世間の人が恐れることは、収入がなくなったり、世の中が乱れて、楽な暮らしができなくなり、最悪、惨めに餓死や凍死をすることだ。
だが、その心配はしなくて良い。
その理由を以下に説明する。

野生動物が餌を探したり、害を避ける能力は、実際は神秘的なものだ。それを本能と言うのだろうが、あまりにも驚異的な力なのであることをよく考えるべきだ。

世界的な量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが、シャーマンの力を借り、特殊な方法(変性意識に導く強い作用のある植物を使用する)で鷹と合体し、野生動物が行う狩の真実を体験した話がある。
鷹と融合したウルフ博士は、大空を滑空していたが、不意に地上のある一点に引き付けられ、そこにまっしぐらに下降すると、餌の小型動物がいて、それを捕獲したのである。
鷹の視力は優れているが、単に目で餌を見つけるのではない。それが餌であると分析的に判断する能力は鷹にはない。鷹が、それを餌と認識するのは、直感的な力であり、人間でいえば、ベテランのハンターがいくらか持っているものである。

ウルフ博士の話が本当のことかどうかはともかく、動物が、人間には奇跡としか思えない能力を持つことは疑いがない。いや、動物に限らず、魚や虫や植物もそうだ。
例えば、遠い距離を移動する蝶が、どうやって特定の日に、適切なコースを選んで見事に目的地にたどり着くことができるのかは、全くの謎である。実際は、渡り鳥の渡りも、本当のことはほとんど分かっていないのだ。

動物だって、生きるのに失敗することはある。天敵に襲われて食われるのは当たり前のことであるが、そうでなくても、餌が取れずに餓死したり、凍死や事故死もある。
しかし、そんな不慮の死に方でもなければ、数が増え過ぎて生態系を壊すのであるが、自然な状態では、そういった予想外の死も、実に見事なタイミングで起こり、生態環境を健全に保っているのである。これは、よく考えれば不思議なことである。
ルドルフ・シュタイナーは、動物は、1つの種族で1つの魂を持つと言ったが、確かに、1つ1つの個体ではなく、1つの種族に着目してみれば、それが完璧な生き方をしているのが分かるのである。

また、植物においても、その生態を調べると、根の伸ばし方、土地の性質や形状への対応の仕方などを観察すると、隠れた高度な知性を感じざるを得ないのである。
そして、植物もまた、1つ1つの個体が生存のために発揮する能力も素晴らしいが、種として必ず生存できるような、より大きな力が働いていると考えられるのである。

人間は、動物や植物と異なり、1人1人に固有の意識がある。
動物、虫、植物は、新しい種に進化するといった特別な理由が無い限り、種が絶対的に生き残るような力が働くのであるが、人間というのは、1人1人が非常に大切であり、1人1人が絶対的に生き延びることが出来る力が秘められているのである。
動物や植物は、種全体が滅びる時に恐怖のようなものを感じるのかもしれないが、人は、自分1人が死ぬ時にも恐怖を感じるのである。

再度述べると、動物や植物は、1つの種で1つの魂を持っているが、人間は、1人で1つの魂を持つのである。
だが、そのように、人は、1人で固有の魂を持ってはいるが、やはり、上位の大きな魂があるのである。そして、死んだ時には、その上位の大きな魂と融合するのである。ただ、その場合も、1人1人の魂は個性を保つのである。

固有の魂を持つ人間は、1人の人としても、決して死ぬことは無い。
生きている時でも、大きな魂が持つ無限の力により、必ず生かされるのである。
動物や植物すら、それぞれの個体が生きるための驚異的な力が働くのである。そして、たとえ部分である個が自然に滅びても、種としては絶対的に生き続けるのである(進化をする場合を除く)。
ましてや、人間が死ぬはずがないのである。だが、人間は、1人1人が創造力を持つがゆえに、自らの想像力を使って、病気になったり、死んだりが出来るのである。あるいは、絶えるはずのない、動物や植物の種を滅ぼすことも出来てしまうのである。

人間は、自然に生きている限りは、死ぬことも病気になることもない。また、1人1人の魂に想像の力が与えられており、何でもできるのであり、力強く、歓喜に満ち、豊かに生きることができるはずなのである。
だが、我々は、魂の力、創造力を誤って使って、貧しくなったり、病気になったり、あらゆる問題を引き起こして苦境に立ったり、最悪、自分が死んだり、他人を殺したりするのである。
我々は、大きな魂である、宇宙の英知、大自然の潜在力、聖霊、神と呼ばれるものの力を十分に使い、親である神のごとく立派に生きなければならないのである。

尚、芸術には、人間の創造の力が示されるのである。
岡本太郎が言ったように、あなたも、本日、ただいまより芸術家になれるのである。それには、内にある魂の叫びを感じ、それを表現するのである。上手い作品を創ろうとしても、魂の声は聞こえない。魂を覆い隠すものを捨て、無心で作品に向かったり、自ら作品を創ることで、自分が宇宙と一体になるのである。それは、個の魂が大きな魂と溶け合い、一緒になることである。それを、岡本太郎は爆発と言ったのだろう。









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