最近、タブレット端末を子供の教育に使うことを、肯定的に語るものをよく見る。
だが、実際に自分でタブレット端末を使って学習し、本当に良いと理解した上で推奨している人など、見たことがない。
子供達自身が、タブレット端末を使った勉強を楽しく語るような映像もあるだろうし、今度は増えるに違いない。しかし、それは単に、作為的に作られた宣伝である。

もしかしたら、タブレット端末を使った学習や読書は、子供に限らないが、特に子供達の脳や神経、そして、それと不可分である精神に深刻な影響を与えるかもしれないのだ。

タブレット端末を使うことが効率的な場面というのは確かにある。
既に、銀行や郵便局、あるいは、駅やコンビニの現金自動預け払い機(ATM)は数多く導入され、便利に使われている。
飲食店でも、タブレット端末で注文を出せるようなところもあるらしい。
こういった、単純な操作を行うことには向いている。

教育においては、もし役に立つとすれば、教育そのものではなく、やはり、事務的な部分だ。例えば、講座の予約や、教材の注文などといったことだ。それだったら、ずっと以前から行われており、有益なものである。
だが、教育自体に導入することは、話が全く違う。

教育とは、本質的に効率の良いものではなく、便利になれば良いというものではない。
本当の勉強とは不便なものだ。
例えば、重要な疑問が起こった場合、それが重要であるほど、答に行き着くには、さんざ不便な思いをしなくてはならない。
簡単に答が得られるような疑問であれば、大して重要ではない。そりゃ、簡単なことであれば、場合によっては、コンピュータを使うのも良い。しかし、それも気を付ける必要がある。例えば、ベラドンナという花がどんな花かは、コンピュータを使って調べても良いかもしれない。しかし、それで、その花の形や色が分かり、いくらかの情報が得られたことで、ベラドンナについて分かったと思うべきでない。コンピュータの教えるベラドンナは、本物の1/1000でもないのだ。
格闘ゲームをやっても格闘技は分からないばかりか、むしろ、誤解と偏見を持つことが多いだろう。それと同じことである。

今の生徒や学生は、どんなことでも、誰かに聞けば答が得られると思っている。
極端な話だが、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題の答を、平気で人に聞くし、自分に納得できるよう説明してくれなければ不満に思い、相手を責めたりするのだ。
このブログへのコメントでも、「全然分かりませんでした」「面白くありませんでした」といった、単純な不満を書き込んでくる人がよくいる。誰も、あなたに分からせる義務も、面白がらせる義務も無いということが分からないのだ。
これは、何でも誰かが教えてくれる、面白いものは外から与えられると思い込まされてしまった者の悲劇的な姿なのである。
コンピュータを使って、一通りの解答を示すことは出来るかもしれない。
しかし、そうやっているうちに、何でも答は1つだと思うようになるのだ。
また、コンピュータ相手に、「この答はおかしい」と反論し難いのが普通だ。およそ、思想統制なんてのは、反論を封じて行うものじゃないのかね?

タブレット端末は、従来のキーボードやマウスより操作性が良いので、もっと教育にITをという趣旨であろうが、IT教育自体に恐ろしい欠陥があるのだ。
タブレットの操作自体にも、致命的な悪影響があるが、ここでは、読書という行為のみについて少し語ろう。
私は、しばらく、iPod touchでずっと読書してみた。
すると、明らかに、理解力は著しく低下し、紙の本の読書では感じる、文面とは異なる何かが精神の中に浸透したり、逆に、発想が起こるといったことがなく、読書の楽しさを感じられず、苦痛なだけであった。そして、ついにやめてしまった。興味深いはずの文章を用意したに関わらずだ。タブレット端末で読書する度、しばらくはものを考えることが全くできないほどなのだ。恐ろしい体験だったと思う。
操作自体には文句はない。本を注文するといった操作であれば、実に良いと感じるだろう。
しかし、勉強や読書に使ってはならないと強く感じた。

おそらく、タブレット端末、あるいは、ITを使った教育に批判的な研究者も、実際は非常に大いに違いない。しかし、そんな人たちの意見は、決して、決して、メディアに取り上げられない。特に日本ではそうだろう。
だが、理解できる者は、子供達のために、あるいは、人類のために、黙っていてはならないのである。









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