人は青春時代が終わってから、本当の人生が始まる。
1898年生まれのアーマンド・ハマーは、医学生として学ぶ傍らビジネスで財を成した。そして、医師の資格を得ると、その財力で船に医療器具や薬品を満載し、十分な医療サービスを受けられない、貧しい旧ソ連の人々を治療するためにアメリカを出発するが、その時に「青春は終わった」と宣言した。アーマンド、26歳の時だった。
それは、同じことを先に実践した、アーマンドより23歳年長のアルベルト・シュヴァイツァーを思い出させるが、シュヴァイツァーは20歳の時、「30歳までは好きなように生きよう。しかし、30歳になったら人々のために生きよう」と決意した。彼は、神学者、音楽家として成功を収め、富と栄誉を得たが、20歳の時の決意を忘れず、30歳で全てを捨て、医大に入学し、38歳で医学博士となると、医療器具や薬品を調達してアフリアに渡り、以降、戦争などで中断はあったが、おそらく90歳で亡くなる頃までアフリカ原住民の治療のために尽くした。シュヴァイツァーの青春は30歳までだったということだろう。
彼らの魂が高貴であるだけでなく、彼らの並外れた能力や運についても、その理由が分かるように思うが、それはまた後で述べよう。
アインシュタインは、「人は自分以外のもののために生きるようになった時に、本当に生きることを始める」と言ったようだ。
W.B.イェイツは、「人生が悲劇であると認識して初めて人は本当の人生を始める」と言った。人生が自分を楽しませてくれるように思える間は、世の中のお荷物でしかない。
自分のために生きているうちは青春時代であり、まだ人になっていない段階だ。他者のために生きるようになって初めて、本当の人になるということと思う。本当の人になってこそ、人生の値打ちが分かり、自分らしい生き方が出来る。
青春を楽しんでいる者に、自分の生き方など無い。
だが、現代の日本には、いつまでも自分のために生きる、永遠の21歳といった人が溢れている。
だが、それは楽しいことではなく、愚かで辛いことである。なぜなら、人として生まれてきた本当の目的を失うことになるからだ。それは、我々が持つべき真の歓喜を捨てることなのだろう。ベートーヴェンがシラーの詩「歓喜に寄せて」を引用して創った「歓喜の歌」は、青春を捨て、本物の人生を送る人にしか分からない。青春に生きる者に、歓喜など訪れるはずがないからだ。
さあ、青春はもう終わりだ。感覚や心を楽しませることなどしていても何にもならない。それでは本当の喜びを知ることはない。
では、どうすれば他者のために奉仕できるか、それは、他人に尋ねても意味がない。
自分を信頼し、自分に尋ねるのだ。「私はどうすれば他者のために役立てるのか?」と。直観と閃きで教えてくれるだろうし、潜在意識に与えられた答は、自然にあなたを導くだろう。
アーマンド・ハマーは7歳の時、毎日、神に、人々のために役に立たせて欲しいと祈った。それで、真の自己は彼を導き、並外れた能力と運を彼に与えたのだ。
シュヴァイツァーも、30歳になったら青春を捨てると宣言していたから、神は彼に能力を発揮させて富を得させ、真の歓喜へ続く道を与えたのだろう。
青春時代にロックスターを目指して奮闘しても、その音は人々の心を打たない。本物のロックシンガーは、10代の頃には、無意識であっても青春を諦めていたのだ。
子供の願望が実現しないのも、このためである。我々の願いが叶わないなら、それが自分だけの願いであるからだ。
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1898年生まれのアーマンド・ハマーは、医学生として学ぶ傍らビジネスで財を成した。そして、医師の資格を得ると、その財力で船に医療器具や薬品を満載し、十分な医療サービスを受けられない、貧しい旧ソ連の人々を治療するためにアメリカを出発するが、その時に「青春は終わった」と宣言した。アーマンド、26歳の時だった。
それは、同じことを先に実践した、アーマンドより23歳年長のアルベルト・シュヴァイツァーを思い出させるが、シュヴァイツァーは20歳の時、「30歳までは好きなように生きよう。しかし、30歳になったら人々のために生きよう」と決意した。彼は、神学者、音楽家として成功を収め、富と栄誉を得たが、20歳の時の決意を忘れず、30歳で全てを捨て、医大に入学し、38歳で医学博士となると、医療器具や薬品を調達してアフリアに渡り、以降、戦争などで中断はあったが、おそらく90歳で亡くなる頃までアフリカ原住民の治療のために尽くした。シュヴァイツァーの青春は30歳までだったということだろう。
彼らの魂が高貴であるだけでなく、彼らの並外れた能力や運についても、その理由が分かるように思うが、それはまた後で述べよう。
アインシュタインは、「人は自分以外のもののために生きるようになった時に、本当に生きることを始める」と言ったようだ。
W.B.イェイツは、「人生が悲劇であると認識して初めて人は本当の人生を始める」と言った。人生が自分を楽しませてくれるように思える間は、世の中のお荷物でしかない。
自分のために生きているうちは青春時代であり、まだ人になっていない段階だ。他者のために生きるようになって初めて、本当の人になるということと思う。本当の人になってこそ、人生の値打ちが分かり、自分らしい生き方が出来る。
青春を楽しんでいる者に、自分の生き方など無い。
だが、現代の日本には、いつまでも自分のために生きる、永遠の21歳といった人が溢れている。
だが、それは楽しいことではなく、愚かで辛いことである。なぜなら、人として生まれてきた本当の目的を失うことになるからだ。それは、我々が持つべき真の歓喜を捨てることなのだろう。ベートーヴェンがシラーの詩「歓喜に寄せて」を引用して創った「歓喜の歌」は、青春を捨て、本物の人生を送る人にしか分からない。青春に生きる者に、歓喜など訪れるはずがないからだ。
さあ、青春はもう終わりだ。感覚や心を楽しませることなどしていても何にもならない。それでは本当の喜びを知ることはない。
では、どうすれば他者のために奉仕できるか、それは、他人に尋ねても意味がない。
自分を信頼し、自分に尋ねるのだ。「私はどうすれば他者のために役立てるのか?」と。直観と閃きで教えてくれるだろうし、潜在意識に与えられた答は、自然にあなたを導くだろう。
アーマンド・ハマーは7歳の時、毎日、神に、人々のために役に立たせて欲しいと祈った。それで、真の自己は彼を導き、並外れた能力と運を彼に与えたのだ。
シュヴァイツァーも、30歳になったら青春を捨てると宣言していたから、神は彼に能力を発揮させて富を得させ、真の歓喜へ続く道を与えたのだろう。
青春時代にロックスターを目指して奮闘しても、その音は人々の心を打たない。本物のロックシンガーは、10代の頃には、無意識であっても青春を諦めていたのだ。
子供の願望が実現しないのも、このためである。我々の願いが叶わないなら、それが自分だけの願いであるからだ。
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