制作された英国や米国より日本でヒットしたと言われる、1971年の映画『小さな恋のメロディ(原題:Melody)』の脚本を書いたのは原作者のアラン・パーカーで、映画の内容も、だいたい、原作通りだ。ちなみに、お話自体は、映画製作者のデヴィッド・パットナムの体験である実話らしい。
私は、高校生の時、原作(翻訳)を読んだ中で、よく憶えている場面がある。主人公の11歳の少年ダニーと、彼のクラスメイトで親友のトムがバスに乗っていたのだが、停留所で乗ってきた中年の男女を見たトムが、「年寄りってのは、どうしてあんなに薄汚ねぇんだろうな」とつぶやき、「どいつもこいつも口をへの字に曲げやがって」とはき捨てるように言うところだ。年寄りといっても、老人のことではなく、中年以上の大人のことである。口のへの字に曲げていたのは、主にトムの行儀が悪かったのが原因であるが、それにしたって、「薄汚い」とか「口をへの字」とは辛らつだ。しかし、私はトムに大いに同調してしまった。確かに、大人達の顔はとても悪い。顔といっても、形とかではなく、表情とか雰囲気とか、内側から滲み出ている心のようなものだ。これを読んでから、改めて電車の中とかで大人達を観察すると、大半の大人がそうであった。それは、映画の中でも表現されていた。「日本もイギリスも同じなのだなあ」と妙な感心をしたものだ。
そして、今の日本の大人達の表情は、ますます悪くなっているのは間違いないと思う。はっきり言って、心が腐っているのだ。

人間にとっての幸福って、断言するが、絶対に、心が晴れやかであることだ。そして、心が晴れやかである人間の表情はとても良いのだ。
だが、どこで見る大人の顔も、本当に醜悪である。それは欲望のためだ。その欲望は、感覚と心を喜ばせる快楽ばかりを求めているからだ。ダニーやトムの時代の大人の表情を悪くしていたのは、主に不安だった。今の日本にも、不安や恐怖が強い人はいるが、そんな人達は、概ね、険しい表情をしている。そして、口をへの字にし、何にでも批判的だ。
いずれにせよ、表情や雰囲気の悪い大人というのは、皆、不幸で悲しい人達なのだ。
彼らは、寝ている時の顔も悪い。つまり、それがもう、人格の奥にまで染み付いているのだ。本当に気の毒である。

だけど、無理に表情を良くしようたって駄目だ。それは、無理に怒るのをやめようとか、妬むのをやめようとしたって無駄なことと同じだ。
心自体が、晴れやかで穏やかになってこそ、表情が明るく、少々のことで怒らず、恨まず、他人に寛容になれるのだ。
だが、人々の表情の悪さは、もう絶望的だ。行き着くところまで来たという感じだ。
そして、それは、トムの言った年寄り、つまり、中年のことだけではない。いまや、十代も後半になれば十分に当てはまるし、実に、小学生でその傾向が表れる者も少なくない。塾通いしている優等生ほど、そうなりやすいと思う。まこと、子供を幸福にしたければ、すぐに塾通いをやめさせることだ。

さて、誰でも、心晴れやかになりたいだろう。結果として、いい表情になりたいだろう。
そのためには、欲望を放棄しなければならない。こう言うと、欲望がなくなったら生きていけないなどという的外れなことを言う者がいるから困る。そんなのは当たり前だ。極端論は愚か者の癖だ。
だが、不必要なものを求める欲は捨てないといけない。そのために、創造主を信頼し、必要なものは必ず与えられると信じないといけないが、こういうと、笑われるのかもしれない。しかし、他に無いのだ。
宗教団体には入らない方が良いが、『聖書』や『バガヴァッド・ギーター』を毎日読めば、きっと創造主を信じるようになるだろう。そして、表情や雰囲気も良いものになる。つまり、心が晴れやかになるだろう。至高者を信じ、過ぎた欲望から離れるからだ。実に安価なエステ(美容法)である。
『小さな恋のメロディ』のヒロインのメロディ(当時11歳のトレーシー・ハイドが演じた)は、大人達には悩まされていたが、金魚と戯れている時、ダンスをしている時、ダニーと逃亡する時の彼女は特に美しかった。きっと、あなたも、あの輝きを取り戻せるだろう。









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