1977年に書かれた、世界的な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの著書のタイトル『不確実性の時代』は日本でも流行語になった。
だが、いつの時代でも、世の中なんて、良いことに関しては、不確実であることだけが確実なのである。
例えば、会社に入社し、将来、部長から重役、そして、副社長、社長へと出世できる可能性は、よほどの理由が無い限り不確実である。
ところが、悪い方、つまり、部長にならないとか、解雇されるとかなら、確実に実現できるのである。仕事に身を入れなければ、いかに才能があっても部長になれないし、1ヶ月も無断欠勤すれば、どれほど温情ある会社でも解雇されるだろう。
受験であれば、特殊な場合を除き、確実に志望校に合格する方法はない。ただ、可能性を高める方法があるというだけだ。しかし、確実に不合格になる方法はある。
憧れのあの子を恋人に出来るかどうかは不確実でも、確実に嫌われる方法ならあるだろう。
極悪非道なテロリストに拉致されたら、生き延びられるかどうかは不確実だが、確実に殺される方法ならやはりあるのだ。

悪いことだけが確実な世の中で、神に頼る人がいるのも不思議なことではない。「いや、俺は神なんか信じていない」と言う人だって、極限状態になれば分からないのだ。
かつて、若き日のスティーブ・ジョブズがインドに行った時、とんでもないスコールに見舞われたことがあった。恐怖したスティーブは、神に「助けてくれたら良い人間になります」と祈ったそうだ。彼がその誓いを守ったかどうかは知らないが・・・

イスラム教では、良いことも悪いことも、神の思し召しとして受け入れると聞いたことがある。
彼らは、人と会う約束をする時でも、「神が望むなら、明日の8時に会いましょう」などと言うのだそうだ。しかし、これは、もし寝坊して約束の時間に遅れても、「会うことを神が望まれなかった」ということにして、神に責任を押し付けることができるということだ。日本人からすれば、「そんなアホな」と思うかもしれないが、これが実に都合が良い場合がある。約束を守らなくても、例えば、借金を返さなくても、「俺のせいじゃない。神の思し召しだ」と開き直るふてぶてしさがあり、実際、タフなものだ。別に悪意は無くても、誠実に努力しながら借金を返せない場合もあるだろうが、そんな時、「俺のせいじゃない。神の思し召しだ」と思うことは、悪いことじゃないかもしれない。少なくとも、そんな心構えのない日本人ほどは精神的に追い詰められず、自殺者も少ないはずだ。

とはいえ、イスラム教信者が全て幸福なわけではない。実際は、争いや不満も多いだろう。ただ、参考にはなると言える。

ところで、俗世だって、こんなことは言える。
「流れに乗れなければ滅び、流れに乗れば生き残る。そして、流れを作り出せば勝てる。」
これは、アメリカのノベルという大手ソフトウェア会社が、最も隆盛を誇った1990年代に、その社長が言った言葉だと記憶している。一瞬、雑誌で見ただけだが、非常に印象的だったのでよく憶えている。
そして、俗世を超えた世界にも流れがあるのだ。
世間的には認めてはもらえぬだろうが、金融破綻したり、大災害が起こったりするのは、その流れに逆らった結果なのだ。販売やサービスをせず、金を動かすだけで利益を上げていると、いつか破綻するなんてのは、大昔にヘンリー・フォードだって言ってたし、地上の高天原である日本の聖地、陸奥(神の道の奥義の意)の地で原発を動かせば何が起きても不思議は無い。
その流れは、学識も情報もなくても、誰にでも分かる。そして、それに沿った行いをしている限り、確実なのである。
その流れを作っているのは、我々には見えない何かだ。それを神と言っても良いだろうし、宇宙の英知としても良いと思う。
そして、その流れとは、一言で言うなら世界平和であろう。なら、その方向である、調和をもたらす行いをしている限り、安全なのである。
ジョージ・アダムスキーは、「神が最も確実な保障」と言ったが、世界的な非難を背負った彼が、全く平気で、悠々と大きな活動を行っていたことから考えても、真実味がある。
ある社長が、「社員の生活を保障するのは社長の仕事」と言っていたが、その会社は実に確実に成長している。確かに勘の鋭い、流れの読めそうな社長だった。
何のことはない。俗世でも、もっと高い世界でも、本当は確実で不安はないのである。それは、夜が明ければ必ず太陽が昇るようなものだ。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ