アメリカの科学技術者で、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者であるベアード.T.スポールディングは、インドに住んでいた4歳の時、教師にアルファベットを見せられたが、彼はアルファベットを知らなかったのだろう。教師に「分からない」と言った。すると、教師は、「分からない」という考え方を捨てて、「チャンと分かっている」という態度に切り替えないといけないと彼に教えた。そのおかげで、スポールディングは14歳で、名門カルカッタ大学を卒業した。
スポールディングは、本に書いてあるごときことは、もうチャンと分かっているという態度でいなければならないと言う。
関英男博士も、これからは、勉強しなくても、全部分かる時代になると著書で述べられていた。
これらの意味を、よく考えてみると良いと思う。
私は、小学4年生の時、何かのきっかけで天体望遠鏡が欲しくて仕方がなくなった。そして、それは手に入るという態度でいた。
すると、1ヶ月もたたない頃、従兄が、私に天体望遠鏡を譲りたいと言って来た。
晴れて反射式天体望遠鏡を手に入れた私だが、天文の知識など全くゼロだった。しかし、土星を見たいと思った。写真などでは何度も見た土星の輪を、直接見たかったのだ。
しかし、土星が、どの方角にあるのかという大雑把なことすら全く知らない。しかし、私は、土星を見つけられないなどとは考えなかった。
そして、何も考えずに、ある星を選んでファインダーで捕捉し、接眼レンズを覗きながら、望遠鏡の角度を微調整し、ピントを合わせると、その星には環があったのだ。あまり高倍率ではなかったので、ごく小さかったが(高倍率だと捕捉が難しい)、その感激は大きなものだった。それ以降も、私は、いつでも土星を捉えることができた。
尚、私は、初めて反射式天体望遠鏡の操作をした時、まるで10年も使っているように楽々と扱えたのだった。
また、中学校の夏休みのことだ。
私は、ずっと前に見たテレビ番組を思い出し、それをもう一度見るだけではなく、ビデオ(当時はデジタル録画はなかった)に収めたいと思った。あるテレビドラマの1つの回だった。それでどうしたかというと、ただ、テレビを付け、リモコンの録画スイッチを押す準備をしたのだ。あの番組の再放送が行われているとか、行われる予定があるとかの情報など、全く知らないし、調べもしなかった。しかし、私は、それを録画できないなどと考えもしなかった。そして、そんなことを試みて2~3回目だったと思うが、まさに、あの番組のあの回が始まり、望み通り録画した。
他の番組でも、同じことを何度かやったものだ。
あまりに馬鹿げた話に感じるかもしれないが、誓って事実である。
私が子供の頃は、インターネットなど無かったが、グーグルで検索するより簡単に、テレビを付けたら、その場で欲しい情報を得たものだ。まるで、テレビ局を個人用に持っていたようなものである。
他にも・・・
実は、論理的に考えるとあり得ないようなことは数え切れないほどやった。お望みなら、そして私の気が向くなら、延々と語ることができるだろう。
大切なことは、イメージすることでも、強く念じることでもない。
出来ないなどと考えないことだ。
出来て当たり前だという態度でいることである。
ただし、気楽にね。私とて、気楽さがなく、執着が強すぎると、うまくいかないものだった。
私に言わせると、涼宮ハルヒは、中学時代は肩に力が入り過ぎていた。
だが、キョンと出会ってからは、心を落ち着けることができたのだ。それで、席替えの度、必ずキョンの真後ろの席を引き当てるようなことをやったのだろう。私も、似たようなことはよくやったものである。
ハルヒが力を発揮するには、キョンのような鎮静剤が必要だったのだろう。
ジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』だったと思うが、マーフィーはよく、ソフトタッチであること、つまり、気楽さの必要性を強調していたが、それを見て私は、マーフィーは本当にやり方を知っていたのだなあと思った。
政木和三さんも、著書には真面目なことばかり書いているが、何度か私と、そういった気楽な引き寄せの話をしたものだ。あの政木さんが、子供のように照れながら話をされていたのが懐かしい。
そもそもが、政木さんと何度も会ったり、親しく2人で食事をできたのも、引き寄せの1つであろうし、昨年、ライブドアブログ奨学金を引き当てたのもそうだろう。
ウォレス・ワトルズ(金持ちになる科学)も、チャールズ・ハアネル(ザ・マスター・キー)も、ロンダ・バーン(ザ・シークレット)も真面目過ぎる。そして、ある欠点がある。巨万の富なんて不要なものだ。気楽に富豪になることなんか出来やしない。私なら御免である。マゾでもない限り、億万長者など目指さないことだ。邱永漢さんが言ったように、金はある程度あれば後は同じだ。邱永漢さんは、30~40年前と思うが、使えるお金が月百万円あれば、それ以上は意味がないと言ったが、今でも同じようなものだと思う。
だが、そういったことを除けば、本当のことが書かれている素晴らしいものである。
ところで、あなたには、ハルヒのように、精神安定剤としてキョンのような存在が必ずしも必要な訳ではない。
壮大な自然の風景を見たり、荘厳な夕陽を眺めたり、美しい花を見たり、あるいは、猫と遊ぶと良い。
美しい詩を朗読したり暗誦するのも良いだろう。心を落ち着かせる美しい絵画を眺めたり、音楽を聴くのも良い。
マーフィーの言うソフトタッチでいくためには、気楽さが必要である。そのために、大きな力を発揮するのが、昨夜もご紹介した、聖書の詩篇91、あるいは、23である。以下に、詩篇23編の全文をご紹介しておこう。口語訳聖書(1955年)で、既に、著作権有効期限は過ぎている。
(ダビデの歌)
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
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スポールディングは、本に書いてあるごときことは、もうチャンと分かっているという態度でいなければならないと言う。
関英男博士も、これからは、勉強しなくても、全部分かる時代になると著書で述べられていた。
これらの意味を、よく考えてみると良いと思う。
私は、小学4年生の時、何かのきっかけで天体望遠鏡が欲しくて仕方がなくなった。そして、それは手に入るという態度でいた。
すると、1ヶ月もたたない頃、従兄が、私に天体望遠鏡を譲りたいと言って来た。
晴れて反射式天体望遠鏡を手に入れた私だが、天文の知識など全くゼロだった。しかし、土星を見たいと思った。写真などでは何度も見た土星の輪を、直接見たかったのだ。
しかし、土星が、どの方角にあるのかという大雑把なことすら全く知らない。しかし、私は、土星を見つけられないなどとは考えなかった。
そして、何も考えずに、ある星を選んでファインダーで捕捉し、接眼レンズを覗きながら、望遠鏡の角度を微調整し、ピントを合わせると、その星には環があったのだ。あまり高倍率ではなかったので、ごく小さかったが(高倍率だと捕捉が難しい)、その感激は大きなものだった。それ以降も、私は、いつでも土星を捉えることができた。
尚、私は、初めて反射式天体望遠鏡の操作をした時、まるで10年も使っているように楽々と扱えたのだった。
また、中学校の夏休みのことだ。
私は、ずっと前に見たテレビ番組を思い出し、それをもう一度見るだけではなく、ビデオ(当時はデジタル録画はなかった)に収めたいと思った。あるテレビドラマの1つの回だった。それでどうしたかというと、ただ、テレビを付け、リモコンの録画スイッチを押す準備をしたのだ。あの番組の再放送が行われているとか、行われる予定があるとかの情報など、全く知らないし、調べもしなかった。しかし、私は、それを録画できないなどと考えもしなかった。そして、そんなことを試みて2~3回目だったと思うが、まさに、あの番組のあの回が始まり、望み通り録画した。
他の番組でも、同じことを何度かやったものだ。
あまりに馬鹿げた話に感じるかもしれないが、誓って事実である。
私が子供の頃は、インターネットなど無かったが、グーグルで検索するより簡単に、テレビを付けたら、その場で欲しい情報を得たものだ。まるで、テレビ局を個人用に持っていたようなものである。
他にも・・・
実は、論理的に考えるとあり得ないようなことは数え切れないほどやった。お望みなら、そして私の気が向くなら、延々と語ることができるだろう。
大切なことは、イメージすることでも、強く念じることでもない。
出来ないなどと考えないことだ。
出来て当たり前だという態度でいることである。
ただし、気楽にね。私とて、気楽さがなく、執着が強すぎると、うまくいかないものだった。
私に言わせると、涼宮ハルヒは、中学時代は肩に力が入り過ぎていた。
だが、キョンと出会ってからは、心を落ち着けることができたのだ。それで、席替えの度、必ずキョンの真後ろの席を引き当てるようなことをやったのだろう。私も、似たようなことはよくやったものである。
ハルヒが力を発揮するには、キョンのような鎮静剤が必要だったのだろう。
ジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』だったと思うが、マーフィーはよく、ソフトタッチであること、つまり、気楽さの必要性を強調していたが、それを見て私は、マーフィーは本当にやり方を知っていたのだなあと思った。
政木和三さんも、著書には真面目なことばかり書いているが、何度か私と、そういった気楽な引き寄せの話をしたものだ。あの政木さんが、子供のように照れながら話をされていたのが懐かしい。
そもそもが、政木さんと何度も会ったり、親しく2人で食事をできたのも、引き寄せの1つであろうし、昨年、ライブドアブログ奨学金を引き当てたのもそうだろう。
ウォレス・ワトルズ(金持ちになる科学)も、チャールズ・ハアネル(ザ・マスター・キー)も、ロンダ・バーン(ザ・シークレット)も真面目過ぎる。そして、ある欠点がある。巨万の富なんて不要なものだ。気楽に富豪になることなんか出来やしない。私なら御免である。マゾでもない限り、億万長者など目指さないことだ。邱永漢さんが言ったように、金はある程度あれば後は同じだ。邱永漢さんは、30~40年前と思うが、使えるお金が月百万円あれば、それ以上は意味がないと言ったが、今でも同じようなものだと思う。
だが、そういったことを除けば、本当のことが書かれている素晴らしいものである。
ところで、あなたには、ハルヒのように、精神安定剤としてキョンのような存在が必ずしも必要な訳ではない。
壮大な自然の風景を見たり、荘厳な夕陽を眺めたり、美しい花を見たり、あるいは、猫と遊ぶと良い。
美しい詩を朗読したり暗誦するのも良いだろう。心を落ち着かせる美しい絵画を眺めたり、音楽を聴くのも良い。
マーフィーの言うソフトタッチでいくためには、気楽さが必要である。そのために、大きな力を発揮するのが、昨夜もご紹介した、聖書の詩篇91、あるいは、23である。以下に、詩篇23編の全文をご紹介しておこう。口語訳聖書(1955年)で、既に、著作権有効期限は過ぎている。
(ダビデの歌)
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
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いつぞやは大変失礼なコメントをしてしまい、申し訳ございませんでした。(覚えておられるかどうかわかりませんが)
しかし、いろんな方の記事を読むにつけ、この「人生哲学」のカテで真理を語っている人はkayさんだけではないかという思いが強くなりました。
今日の記事もまさにそのとおり。
「気楽でないと願いを叶える偶然を引き寄せられない」し、
引き寄せるために必要なのはイメージングでも強く念じることでもなく、ただ「そうなると思える心を持つこと」だと私も思っていました。
ま、そうできないからイメージとか強く念じるとかに走るんですが・・・
でも、これができるようになると面白いように引き寄せられる、それが真理ですね。
あと、私は「焦れずに待つこと」が大切だと思っています。
「待つこと」に対するkayさんのご意見を伺ってみたいです。