人の運命は、食で全てが決まると江戸時代の高名な観想家の水野南北が言ったが、それは、簡単に言えば、「食が多ければ不運で不幸、食が少なければ、幸運で幸福」である。
水野南北は、命がけで学び、実践で磨き上げた観想で、ほとんどの運命の鑑定に成功したが、どうしても百発百中の的中とならなかった。そのため、荒行を敢行したのだが、その際、豊宇気毘売(トヨウケビメ)から、「食が全て」との啓示を受け、以降、食の多少で鑑定したところ、万に1つの失敗もなくなり、やがては、観想すら行わなくなったともいう。

また、南北は、食の慎みと共に、美食を厳しく戒め、自らも、米を全く食べずに麦を食べ、極めて質素な食事をした。酒は大好きであったが、1日1合(約180mL)と定めた。

だが、高徳な僧の中には、肉食をしたり、酒を飲む者もいる。一休や親鸞などの偉大な僧にすら、そんな者があった。
これについても、南北は明快に、「あまりに高潔であっては、教えを説くべき庶民が近寄れないので、あえてそのようなことをするのである」と言った。

ところで、もう1つ、あまりに清浄でいるべきでない理由がある。
それは、食欲や性欲といったものを、あまりに滅してしまうと、聖人にはなれるかもしれないが、世俗で生きていけなくなる。世俗の生活には、現実的には力がいる。当時も今も、その力とは、金やモノである。あまりに汚れ無き存在となれば、現実に対応できなくなるのである。
南北も、食は厳しく慎んだが、女好きは治らず、妻は8人いたという。だが、ことごとく悪妻だったにも関わらず、妾ではなく全て正妻とし、生涯、大切にした。また、南北は、人にも、食の慎みは説いたが、女に関してはおおらかで、それどころか、大いに食を慎みつつ、大いに女遊びをしろと教えたという話もある。ただ、あくまで、男の誠意を通せる範囲であることが必要とは思う。
また、南北は、食には厳しくとも、慈愛のある人情家であったと思われる。
南北の弟子で、非常な無骨者の弟子がいた。観想の方はいまひとつだったが、誠実だったその弟子に、家一軒を若い娘付きで与えたこともあった。「女中にするも良し、女房にするも良し」ということだったが、その弟子は、娘を妻にし、大事にしたという。

現代は、当時と比べても、世の中は更に汚れていると言える。江戸時代の日本というのは、実は、なかなか素晴らしい社会であったという研究者もおり、私も、いくらかの証拠から、そうに違いないと思う。
現代に生きる我々も、もちろん、食を慎み、また、性欲を煽って儲けようとする連中のカモになってはいけないが、あまりに清浄になると、やはり世間に対抗できなくなる。
私も、1日1食で、完全な菜食主義であるが、会食の際には、肉は食べないながら、魚介類やケーキの類は大いに食べるし、普段でも、黒砂糖や羊羹くらいまでなら食べて良いこととしている。また、適度であれば、萌えもありとしている。
『バガヴァッド・ギーター』でも、至高神クリシュナは「食べ過ぎてはいけない。しかし、少食過ぎてもいけない」と教えていた。

何事もほどほどに。
孔子も徳川家康も、それが何よりと考えていた。
仏教の教えもまた、中道であり、極端に偏ってはならないとする。
どのくらいが程よく、バランスがとれ適度であるか?それを自分で正しく定め、なおかつ実践できる者のみを大人と言うのだ。
成功も悟りも、まず、大人であることがスタートの条件である。
最終的には聖人や仙人になるも良いが、まずは世間を打ち負かそうではないか?それはたやすいことである。そのためには、やはり食を慎むのが、最も簡単で確実な方法である。









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