プロレスは八百長だろうかと尋ねられたら、「八百長じゃないけど暗黙のルールはある」程度が答になると思う。
ところが、こんな回答に納得できない人がよくいる。日本人の大半はそうで、結果、世間的には、「プロレスは八百長」という見解が一般化している。
「八百長じゃないけど、暗黙のルールはある」というのにどうしても納得したくない人は、あまり楽しい人生を送っていないと思う。その理由は、これから述べる。
世間の常識人は、「暗黙のルール」と言われたら、それを、悪いもの、怪しげなもの、美しくないものと、どうしても思ってしまうのだ。
だが、暗黙のルールは、明確なルールよりはるかに美しく、高度で、尊いものなのだ。
プロレスというのは武道でも決闘でもない。
もし、プロレスラ-が、武道家の果し合いのように、毎試合、完全に本気の真剣勝負をやったら、選手達は、試合ごとに命がけだし、見ている方も、全く面白くないものになるのは間違いない。
誰もプロレスラーになろうとはしないし、見ようともしないだろう。
武道家の本当の決闘なんて、見ても面白いものでもなんでもない。一度見たら、二度と見たいと思わないだろう。
プロレスというのは、武道や決闘を見せようとしているのではなく、野球やサッカーのように、高度な身体能力や技術で、観客や視聴者を楽しませるためのものだ。だが、プロレスは格闘技である限り、危険なもので、どうしても、普通のスポーツとは違った力加減が必要なのだろう。しかし、だからといって、演技の試合を見せたら、迫力は生まれないだろう。スポーツである限り、実力主義であるのは当然だし、そうでなければ、栄えるはずがない。その中で、優れた暗黙のルールが生まれたのだ。
暗黙のルールはとても重要なものだ。だから、団体にしろ、個人にしろ、暗黙のルールを勝手に捻じ曲げる者がいると、プロレスの質が落ち、崩壊の危機に陥るのである。
暗黙のルールが美しいほど、栄え、発展するのだ。
今は、アメリカのプロレスは廃れてしまっているらしい。暗黙のルールが美しくないからだ。
明確なルールは、デジタルであり、左脳的で、白か黒で決定できる世界だ。
暗黙のルールは、アナログであり、右脳的で、白か黒を決定できない世界だ。これは、グレイという意味ではない。グレイというのは、白と黒の割合で作られる色で、やはりデジタルの世界だ。白であると同時に黒でもある。あるいは、どちらでもないというのが、本当に右脳の力が発揮される世界だ。だが、こんなことを受け入れられない人が多いのだ。そんな人を、制限された思考の持ち主とか、唯物論者と言うのだ。
「私とあの子のどっちが好きなの?」
「両方かな」
「そんなの駄目だわ。じゃ、どっちがより好きなの?」
「なんとも言えない。僕には分からない。でも、君のことは多分好きだと思う」
こんな会話になったら、女性の方は怒るだろう。
そんな女の子のような視点でプロレスを見たら、きっと面白くないし、そういった人が、プロレスは八百長だと糾弾するのだ。
ところが、実際は、女は、こんな男と手が切れないのだ。
「もちろん、君の方が好きさ。そんなこと、言わなくても分かってるだろう?僕の目をご覧!これが嘘を言ってる男の目かい?」
嘘と分かっていても、女は、こんな男に弱い。いわゆる、本物の伊達男である。
一方、
「君だけが好きさ。あの子のことなんかなんとも思ってない」
なんてことを言う男はモテない。
嘘のつき方が、男女の間の暗黙のルールなのである。
歌にもあったと思う。「ずっと騙して欲しかった」ってね。
人生の幸福は、人生の暗黙のルールの習得如何だ。
金持ちには、金持ちの暗黙のルールがある。それを知らなければ金持ちにはなれない。
引き寄せの法則だ、潜在意識の法則だと言ったところで、こういったことが分からない者は、箸にも棒にもかからない。
そして、プロレスは、実に素晴らしい教材でもある。もっと発展すべきだ。
カミュの『異邦人』も、こういったことが学べると思う。
「結婚してくれる?」
「いいよ」
「私のこと、愛してる?」
「いいや」
彼女は、どんなことになっても、彼から離れることはなかったのだ。
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ところが、こんな回答に納得できない人がよくいる。日本人の大半はそうで、結果、世間的には、「プロレスは八百長」という見解が一般化している。
「八百長じゃないけど、暗黙のルールはある」というのにどうしても納得したくない人は、あまり楽しい人生を送っていないと思う。その理由は、これから述べる。
世間の常識人は、「暗黙のルール」と言われたら、それを、悪いもの、怪しげなもの、美しくないものと、どうしても思ってしまうのだ。
だが、暗黙のルールは、明確なルールよりはるかに美しく、高度で、尊いものなのだ。
プロレスというのは武道でも決闘でもない。
もし、プロレスラ-が、武道家の果し合いのように、毎試合、完全に本気の真剣勝負をやったら、選手達は、試合ごとに命がけだし、見ている方も、全く面白くないものになるのは間違いない。
誰もプロレスラーになろうとはしないし、見ようともしないだろう。
武道家の本当の決闘なんて、見ても面白いものでもなんでもない。一度見たら、二度と見たいと思わないだろう。
プロレスというのは、武道や決闘を見せようとしているのではなく、野球やサッカーのように、高度な身体能力や技術で、観客や視聴者を楽しませるためのものだ。だが、プロレスは格闘技である限り、危険なもので、どうしても、普通のスポーツとは違った力加減が必要なのだろう。しかし、だからといって、演技の試合を見せたら、迫力は生まれないだろう。スポーツである限り、実力主義であるのは当然だし、そうでなければ、栄えるはずがない。その中で、優れた暗黙のルールが生まれたのだ。
暗黙のルールはとても重要なものだ。だから、団体にしろ、個人にしろ、暗黙のルールを勝手に捻じ曲げる者がいると、プロレスの質が落ち、崩壊の危機に陥るのである。
暗黙のルールが美しいほど、栄え、発展するのだ。
今は、アメリカのプロレスは廃れてしまっているらしい。暗黙のルールが美しくないからだ。
明確なルールは、デジタルであり、左脳的で、白か黒で決定できる世界だ。
暗黙のルールは、アナログであり、右脳的で、白か黒を決定できない世界だ。これは、グレイという意味ではない。グレイというのは、白と黒の割合で作られる色で、やはりデジタルの世界だ。白であると同時に黒でもある。あるいは、どちらでもないというのが、本当に右脳の力が発揮される世界だ。だが、こんなことを受け入れられない人が多いのだ。そんな人を、制限された思考の持ち主とか、唯物論者と言うのだ。
「私とあの子のどっちが好きなの?」
「両方かな」
「そんなの駄目だわ。じゃ、どっちがより好きなの?」
「なんとも言えない。僕には分からない。でも、君のことは多分好きだと思う」
こんな会話になったら、女性の方は怒るだろう。
そんな女の子のような視点でプロレスを見たら、きっと面白くないし、そういった人が、プロレスは八百長だと糾弾するのだ。
ところが、実際は、女は、こんな男と手が切れないのだ。
「もちろん、君の方が好きさ。そんなこと、言わなくても分かってるだろう?僕の目をご覧!これが嘘を言ってる男の目かい?」
嘘と分かっていても、女は、こんな男に弱い。いわゆる、本物の伊達男である。
一方、
「君だけが好きさ。あの子のことなんかなんとも思ってない」
なんてことを言う男はモテない。
嘘のつき方が、男女の間の暗黙のルールなのである。
歌にもあったと思う。「ずっと騙して欲しかった」ってね。
人生の幸福は、人生の暗黙のルールの習得如何だ。
金持ちには、金持ちの暗黙のルールがある。それを知らなければ金持ちにはなれない。
引き寄せの法則だ、潜在意識の法則だと言ったところで、こういったことが分からない者は、箸にも棒にもかからない。
そして、プロレスは、実に素晴らしい教材でもある。もっと発展すべきだ。
カミュの『異邦人』も、こういったことが学べると思う。
「結婚してくれる?」
「いいよ」
「私のこと、愛してる?」
「いいや」
彼女は、どんなことになっても、彼から離れることはなかったのだ。
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