小市民、小善人というものが嫌いなら、あなたはまだ若いが、反感を感じないなら、年齢は若くても年寄りだ。
こそ泥ってのは、普段は小市民のお仲間だ。ケチな犯罪で捕まるやつって、大抵、「仕事熱心」「いい先生」と評判だったって報道されているものなのだよ。そして、実際、その通りだったのだ。
小悪党は蔑まれるが、大悪党はヒーローになることがある。通り魔殺人なんてことをやらかすのは、絶対に小悪党なのだ。どうせなら、大悪党になればよかったのだが、そのパワーが無かったのだ。
我が国の総理大臣がペテン師と呼ばれて、何が一番悲しいかというと、それが「小ペテン師」であることだ。あれはどう見てもケチな嘘、ケチな詐欺なのだ。仮にも総理なのだから、大ペテン師でなければならないし、そうであれば、何の問題も無いのだ。かつての大ペテン師の総理は、日本を良くしたのだ。我々も、小ペテン師と大ペテン師の区別を付けないといけない。
そして、自分の小さな価値観で善悪、大小を決め付けてはならない。
反骨ってのは、権威、権力、時代風潮に逆らうことで、世間の教義や信念にひれ伏すことを拒否することだが、最も反骨から遠いのが小市民、小善人だ。
アインシュタインは、穏やかで親切な人ではあったが、大変な反骨精神の持ち主だった。ドイツにいた頃、ナチスによりアインシュタインの首に高値の懸賞金がかかっていると噂された時も、彼は信じることを主張したのである。
小市民、小善人が一番悪い。そんなものになるくらいなら大悪人にならねばならない。
では、大善人、大悪人とは何であろう?
世界には、大きな流れがある。それは、個人の視点、人類の視点の流れではなく、地球全体、宇宙全体の流れだ。
その流れに協力し、流れを強め、推し進めるのが大いなる者で、それに善人、悪人の区別は無い。
逆に、その流れに協力しないばかりか、それを押し留め、別の方向や逆の方向に流そうとしたがるのが小さい者である。
小市民、小善人は、役に立たないばかりか、悪いのであり、大勢いる場合が多いのであるから、大変に悪いのである。
世界の流れの1つは、差別の無い世界だが、差別を作り出しているのは小市民、小善人だということがお分かりだろうか?大悪人が、生まれや人種にこだわったなんて話は無い。
世界の大きな流れは、万物が調和した平安な世界で、その中で、活発であることだ。宇宙にもどんどん進出するが、誰も利権を得ない形で行われる。教育制度は現在のものとは全く違ったものとなり、真の文化や芸術が花開くのである。
世界の流れを進める活動をするなら、嫌でも成功するし、それに逆らえば破滅する。
成功したいなら、世界の流れを感じるようになることだ。真の自分にはそれが分かる。実に、世界の流れを創っているのは真の自分である。本当の自分を知ることがいかに大切であるか、それで分かると思う。
この子、本来の末は・・・後世に名を刻む芸術家か、万民を動かす政治家か、勇を戦場に馳せる武人か、悪業人心に轟かす咎人か・・・あるいは、それらの母か・・・
この子は、この子こそは、我“天壌の劫火”の“王たる存在”を容れるに足る器を時空に広げる『偉大なる者』なのだ
~「灼眼のシャナ」(高橋弥七郎著)272頁より~
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こそ泥ってのは、普段は小市民のお仲間だ。ケチな犯罪で捕まるやつって、大抵、「仕事熱心」「いい先生」と評判だったって報道されているものなのだよ。そして、実際、その通りだったのだ。
小悪党は蔑まれるが、大悪党はヒーローになることがある。通り魔殺人なんてことをやらかすのは、絶対に小悪党なのだ。どうせなら、大悪党になればよかったのだが、そのパワーが無かったのだ。
我が国の総理大臣がペテン師と呼ばれて、何が一番悲しいかというと、それが「小ペテン師」であることだ。あれはどう見てもケチな嘘、ケチな詐欺なのだ。仮にも総理なのだから、大ペテン師でなければならないし、そうであれば、何の問題も無いのだ。かつての大ペテン師の総理は、日本を良くしたのだ。我々も、小ペテン師と大ペテン師の区別を付けないといけない。
そして、自分の小さな価値観で善悪、大小を決め付けてはならない。
反骨ってのは、権威、権力、時代風潮に逆らうことで、世間の教義や信念にひれ伏すことを拒否することだが、最も反骨から遠いのが小市民、小善人だ。
アインシュタインは、穏やかで親切な人ではあったが、大変な反骨精神の持ち主だった。ドイツにいた頃、ナチスによりアインシュタインの首に高値の懸賞金がかかっていると噂された時も、彼は信じることを主張したのである。
小市民、小善人が一番悪い。そんなものになるくらいなら大悪人にならねばならない。
では、大善人、大悪人とは何であろう?
世界には、大きな流れがある。それは、個人の視点、人類の視点の流れではなく、地球全体、宇宙全体の流れだ。
その流れに協力し、流れを強め、推し進めるのが大いなる者で、それに善人、悪人の区別は無い。
逆に、その流れに協力しないばかりか、それを押し留め、別の方向や逆の方向に流そうとしたがるのが小さい者である。
小市民、小善人は、役に立たないばかりか、悪いのであり、大勢いる場合が多いのであるから、大変に悪いのである。
世界の流れの1つは、差別の無い世界だが、差別を作り出しているのは小市民、小善人だということがお分かりだろうか?大悪人が、生まれや人種にこだわったなんて話は無い。
世界の大きな流れは、万物が調和した平安な世界で、その中で、活発であることだ。宇宙にもどんどん進出するが、誰も利権を得ない形で行われる。教育制度は現在のものとは全く違ったものとなり、真の文化や芸術が花開くのである。
世界の流れを進める活動をするなら、嫌でも成功するし、それに逆らえば破滅する。
成功したいなら、世界の流れを感じるようになることだ。真の自分にはそれが分かる。実に、世界の流れを創っているのは真の自分である。本当の自分を知ることがいかに大切であるか、それで分かると思う。
この子、本来の末は・・・後世に名を刻む芸術家か、万民を動かす政治家か、勇を戦場に馳せる武人か、悪業人心に轟かす咎人か・・・あるいは、それらの母か・・・
この子は、この子こそは、我“天壌の劫火”の“王たる存在”を容れるに足る器を時空に広げる『偉大なる者』なのだ
~「灼眼のシャナ」(高橋弥七郎著)272頁より~
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