成功して膨大な資産を築いたとしたら、その資産は誰のものだろう?
もちろん、法律上の持ち主は決まっているのだが、その持ち主が、本当の所有者なのだろうか?
あるいは、小説や漫画、あるいは、コンピュータ・ソフトウェア等の所有権も、制作者が独占出来るものだろうか?
本当は自分のものではないかもしれないものを自分のものだと主張し過ぎて、おかしなことになっていないだろうか?
こう言うと、奇妙に思う人が多いのはよく分かる。しかし、もし人類に未来があれば、未来の人から見れば、現在のこれらのあり様は非常におかしなものに違いない。
こんなお話を思い出した。
手塚治虫さんの『マグマ大使』という漫画作品は、地球を侵略しようとするゴアという強大な宇宙の怪人に、地球の創造者であるアースと、アースが創ったロケット人(ロケットと人の形態が取れる)であるマグマが立ち向かうお話で、正義の見方がマグマ大使、悪役がゴアということになる。
アースは、ゴアとの、いつ果てるとも知れない戦いの中で決意する。宇宙の創造主にして最高神カオスに裁いてもらい、戦いを終結させる。もちろん、正義である自分達の勝利を持って。
そして、アースとゴアは、カオスの前で裁きを受けることになる。
アースは、自分が造った美しい地球を、暴力や謀略で無理矢理に奪おうとするゴアの悪行をカオスに訴えた。
カオスはゴアに、「ゴア、何か言い分があるか?」と尋ねる。
ゴアは落ち着いて答える。
「あります、カオス様。地球はアースのものではありません。なのに、それを独り占めしようとするアースが悪いのです」
ゴアは、読者向けであろうが、喩えで続けた。
「子供が砂場で遊んでいて、お城を作ったとします。しかし、そのお城は、作ったその子のものでしょうか?砂は皆のものです。私とて、アースが地球を造ったことは認めております。しかし、だからといって、アースだけのものではない。それが分からないアースに地球を治める資格はないと思います」
「詭弁だ!」アースは怒るが、カオスに、「宇宙にある全てのものは、このカオスが作り出した原料である粒子で出来ている。お前はそれを使っただけだ。全ては、このカオスのものではないのか?」とたしなめられ、恐れ入って平伏した。
そして、裁定が言い渡される。
「ゴアが正しい。地球は誰のものでも無い。2人で仲良く治めよ」
アースはもちろん、アースの地球追放を期待したゴアも納得せずに、異議を唱える。
すると、怒ったカオスは、「こんなちっぽけな星のことで争うなら、私が地球を元の無に戻してやる」と言い、慌てたアースとゴアはそれをしないよう懇願する。
結局、カオスは、アースのマグマと、ゴアのガロンを戦わせて、勝った方が地球を治めるということにした。カオスにすれば、「じゃんけんで決めろ」程度のことなのだろう。
※内容は、私が大昔に読んだ時のうろ覚えで、正確なものではない
漫画の読者にすれば、神様がゴアを支持したことに驚いたと思う。
このお話は、非常に深いものなので、テレビ放送(特撮)では採用されなかった。
テレビでは、あくまで正義のマグマと悪のゴアの対決であった。しかし、漫画では、ゴアの哀しい本質が明かされ、ゴアは最後にマモル少年に頼みごとをし、マオルはそれを果たすことを誓うのである。
このカオスのお話はとても良い。さすが手塚さんだと思う。
宇宙にある全てのものは、神が作ったあるもので出来ている。それは物質ではない。宇宙エネルギーと言う人もいるし、古代ではエーテル(アイテール)と言い、根源物質とか根源粒子、気とか、幽子とか、様々な名で呼ばれた。あるいは、「名付け得ぬもの」という言い方もされた。それは、宇宙のいたるところ・・・大気中、水中、地中や岩や鉱物の中、どこにでも満ちている。
それは全て神のものだ、従って、この世にある全てのものは神のものである。
ただし、それは同時に人のものでもある。
宇宙に満ちたそれは意志を持ち、人の思い描いたものを物質化する。ただし、人の心が神の心と一致した時にそうなるのだ。すなわち、人の心が無になった時だ。それは、人の思いがとても強い時や、揺ぎ無い信念に満ちている時などに、しばしば自然にそうなる。
思っただけでも、高次の世界では形になっている。しかし、それを物質化するためには、振動を下げないといけない。丁度、飛行中の飛行機のプロペラは見えないが、着陸してエンジンが停止した時に見えるようなものだ。
そして、あなたがそうやって生み出したものでも、それはあなたのものではない。
優れた芸術作品や工芸作品だって、神から与えられた閃きで生まれたはずだ。『歓喜の歌』にある、「神の火花、楽園の乙女」が神から与えられる霊感であるそれを示している。
しかし、昨今、あらゆるものに、版権表示がされ、所有権を強固に主張する有様は、あまり気持ちの良いものではない。
『マグマ大使』でも、アースはまるで地球に「Copyright アース」と書き込みたいように思われたから、カオスの支持が得られなかったのだと考えられる。
権利を独占しようとする思いが無くならない限り、この世では、醜い争いが続く。
特に権利を主張しなくても、神と協力してそれを造った者に、皆が自然に、心からの敬意を払うようになれば良い。しかし、そのためには、まずは制作者が権利を手放すことから始めないといけないのだ。
銀行があったら、その中にあるお金は、預金者や銀行のものであると同時にあなたのものでもある。だから、あなたにはお金なんてふんだんにあるのである。そうであるなら、自分の持っているものもまた、あなただけのものではなく、誰のものでもあるのだ。たまたま自分のところにきたものを有難がり、大切にするが、必要なら未練なく手放すようになれば、あらゆるものがあなたの元にやってくることになるだろう。天才の才能すら、あなたのものになる。
ニュートンもまた、「私の才能は神からの預かりもの」と言ったのである。
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もちろん、法律上の持ち主は決まっているのだが、その持ち主が、本当の所有者なのだろうか?
あるいは、小説や漫画、あるいは、コンピュータ・ソフトウェア等の所有権も、制作者が独占出来るものだろうか?
本当は自分のものではないかもしれないものを自分のものだと主張し過ぎて、おかしなことになっていないだろうか?
こう言うと、奇妙に思う人が多いのはよく分かる。しかし、もし人類に未来があれば、未来の人から見れば、現在のこれらのあり様は非常におかしなものに違いない。
こんなお話を思い出した。
手塚治虫さんの『マグマ大使』という漫画作品は、地球を侵略しようとするゴアという強大な宇宙の怪人に、地球の創造者であるアースと、アースが創ったロケット人(ロケットと人の形態が取れる)であるマグマが立ち向かうお話で、正義の見方がマグマ大使、悪役がゴアということになる。
アースは、ゴアとの、いつ果てるとも知れない戦いの中で決意する。宇宙の創造主にして最高神カオスに裁いてもらい、戦いを終結させる。もちろん、正義である自分達の勝利を持って。
そして、アースとゴアは、カオスの前で裁きを受けることになる。
アースは、自分が造った美しい地球を、暴力や謀略で無理矢理に奪おうとするゴアの悪行をカオスに訴えた。
カオスはゴアに、「ゴア、何か言い分があるか?」と尋ねる。
ゴアは落ち着いて答える。
「あります、カオス様。地球はアースのものではありません。なのに、それを独り占めしようとするアースが悪いのです」
ゴアは、読者向けであろうが、喩えで続けた。
「子供が砂場で遊んでいて、お城を作ったとします。しかし、そのお城は、作ったその子のものでしょうか?砂は皆のものです。私とて、アースが地球を造ったことは認めております。しかし、だからといって、アースだけのものではない。それが分からないアースに地球を治める資格はないと思います」
「詭弁だ!」アースは怒るが、カオスに、「宇宙にある全てのものは、このカオスが作り出した原料である粒子で出来ている。お前はそれを使っただけだ。全ては、このカオスのものではないのか?」とたしなめられ、恐れ入って平伏した。
そして、裁定が言い渡される。
「ゴアが正しい。地球は誰のものでも無い。2人で仲良く治めよ」
アースはもちろん、アースの地球追放を期待したゴアも納得せずに、異議を唱える。
すると、怒ったカオスは、「こんなちっぽけな星のことで争うなら、私が地球を元の無に戻してやる」と言い、慌てたアースとゴアはそれをしないよう懇願する。
結局、カオスは、アースのマグマと、ゴアのガロンを戦わせて、勝った方が地球を治めるということにした。カオスにすれば、「じゃんけんで決めろ」程度のことなのだろう。
※内容は、私が大昔に読んだ時のうろ覚えで、正確なものではない
漫画の読者にすれば、神様がゴアを支持したことに驚いたと思う。
このお話は、非常に深いものなので、テレビ放送(特撮)では採用されなかった。
テレビでは、あくまで正義のマグマと悪のゴアの対決であった。しかし、漫画では、ゴアの哀しい本質が明かされ、ゴアは最後にマモル少年に頼みごとをし、マオルはそれを果たすことを誓うのである。
このカオスのお話はとても良い。さすが手塚さんだと思う。
宇宙にある全てのものは、神が作ったあるもので出来ている。それは物質ではない。宇宙エネルギーと言う人もいるし、古代ではエーテル(アイテール)と言い、根源物質とか根源粒子、気とか、幽子とか、様々な名で呼ばれた。あるいは、「名付け得ぬもの」という言い方もされた。それは、宇宙のいたるところ・・・大気中、水中、地中や岩や鉱物の中、どこにでも満ちている。
それは全て神のものだ、従って、この世にある全てのものは神のものである。
ただし、それは同時に人のものでもある。
宇宙に満ちたそれは意志を持ち、人の思い描いたものを物質化する。ただし、人の心が神の心と一致した時にそうなるのだ。すなわち、人の心が無になった時だ。それは、人の思いがとても強い時や、揺ぎ無い信念に満ちている時などに、しばしば自然にそうなる。
思っただけでも、高次の世界では形になっている。しかし、それを物質化するためには、振動を下げないといけない。丁度、飛行中の飛行機のプロペラは見えないが、着陸してエンジンが停止した時に見えるようなものだ。
そして、あなたがそうやって生み出したものでも、それはあなたのものではない。
優れた芸術作品や工芸作品だって、神から与えられた閃きで生まれたはずだ。『歓喜の歌』にある、「神の火花、楽園の乙女」が神から与えられる霊感であるそれを示している。
しかし、昨今、あらゆるものに、版権表示がされ、所有権を強固に主張する有様は、あまり気持ちの良いものではない。
『マグマ大使』でも、アースはまるで地球に「Copyright アース」と書き込みたいように思われたから、カオスの支持が得られなかったのだと考えられる。
権利を独占しようとする思いが無くならない限り、この世では、醜い争いが続く。
特に権利を主張しなくても、神と協力してそれを造った者に、皆が自然に、心からの敬意を払うようになれば良い。しかし、そのためには、まずは制作者が権利を手放すことから始めないといけないのだ。
銀行があったら、その中にあるお金は、預金者や銀行のものであると同時にあなたのものでもある。だから、あなたにはお金なんてふんだんにあるのである。そうであるなら、自分の持っているものもまた、あなただけのものではなく、誰のものでもあるのだ。たまたま自分のところにきたものを有難がり、大切にするが、必要なら未練なく手放すようになれば、あらゆるものがあなたの元にやってくることになるだろう。天才の才能すら、あなたのものになる。
ニュートンもまた、「私の才能は神からの預かりもの」と言ったのである。
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