人は、生きがいがあれば色鮮やかな人生を生きていけるが、生きがいがなければ、本能だけで動く空虚な灰色の人生を生きなければならない。
生きられると、生きねばならないの違いは大きいだろう。
だが、我々は、子供の頃に生きがいを壊されてしまっている。
子供の時、本当の生きがいは魔法使いになることだったのに、お医者さんになるとか、サッカー選手になるというものに、無理矢理変更させられなかっただろうか?
いつまでも子供の夢を見ていてはいけないという、もっともらしいことを言う者もいるが、だからといって、奴隷としての生きがいを持ってはならない。
テレビで、小学生の子供が、焼肉やハンバーグといった美味しいものを食べに行くのを最大の楽しみにしているのを見せた番組があったが、本来、子供というのは、楽しいことをやっていれば寝食を忘れるものである。あの子供は既に奴隷であり、生きていないのである。本当の生きがいがないと、人は食べることとセックスにしか関心を持たないのである。
それに引きかえ、魔法使いになるというのは、高貴で賞賛されるべき生きがいである。
ただ、それが、自分だけの、個人の欲望に基く生きがいであるなら、確かに、早く卒業すべき子供の夢であり、大人にとっては妄想である。
しかし、ただ金持ちを目指すのは愚かなことで、魔法使いになるついでに金持ちになることが合理的なら、そうすれば良いだけのことである。
「子供が私の生きがい」なんてのもとんでもない。子供は早くあなたを不要とするようにならなければ、そのあなたの生きがいとやらは死んだも同然なのだ。あなたは迷惑なのである。
つまるところ、人間の目標なんて1つしかない。神や仏になることだ。
だが、人に神や仏は見えない。だから、イエスは人の形をとった神の姿(それをキリストという)の手本を示し、目指すべき生きがいを人々が持ちやすくしたのだ。また、浄土系仏教の聖典『観無量寿経』では、仏の姿を見る方法と、それになる道を示した。興味深いのは、イエスも、『観無量寿経』も、それを成し遂げるまでは、神や仏がその人を守ることを保障している。つまり、本当の生きがいを持つ者は天に保護される。
サミュエル・スマイルズは「天は自分で自分自身を助ける者を助ける」と言ったが、本当に自分自身を助けるとは、真の生きがいを持って生きることである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
生きられると、生きねばならないの違いは大きいだろう。
だが、我々は、子供の頃に生きがいを壊されてしまっている。
子供の時、本当の生きがいは魔法使いになることだったのに、お医者さんになるとか、サッカー選手になるというものに、無理矢理変更させられなかっただろうか?
いつまでも子供の夢を見ていてはいけないという、もっともらしいことを言う者もいるが、だからといって、奴隷としての生きがいを持ってはならない。
テレビで、小学生の子供が、焼肉やハンバーグといった美味しいものを食べに行くのを最大の楽しみにしているのを見せた番組があったが、本来、子供というのは、楽しいことをやっていれば寝食を忘れるものである。あの子供は既に奴隷であり、生きていないのである。本当の生きがいがないと、人は食べることとセックスにしか関心を持たないのである。
それに引きかえ、魔法使いになるというのは、高貴で賞賛されるべき生きがいである。
ただ、それが、自分だけの、個人の欲望に基く生きがいであるなら、確かに、早く卒業すべき子供の夢であり、大人にとっては妄想である。
しかし、ただ金持ちを目指すのは愚かなことで、魔法使いになるついでに金持ちになることが合理的なら、そうすれば良いだけのことである。
「子供が私の生きがい」なんてのもとんでもない。子供は早くあなたを不要とするようにならなければ、そのあなたの生きがいとやらは死んだも同然なのだ。あなたは迷惑なのである。
つまるところ、人間の目標なんて1つしかない。神や仏になることだ。
だが、人に神や仏は見えない。だから、イエスは人の形をとった神の姿(それをキリストという)の手本を示し、目指すべき生きがいを人々が持ちやすくしたのだ。また、浄土系仏教の聖典『観無量寿経』では、仏の姿を見る方法と、それになる道を示した。興味深いのは、イエスも、『観無量寿経』も、それを成し遂げるまでは、神や仏がその人を守ることを保障している。つまり、本当の生きがいを持つ者は天に保護される。
サミュエル・スマイルズは「天は自分で自分自身を助ける者を助ける」と言ったが、本当に自分自身を助けるとは、真の生きがいを持って生きることである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|

いつも楽しく拝見しております。
「子どもが私の生きがい」は、よく耳にする言葉ですね。
我が子であれ、親は子に依存したら駄目なのだと思います。
勿論、子も親に依存したら駄目ですね。
『生きがい』というのは、やはり自分で見つけ出すものですね。
自分自身で、発見するものですね。
社会や世間や親の考えで造られた花は、綺麗に咲くことはできません。
自分の人生をちゃんと歩むためにも、
自分の心の中に、オンリーワンの花を咲かせたいものです。