科学者で発明家であった中山正和さんは、NASAにも採用される発明もしたし、IBM等巨大企業で成果を上げた能力開発法も考案したが、彼の理論・哲学の源泉は仏教なのである。大数学者であった岡潔に倣い、道元の『正法眼蔵』を意味が分からないまま20年も読み続け、ある日突然、天啓を得たように、その内容が全て解ったという。また、法華経や般若心経も深く研究されていた。
中山さんは、元々、興味を持って行っていた脳の研究と、コンピュータが発達してからはそれを取り入れたので、結局、脳、仏教、コンピュータを融合させた能力開発方法を完成させたと言えると思う。
中山さんのお話が時に小難しく感じるのは、仏教の教えを語るのに、適切な言葉というのが元々無いからなのだと思う。それを無理に、普通の言葉で論理的に語ろうとしたら、もう訳が解らなくなるのは仕方がないことだ。中山さんも、その弊害は認めてはいるのだが、どうしても理論で説明したかったのだろう。ついつい、論理学や物理学の理論を持ち込み、結局、誰にも分からなくなったり、誤解を生んだりしてしまう。
中山さんのお話を簡単に言えば、人が天才の能力や超能力を発揮できないのは、心が濁っているからなのである。
人間の心の中には神様と同じものがあって、元々、誰でも大天才なのだが、それを覆う心が濁っているので、神様からのメッセージ(閃き)が伝わってこない・・・とこれだけの話である。これを理屈で説明するから、大変なことになるが、まあ、世の中、理屈でないと納得しない人もいるのだろう。
さて、では、心の濁りを除くにはどうすれば良いかというと、中山さんは、いろいろ理屈を言った挙句、結局、「クヨクヨするな」だと言う。まあ、過ぎたことを後悔するなという意味でいいと思う。また、先のことを心配するなということでもある。いわゆる、「持ち越し苦労」と「取り越し苦労」だ。神道家で医学博士でもある葉室頼昭さんは、「取り越し苦労、持ち越し苦労は、神様への侮辱だ」と言った。なぜなら、それは神様を信頼していないからだと言う。しかし、それは強い信仰を持っている人の話で、我々はどうしても、後悔したり、将来を不安に思うものだ。かといって、変な宗教に入って、数百万円のつぼを買わされてもたまらない。
そこで、中山さんは、あの般若心経の呪文を唱えれば良いと言う。あの「ギャテイギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」である。サンスクリット語では「ガテーガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」である。これの何が良いかというと、気が紛れるからであると、なかなかあられもない(とんでもない)。まあ、それだけではないのだが、どう良いかは、正確には分からない。だから、気が紛れるで良いのである。むしろ、その程度と思って、妙な欲を持たない方が霊験も現れるだろう。
別に、「ナムアミダブツ」でも「アマテラスオオミカミ」でも良い。「アマテラスオオミカミ」は、十言神呪(とことのかじり)という、神道の呪文である。
阿弥陀如来と天照大神、あるいは、イエスの言う父なる神や『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナが同じものだと言ったら怒る人もいると思う。しかし、同じなのである。これらは、神とか仏の形で象徴した至高の英知、至高の力である大生命を、さらに、人に分かりやすいように形にしたもので、根本はその大生命だ。人格的な神や仏の姿を通して礼拝することを、慈悲深い神様は認めて下さるはずだ。『バガヴァッド・ギーター』で、最高神クリシュナは、本来は、自分のみに礼拝すべきで、他の神への礼拝は正しくはないのだが、それでも結果は同じと言う。
心配事や悩み事があっても、考えても仕方がないことなら、下手なことを考えず、「ギャテイギャテイ」とやったり、「ナムアミダブツ」を唱えれば良いのである。あるいは、ついかっとしたり、恨み心が起きた時は、「ナムアミダブツ」を唱えれば良い。
ただ、中山さんも指摘するが、考えて仕方がないことはそれで良いが、考えるべきことはちゃんと考えろと言う。そんなアホな注意をしないといけないおかしな人間が多いということであろう。クリシュナも、自分の義務は果たせと言っているのである。
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中山さんは、元々、興味を持って行っていた脳の研究と、コンピュータが発達してからはそれを取り入れたので、結局、脳、仏教、コンピュータを融合させた能力開発方法を完成させたと言えると思う。
中山さんのお話が時に小難しく感じるのは、仏教の教えを語るのに、適切な言葉というのが元々無いからなのだと思う。それを無理に、普通の言葉で論理的に語ろうとしたら、もう訳が解らなくなるのは仕方がないことだ。中山さんも、その弊害は認めてはいるのだが、どうしても理論で説明したかったのだろう。ついつい、論理学や物理学の理論を持ち込み、結局、誰にも分からなくなったり、誤解を生んだりしてしまう。
中山さんのお話を簡単に言えば、人が天才の能力や超能力を発揮できないのは、心が濁っているからなのである。
人間の心の中には神様と同じものがあって、元々、誰でも大天才なのだが、それを覆う心が濁っているので、神様からのメッセージ(閃き)が伝わってこない・・・とこれだけの話である。これを理屈で説明するから、大変なことになるが、まあ、世の中、理屈でないと納得しない人もいるのだろう。
さて、では、心の濁りを除くにはどうすれば良いかというと、中山さんは、いろいろ理屈を言った挙句、結局、「クヨクヨするな」だと言う。まあ、過ぎたことを後悔するなという意味でいいと思う。また、先のことを心配するなということでもある。いわゆる、「持ち越し苦労」と「取り越し苦労」だ。神道家で医学博士でもある葉室頼昭さんは、「取り越し苦労、持ち越し苦労は、神様への侮辱だ」と言った。なぜなら、それは神様を信頼していないからだと言う。しかし、それは強い信仰を持っている人の話で、我々はどうしても、後悔したり、将来を不安に思うものだ。かといって、変な宗教に入って、数百万円のつぼを買わされてもたまらない。
そこで、中山さんは、あの般若心経の呪文を唱えれば良いと言う。あの「ギャテイギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」である。サンスクリット語では「ガテーガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」である。これの何が良いかというと、気が紛れるからであると、なかなかあられもない(とんでもない)。まあ、それだけではないのだが、どう良いかは、正確には分からない。だから、気が紛れるで良いのである。むしろ、その程度と思って、妙な欲を持たない方が霊験も現れるだろう。
別に、「ナムアミダブツ」でも「アマテラスオオミカミ」でも良い。「アマテラスオオミカミ」は、十言神呪(とことのかじり)という、神道の呪文である。
阿弥陀如来と天照大神、あるいは、イエスの言う父なる神や『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナが同じものだと言ったら怒る人もいると思う。しかし、同じなのである。これらは、神とか仏の形で象徴した至高の英知、至高の力である大生命を、さらに、人に分かりやすいように形にしたもので、根本はその大生命だ。人格的な神や仏の姿を通して礼拝することを、慈悲深い神様は認めて下さるはずだ。『バガヴァッド・ギーター』で、最高神クリシュナは、本来は、自分のみに礼拝すべきで、他の神への礼拝は正しくはないのだが、それでも結果は同じと言う。
心配事や悩み事があっても、考えても仕方がないことなら、下手なことを考えず、「ギャテイギャテイ」とやったり、「ナムアミダブツ」を唱えれば良いのである。あるいは、ついかっとしたり、恨み心が起きた時は、「ナムアミダブツ」を唱えれば良い。
ただ、中山さんも指摘するが、考えて仕方がないことはそれで良いが、考えるべきことはちゃんと考えろと言う。そんなアホな注意をしないといけないおかしな人間が多いということであろう。クリシュナも、自分の義務は果たせと言っているのである。
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