真に志があれば、牢獄のような流派宗派に背を向け、顔を上げて高いところを目指すことができるのである。
それは、信仰や芸術だけではない。イツァク・ベントフという哲学者は、学歴は幼稚園中退であるが、自然を深く観察することで、卓越した医療エンジニアになったし、三鷹光器の中村義一さんは学歴は小学校中退であるが、やはり自然に学び、NASAの宇宙船に搭載されるカメラや大手メーカーを上回る医療光学機器を開発したという。
およそ、優れた発明というものは自然の模倣なのであり、あらゆる技術改革はそうやって生まれたのだ。コンピュータソフトウェアも例外ではなく、自然から外れた、人間の思考だけで生み出したものは決して長続きしていない。

我々は、何をするにしてももっと自然に接しないといけない。そして、最初に述べたような、にっちもさっちもいかなくなったら、大自然の中に身を置くことだ。すると、問題は嘘のように解決するのである。









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