理想的な家庭なんて、そうあるものではないし、学校なんてものは、ほとんどがろくでもない場所だ。
しかし、世間全体がひどいところなのだから、そんな家庭や学校で、ある程度鍛えて準備していないと、社会でやっていけなくなるに違いない。
もし、本当に素晴らしい家庭や学校なんてものがあるとしたら、そんな場所で過ごしたら、とんでもなく不幸であろう。そんな高尚な家庭や学校しか知らなければ、上流の家庭や社会で一生、この世の大半のことを知らず、無知な人間のまま過ごすしかないが、そんな人生に価値はない。しかも、その地位が本当に一生保てるかどうかなんて、誰にも分かるはずがない。

だから、本来、家庭や学校のことなんて、過ぎてしまったら忘れてしまうことだ。確かに、憶えている価値はない。
ところが、放置する訳にもいかない、度を越えて劣悪な家庭や学校が増えてきてしまっているのである。その原因は、特定の家庭や学校を賞賛してきたからだ。見かけが豊かで幸福な家庭を、そして、学業やスポーツ、あるいは、芸術・文化などでの活動成果が素晴らしい学校を褒め讃え、それを上位に据えて目標にさせようとしたことが、極端に悲惨な家庭や学校を作ったのだ。そして、その幸せな家庭や羨むべき学校の中だって、実際は腐敗しているものなのだ。
家庭や学校なんてのは、よっぽどひどくなければそれでいいのである。丁度、雨傘というのもが、最高のデザインや色でなくても、雨がしのげればそれでいいようなものだ。

人間の目標なんてのは、豊かで快適な家庭を築くことでも、理想の学校、あるいは、企業を作ることでもない。地球全体で誰もが自由に暮らせるようにならなければならないのだ。
大きな事業を達成するのにだって、必要な学力は、ほとんどが、中学校までのものでも十分過ぎるのに、いまや、小学校で身に付ける必要のあることが分からない者が大多数となった。それで授業時間を増やせば、もっと悪いことになるのは明白だ。やるべきことは、授業時間も教育内容も1/3以下に減らし、上級生が下級生に教えるようにすることだ。文字が読めて計算が出来れば、後は各自で勝手にやれば良く、勝手にやれるようになるよう、子供の頃から、社会で働いている大人達と交流させることだ。









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