我々は、幼い時のことを自分で思う以上に忘れているものだ。人は、3歳位までのことは全く憶えていないものらしい。だが、それ以降のことも、完全に記憶から消え去ったり、あるいは、事実が改変されて記憶されていることがいくらでもある。
だが、失われた記憶には大切なものもあるのだ。

天使や妖精を見た記憶のある人は少ないと思う。そういったものを見ることが出来るのは幼い時である。しかし、もし、大人になってから、目の前に天使や妖精が現れたらどうだろう?その場合、ほとんどの人は、見えなかったり、見ても一瞬で忘れてしまう。なぜかというと、自分の持っている観念と合わないので見えないし、見ても信じないのだ。
幼い頃に天使や妖精を見ても、それを大人に話すと、おかしな反応をされる。では、子供同士で話すかというと、幼い子供同士が、自分の見たことを言葉で話すことはあまり無い。そんなことは子供にとっては面倒過ぎるし、見える子にとっては別に変わったことでもないので、取り立てて話そうとは思わないのだ。

そして、そうこうしているうちに、世間の教義や信念を叩き込まれて、天使や妖精を信じなくなり、せっかくの思い出も、記憶からも消えてしまうのだ。

天使や妖精ばかりではない。大人からすれば奇跡としか言えないようなことや、自分が魔法のような力を発揮したことも忘れてしまうのだ。
だが、稀に、そんなことをいつまでも憶えている子もいる。
あまり世間に毒されずに育った子だ。あるいは、神秘的で本当のことが書かれた本を読み、深く感じた子は、世間をあまり受け入れないので、神秘を疑わずに憶えている。

人の記憶がいい加減であてにならないということをご存知の方もいると思う。
昔見たテレビドラマを見ると、セリフが記憶しているものと違っていて驚いたことが無いだろうか?
遠足に行った時、クラスのある女の子は赤いスカートをはいていたと思っていたのが、写真を見るとズボンをはいている。
あるいは、見たはずのことをなぜか完全に忘れてしまっていることもある。

私は、4つか5つだったと思うが、家に1人で留守番をしていた時、家の中で妖精をはっきりと見た記憶がある。妖精と言っても、小さな妖怪と言った方が良いような姿で、ムーミンに出てくるニョロニョロと少し似ていた。尚、当時私は、テレビでニョロニョロを見たことが無かった。私が妖精を見たことは、私は母親や姉によく言っていたことを確認している。
子供というものは、現実と想像したことの区別が付かないものらしい。しかし、それは大人も同じなのだ。ただ、想像する基盤が異なるだけだ。大人にとって、子供の想像が非現実なら、子供にとっての大人の想像は非現実なのだ。

「フィオレ、君は本当にいたんだな。子供の時に見た幻なんかじゃなくて」
「幻・・・か。僕には、つい昨日の出来事のようだ」
~劇場版「美少女戦士セーラームーンR」より。地場護と宇宙生命体フィオレの会話~

このブログでも時々書くことだが、私が小学4年生の時、何の知識も手がかりもなく天体望遠鏡で土星を見ようと思って、適当な星に望遠鏡を向けたら、いつも必ず土星だったとか、交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んでも安全だと確信して何度もやったが(くれぐれも真似しないよう)、かすり傷一つ負わなかったようなことも、似たようなことを、他の人だってやっているに違いないのだ。ただ、憶えていないのだ。

世間の教義や信念にひれ伏すことをやめ、子供のようになれば、あなたもそんなことを思い出す。
萩尾望都さんの『ハワードさんの新聞広告』という漫画で、お金持ちのハワードさんは、世にも珍しい「飛ぶ子供」を、その子の母親に大金を払って奪い取った。だが、その子供は、なだめても、おだてても、おどしても一向に飛ばない。ハワードさんの屋敷の客が、その子に、「あなたはただの子供じゃないの?」と聞くと、その子は、「ただの子供だよ」と答え、騙されたと知ったハワードさんは激怒し、その子供に、「お前を一生閉じ込めてこき使ってやる」と言う。その時、その子は逃げようとして高い窓に飛び上がり、窓に体当たりして壊し、怪我をしながら言う。「ただの子供はみんな飛ぶんだ」
飛び去った子供を見て、ハワードさんの所有物である若いオペラ歌手の男は、急に楽しい気分になり、ハワードさんに、ここを出て行くと言う。子供の頃のことを思い出したのだ。

イエスも、子供のようにならなければ、天国に入れないと言った。だが、子供とはどのようなものなのだろう?
まず、大人との違いで言えば、子供というものは、成果のために何かしたりはしないのだ。
大人なら、がんばって勉強して受験に合格するとか、仕事に励んで昇進しようとかいうのは普通だろう。
しかし、子供にとっては、「新聞を取ってきたらお菓子をあげるよ」程度なら分かるが、「次の試験で10番以内だったら自転車を買ってあげるよ」というのは異質なのだ。そして、そんな考え方を身に付けると、子供ではなくなる。
大人でも、成果を期待せずに仕事をする人が、子供のような人だ。
人のために何かをしてあげても見返りは考えていない。人々のために何かをしても、賞賛も報酬も期待しない。勉強しても、何か得をしようと思ってのことじゃあない。

ラマナ・マハルシが言っていた。「賢者と子供はある意味で似ている。子供は遊んでいる時は夢中だが、終わってしまうと何も憶えていない」
『荘子』にも、「至人(最高の人間)の心は鏡のようなものだ。来るものはそのまま映すが、去ってしまえば何の痕跡も残さない。よって、絶対に傷つかない」とある。

子供のようになれば、本当は自分が天使や妖精と親しく、自分も魔法使いであることを思い出すだろう。







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