先日、テレビ放送されていた、アニメ映画『ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~』で、ルパンが長年の相棒、次元大介に珍しいことを尋ねていた。
「何のために泥棒をしている?」
次元は、割とあっさり、「美味い酒を飲むため」と答えた。
ルパンは、それを肯定しながら、それだけではないはずと、煮え切らない態度をとった。
昔の子供向けアニメでこんな場面があった。
1世紀ほど前のヨーロッパと思えばいいが、母親と8歳か9歳くらいの娘が、夕飯の買い物をしていた。貧しい庶民である。
母親が、夫の酒を買おうとすると、娘が嫌がった。酒を飲んだ父親が恐いからだ。きっと、母親に暴力をふるったりもしているのだろう。
だが、母親は、「男の人は、家の外で嫌なことが沢山あるのよ。お酒を飲まないではいられないの」と言って、娘を諭す。
なんともよく出来た妻である。だが、やはり賢い妻ではない。
浮世のうさを晴らすために酒を飲むと、不幸になる一方だ。酒は、なんの解決にもならない。
酒は快楽物質であり、麻薬的な常習性がある。快楽を求めて飲むと、どんどん量が増える。行き着く先は破滅である。
酒を飲むこと自体が良いかどうかはさておくが、飲むなら楽しく飲むべきである。そして、酒を楽しく飲むには、酒の快楽に優る楽しいことが必要だ。
いや、酒だけではなく、快楽に飲み込まれないためには、本当に楽しめることが必要なのだ。
官能作家の団鬼六さんは、性の喜び、楽しさを大いに説くが、性の快楽というものも、あくまで、人生の生きがいあってこそのものだ。性の喜びは生きがいにはならない。それしか無い人間が、いかに不気味に醜いかは想像がつくはずだ。
ルパンも、別に難しく考えることはなかったはずだ。人間は、生きがいが必要だってことだ。
それを次元は、「美味い酒をのむため」と、端的に言ったのだ。生きがいがあれば、楽しく酒を飲めるのだ。
道元が中国に行っていた時、故人の語録を読んでいると、高僧が、「何をしているのだ?」と道元に尋ねた。
「貴い人の言葉を読んでいます」
「何のために?」
「知恵を得るためです」
「知恵を得てどうする?」
「人々を救うのに役立てようと思います」
「それが何になる?」
そう言われて、道元は答に詰まった。
道元は、庶衆救済の志を述べたのに、「それが何になる」と言われても仕方がない。
これが、ルパンに浮かんだ、「何のために泥棒をするのか?」だろう。
答は、言うまでも無く、「生きがいだから」である。
生きがいでもないのに、キリストぶって人々を救おうとすれば、虚栄心か富の欲望に満ちた、愚かな宗教家になるだけである。
以前、細木数子さんはよく、「あんた死ぬわよ」と言ったものだが、いい年になって生きがいを持っていないと、本当に死にかねない。
ただ、生きがいとは、快楽でも自己満足でもない。それをやっていれば、死んで悔いなしというものである。
酒もセックスもゲームもスポーツ観戦も、自分の生きがいあってこそのものであることを忘れてはならない。
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「何のために泥棒をしている?」
次元は、割とあっさり、「美味い酒を飲むため」と答えた。
ルパンは、それを肯定しながら、それだけではないはずと、煮え切らない態度をとった。
昔の子供向けアニメでこんな場面があった。
1世紀ほど前のヨーロッパと思えばいいが、母親と8歳か9歳くらいの娘が、夕飯の買い物をしていた。貧しい庶民である。
母親が、夫の酒を買おうとすると、娘が嫌がった。酒を飲んだ父親が恐いからだ。きっと、母親に暴力をふるったりもしているのだろう。
だが、母親は、「男の人は、家の外で嫌なことが沢山あるのよ。お酒を飲まないではいられないの」と言って、娘を諭す。
なんともよく出来た妻である。だが、やはり賢い妻ではない。
浮世のうさを晴らすために酒を飲むと、不幸になる一方だ。酒は、なんの解決にもならない。
酒は快楽物質であり、麻薬的な常習性がある。快楽を求めて飲むと、どんどん量が増える。行き着く先は破滅である。
酒を飲むこと自体が良いかどうかはさておくが、飲むなら楽しく飲むべきである。そして、酒を楽しく飲むには、酒の快楽に優る楽しいことが必要だ。
いや、酒だけではなく、快楽に飲み込まれないためには、本当に楽しめることが必要なのだ。
官能作家の団鬼六さんは、性の喜び、楽しさを大いに説くが、性の快楽というものも、あくまで、人生の生きがいあってこそのものだ。性の喜びは生きがいにはならない。それしか無い人間が、いかに不気味に醜いかは想像がつくはずだ。
ルパンも、別に難しく考えることはなかったはずだ。人間は、生きがいが必要だってことだ。
それを次元は、「美味い酒をのむため」と、端的に言ったのだ。生きがいがあれば、楽しく酒を飲めるのだ。
道元が中国に行っていた時、故人の語録を読んでいると、高僧が、「何をしているのだ?」と道元に尋ねた。
「貴い人の言葉を読んでいます」
「何のために?」
「知恵を得るためです」
「知恵を得てどうする?」
「人々を救うのに役立てようと思います」
「それが何になる?」
そう言われて、道元は答に詰まった。
道元は、庶衆救済の志を述べたのに、「それが何になる」と言われても仕方がない。
これが、ルパンに浮かんだ、「何のために泥棒をするのか?」だろう。
答は、言うまでも無く、「生きがいだから」である。
生きがいでもないのに、キリストぶって人々を救おうとすれば、虚栄心か富の欲望に満ちた、愚かな宗教家になるだけである。
以前、細木数子さんはよく、「あんた死ぬわよ」と言ったものだが、いい年になって生きがいを持っていないと、本当に死にかねない。
ただ、生きがいとは、快楽でも自己満足でもない。それをやっていれば、死んで悔いなしというものである。
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