昔から、いわゆるエリート校に通う子供達が、我が国が軍隊を保有することを肯定するような発言をすると、「この子達が、将来、日本の指導者になったら、世の中はどうなるだろう?」と不安視するといった話がよくある。
私は、あまりに馬鹿らしくて苦笑するしかない。
たかだかペーパーテストの成績が良い者が、なぜ指導者にならないといけないのだろう?
そう考えるのは、試験の成績の良い者が指導的な立場なるという、ロクでもない理屈を信じさせられた国民が沢山いたということなのだろう。
むしろ、ペーパー試験の成績を良くするトレーニングを押し付けられて、本当に大切な能力を破壊されてしまった子供達を哀れみ、それを是正するよう働きかけるべきであろう。

国際学力コンクールのようなものがあり、我が国も力を入れているらしいが、上海や韓国、香港、シンガポール等に全く敵わず、将来、日本はこれらの国に支配されるような立場になると心配するようなことも聞く。
しかし、私には、本当に、そんな馬鹿な考え方をする者がいるとは、にわかには信じられないのだ。
以前、テレビで上海か香港の学校で、子供達が猛烈な詰め込み勉強を強制させられている様子が放送されているのを見た。まあ、ごく一部の状況をピックアップしただけかもしれないが、呆れたものだった。しかし、それらの学校では、試験成績だけでなく、身体や心も鍛え、洗練させる高度な教育をしていると主張されていたように思う。だが、どう見ても、極めて視野が狭く、レベルの低い粗悪な教育としか思えない。
なるほど、こんな教育をされた子供達が、偏見や情緒の歪みゆえに、国や世界を脅かすことをする大人に成長するかもしれないという不安なら、多少の同意をすることはやぶさかではないが、それよりも、私には、やはり、そういった教育をされる子供達が哀れだ。
人が内に秘めた、至高の英知に触れる機会を奪われ、それがいつか、言いようのない苦悩になり、道を求めてもがくが、何もできない苦しみを味わうのだ。なんという悲劇であろうか?
馬鹿者に教育された者は、自分に叩き込まれた馬鹿げた偏見や迷信を、おそらくは大きな苦しみと共に吐き出さない限り、本当に優れた者にはならない。
その苦しみは、俗世の教育の成果が大きければ大きいほど激しいものとならざるをえないだろう。

もちろん、学力エリートの中にだって、たまたま優秀な者がいない訳ではない。そういった者が、歪んだ教育の副作用から、社会に害をなしたこともあるだろう。だが、別に問題ない。そんな者達は、せいぜいが小悪人でしかない。
大悪人であれば尊いこともある。だが、大悪人になるには力が要る。保身のために、吊り下げられたちゃちなギフトを奪い合ってきた学力エリートにそんな力はない。
少なくとも、こう考えれば良い。エリートといったところで、釈迦やイエスの知恵と比べれば、せいぜいが猿知恵である。

今はたまたま学力試験が流行っているが、それが、例えばマージャンだと考えてみればいい。各国の教育界や、子供を持つ親達は、血眼になって、子供達のマージャン力を上げようとする。では、マージャンのトップクラスの実力を付けた子供が、偉大な指導者になると本当に考えるのか?
マージャンでイメージが悪ければ、将棋やチェスでも良い。
むしろ、学力試験より、将棋やチェスに優れた者の方が見込みがあるのではないだろうか?
ただし、将棋やチェスも、邪まな動機でやるなら、良い成果は無いものだ。

真の英知は、いたるところにあり、我々の心の深いところにもある。
ところが、世間の教義や信念を叩き込まれた者は、こんなごく自然なことも信じられない。
学力が崇拝される世になってから、尊い教えを理解できる人は少なくなってきた。
だが、表立ってはいないが、隠れて人々の進歩のために献身する方々は存在している。彼らは、「我こそがそれをしている」とは決して言わない。学校を作ってマスコミでPRすることもない。だが、求めれば誰でも助けてもらえるだろう。その助けは、普通の人が思うようなものではないかもしれない。だが、我々が、英知に対して本当に誠実であるなら、見捨てられることはない。









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