「クリスマス商戦」なんて言葉を当たり前に感じるようになってはいけないと思う。
イエス様の本当の誕生日は実は不明だという説もあるが、それでも、いやしくもイエス様の誕生日と世界中で信じられている日だ。
商売自体は立派なことだが、利用して良いものと悪いものがある。
イエス様も、神殿で商売をしている人を、怒って追い出されたのではなかったか?
谷川流さんの小説『涼宮ハルヒの憂鬱』は、「サンタクロースをいつまで信じていたかはなんてことは、たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが」という、主人公で、キョンというあだ名の、高校に入学したばかりの男子の言葉から始まる。
そして、キョンは、「最初から信じてなどいなかった」と断言する。
その根拠として、「幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタは偽サンタだと理解していた」と言う。
ちょっと待て、キョンと言いたいね。
君は、幼稚園のクリスマスイベントの偽サンタを見るまでは、少なくとも半信半疑だったのだよ。
世間体だけを考えた、通り一遍の、ものを考えない大人によって行われたクリスマスイベントで、君は夢を壊されたのだよ。
サンタをどうでもいいことにしてしまったのは、「クリスマス商戦」なんてことを、度の過ぎた破廉恥さでやってしまう世間ではないのかね?
「最初から信じてなどいなかった」なんて言うんじゃない。
君の可愛い妹は(君から見れば面倒でもあるのだろうが)、小学6年生にもなってサンタを信じているじゃないか?もちろん、彼女だって、サンタを卒業した部分は持っているだろうけどね。だが、彼女が夢を持ち続けているのは、君のおかげでもあるのだよ。君は、無意識にかもしれないが、彼女の心が乾くのを防いでいたのだ。それは、兄として賞賛に値するよ。
・・・以上、分かる方は、佐々木(キョンの中学時代のクラスメイトの女子)の声で(といっても、まだ聞いた人はいないだろうが)読んでみて欲しい。
私は、9月に、宝塚市の手塚治虫記念館で、佐々木の絵(いとうのいぢ画)を見て、そんなことを考えたものだ。
ハルヒは、キョンのような兄がいなかったから、夢を壊されてしまって、心が荒れたというところもあったのだろう。だから、今になってキョンを求め、キョンが彼女の精神安定剤になっているのだろうね。
『涼宮ハルヒ』シリーズでは、妙に名前が無い登場人物が多い。主人公のキョンからして、キョンというあだ名しかない。
キョンの妹に至っては、「キョンの妹」という言い方しかないのだ。
そもそも、涼宮ハルヒだって、神様に仮に付けた名前だろう。なんと言っても、「宮」と「張る霊(はるひ)」だ。
しかし、それで良いのだろう。
人類がもし、遠い未来に素晴らしい進化をとげれば、人々に名前なんてなくなるかもしれない。
「ここにその名を刻んで、永遠に栄誉を讃え」なんて、馬鹿なことも言われなくなる。
どんな偉業だろうと、それをやったのは誰かなんて、サンタをいつまで信じていたかなんてことよりどうでもいいことだ。
誰がやったって訳じゃないのだ。
ソクラテスに言わせれば、『涼宮ハルヒ』シリーズは、谷川流さんが書いたものじゃない。もし、谷川さんがそれに気付いていないなら、ソクラテスはいまだがっかりする訳だ。しかし、谷川さんって人は、それに気付いている人じゃないかな。
・・・と、やはり、我が愛する佐々木さんの口調になってしまう。
北口駅も、ハルヒ達が集合場所にしていた公園の時計台や石段も無くなってしまった。
やれやれだ(佐々木から受け継がれたキョンの口癖)。

下に、佐々木さんの絵が表紙の本をご紹介する。手塚治虫記念館で額入りで飾られていたのもこの絵だった。
ところで、スコットランド出身の哲学者で、チベットで大師(解脱した聖者)方の教えを受けたM.マクドナルド.ベインがイエスと一体化して語ったことを正確に記述した『心身の神癒』がAmazonで大量に在庫されている。驚くべき内容だ。よければ是非読んで欲しい。
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イエス様の本当の誕生日は実は不明だという説もあるが、それでも、いやしくもイエス様の誕生日と世界中で信じられている日だ。
商売自体は立派なことだが、利用して良いものと悪いものがある。
イエス様も、神殿で商売をしている人を、怒って追い出されたのではなかったか?
谷川流さんの小説『涼宮ハルヒの憂鬱』は、「サンタクロースをいつまで信じていたかはなんてことは、たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが」という、主人公で、キョンというあだ名の、高校に入学したばかりの男子の言葉から始まる。
そして、キョンは、「最初から信じてなどいなかった」と断言する。
その根拠として、「幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタは偽サンタだと理解していた」と言う。
ちょっと待て、キョンと言いたいね。
君は、幼稚園のクリスマスイベントの偽サンタを見るまでは、少なくとも半信半疑だったのだよ。
世間体だけを考えた、通り一遍の、ものを考えない大人によって行われたクリスマスイベントで、君は夢を壊されたのだよ。
サンタをどうでもいいことにしてしまったのは、「クリスマス商戦」なんてことを、度の過ぎた破廉恥さでやってしまう世間ではないのかね?
「最初から信じてなどいなかった」なんて言うんじゃない。
君の可愛い妹は(君から見れば面倒でもあるのだろうが)、小学6年生にもなってサンタを信じているじゃないか?もちろん、彼女だって、サンタを卒業した部分は持っているだろうけどね。だが、彼女が夢を持ち続けているのは、君のおかげでもあるのだよ。君は、無意識にかもしれないが、彼女の心が乾くのを防いでいたのだ。それは、兄として賞賛に値するよ。
・・・以上、分かる方は、佐々木(キョンの中学時代のクラスメイトの女子)の声で(といっても、まだ聞いた人はいないだろうが)読んでみて欲しい。
私は、9月に、宝塚市の手塚治虫記念館で、佐々木の絵(いとうのいぢ画)を見て、そんなことを考えたものだ。
ハルヒは、キョンのような兄がいなかったから、夢を壊されてしまって、心が荒れたというところもあったのだろう。だから、今になってキョンを求め、キョンが彼女の精神安定剤になっているのだろうね。
『涼宮ハルヒ』シリーズでは、妙に名前が無い登場人物が多い。主人公のキョンからして、キョンというあだ名しかない。
キョンの妹に至っては、「キョンの妹」という言い方しかないのだ。
そもそも、涼宮ハルヒだって、神様に仮に付けた名前だろう。なんと言っても、「宮」と「張る霊(はるひ)」だ。
しかし、それで良いのだろう。
人類がもし、遠い未来に素晴らしい進化をとげれば、人々に名前なんてなくなるかもしれない。
「ここにその名を刻んで、永遠に栄誉を讃え」なんて、馬鹿なことも言われなくなる。
どんな偉業だろうと、それをやったのは誰かなんて、サンタをいつまで信じていたかなんてことよりどうでもいいことだ。
誰がやったって訳じゃないのだ。
ソクラテスに言わせれば、『涼宮ハルヒ』シリーズは、谷川流さんが書いたものじゃない。もし、谷川さんがそれに気付いていないなら、ソクラテスはいまだがっかりする訳だ。しかし、谷川さんって人は、それに気付いている人じゃないかな。
・・・と、やはり、我が愛する佐々木さんの口調になってしまう。
北口駅も、ハルヒ達が集合場所にしていた公園の時計台や石段も無くなってしまった。
やれやれだ(佐々木から受け継がれたキョンの口癖)。

下に、佐々木さんの絵が表紙の本をご紹介する。手塚治虫記念館で額入りで飾られていたのもこの絵だった。
ところで、スコットランド出身の哲学者で、チベットで大師(解脱した聖者)方の教えを受けたM.マクドナルド.ベインがイエスと一体化して語ったことを正確に記述した『心身の神癒』がAmazonで大量に在庫されている。驚くべき内容だ。よければ是非読んで欲しい。
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おやを励まし諭すために敢えてサンタさんを信じてくれたようです。