生まれつき優秀な者というのがやはりいるのだろうと思わせられることがよくあった。私は、高校生位の時まで、彼らのことを「優良星の住人」と呼び、自分とは種族が違うのに、なぜ同じ星の上にいるのだろうと思ったものだ。別に学校の成績だけのことではないが、学校では、成績で扱いが全く異なるのであるから、物事を達観できるような歳になるまでは、成績を全く意識しないわけにもいかない。小学校の低学年の頃、1学期が終わって通知表をもらって帰る時、顔見知りの男子に会い、私の成績が「まあ良かった」とその子に言ったところ、彼は自信たっぷりに笑いながら「僕はオール5だよ」と言う。こちらは、5はおろか4の1つも無い。私だって不真面目にやっているわけではないのに、なぜこうなるのだろうと思ったものだ。抜群の成績の彼らも努力はしているのだろうが、努力を効率よく結果に結びつける方法が身に付いているということは言えると思う。彼らの家に行くと、やはりその家全体の雰囲気が自分の家とは違う。やはり金持ちが多く、親もかっちりとした感じでとても落ち着いているし、その子の部屋の様子も、いかにも勉強の出来る子のものと感じた。そんな子の1人に、「お母さんに、君のような子と付き合っちゃいけないと言われた」と伝えられた時は、妙に納得したものだ。また、今、思い出しても、成績だけでなく、ものの考え方という点でも、彼と当時の私とでは大変な違いだった。
まあ、そんな子達が、性格でも悪ければ、我々も救われるところがあるかもしれないが、その方面でも彼らの方がずっと上なのである。だが、彼らを見ていると、彼らは何か悪いことをしたがっているのを発見することがよくあったし、実際、人のものを盗むとか、隠れて悪いことをやっているのを私は知っていた。そういうことでストレスを解消しなければならない事情があるのだろう。映画やテレビドラマでは、そういった裏の面を持たない優等生もよく見る。私とて、あらゆる優等生を見たわけではないので、実際のところは今でも分からないが、そういったパーフェクトな子もいるのだろうと思うようになり、それで、最初に書いたように、自分とは根本的に何かが違う「優良星の住人」がいるのだろうと思ったのである。

エジソンやアインシュタインは学校の成績は良くなかったらしい。彼らは、頭は良くても記憶力が悪かったと言われることもあるが、それよりも、学校で「これはこうだ」と教えられても、彼らの想像力がそれを納得しなかったので、良い成績を得るには効率が悪かったのだろう。例えば、「1たす1は2」と教えられても、「2つが融合すれば、やはり1だ」とか、「1と1から何かが発生して3になる場合が多いと感じる」と、思考が広がるのである。実に、想像力が大きければ大きいほど、試験で良い成績を取るには都合が悪いというよりは、不向きなのである。エジソンは8歳くらいで学校をやめ、アインシュタインは大学の入学試験に合格できず、制度を利用して無試験入学したらしい。
他にも、小学校をやめていたり、あるいは、小学校に入学もしなかった天才的な発明家を知っているが、私の知る以外にも案外にいると思う。私が知る人達は、医療分野や精密機械分野の人達だ。
学校で良い成績を取るには、思考の範囲を限定する必要は確かにあるだろう。ある意味でだが、学校での優等生になる訓練というのは、想像力を抑えることと言えると思う。

結論を言えば、人間に根本的な能力の差は、おそらく、0.1グラムも無いと思える。
ある見方での頭の良さの違いというのは確かにある。心理学者のアブラハム・マズローは、大学院生の時、知能テストを受けてみたら、彼のIQ(知能指数)は197で、その名門大学の歴史でも2番目の成績だった。その時マズローは、それまでの自分の人生を振り返り、「ああ、やっぱりそうだったのか」と納得したらしい。彼は、自分の頭が良いとは思っていなかったが、もし他の人より自分の方がずっと頭が良いなら、いろいろなことがすんなり説明できることに気付いたのだ。例えば、他人と議論しても、自分の論の方が正しいと感じていたとかいうことである。
だが、そういった頭の良さというのも実は些細なことではないかと思う。ある平凡な日曜音楽家が、一瞬の天啓を受けて作った曲が世界に誉れ高いフランス国歌になったが、彼はまだ音楽を趣味としていたので譜面を作れたのである。だが、天の音楽を聴きはしても、形に残さなかった者や、科学的な記載の方法を知らないので、それで世に出ることは無いながら、究極の原理を知っていたという者もいると思うが、それは、案外に誰にでも起こり得ることだと思う。電波工学の世界的権威であった関英男博士も、勉強しなくても何でも分かる人というのは、やはりいるし、今後は増えてくるのではと著書に書かれていた。もちろん、のんべんだらりとして何もせずに大発明が出来るわけではないだろうが、関博士の意見は私にも不自然なこととは思えない。
つまり、学校の成績といったものより大切なものがあるということなのだと思う。その大切なものを見つけた者が、大きなことをなしうるのだし、今後、そういったことがますます多くなるに違いない。









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