今でも、人々は新年には神社やお寺に参拝するし、子供の七五三の宮参りなどはしない人の方が少ないと思う。
また、普段でも、何か困ったことや切実な願いがあると、神頼みをすることも多いだろう。
そこで、自由自在な人間である私のとっておきの神頼みのお話をしたく思う。どんな偉い人も言わなかった秘伝と言えると思う。

私なら、お金が欲しければ、ただ、「神様、お金を下さい」だけである。
別にどこにも行かないし、儀式もしなければ断食もしない。無理に何かをしたり、反対に、何かをやめたりもしない。生贄も貢物も差し出さない。
願い事を何度も言わないし、そもそも、声に出して言わない。本当は、想う必要すらない。ましてや、紙に書いたりなんかしない。
お賽銭なんかもしない。絵馬も作らない。もし、そんなことをしても忘れている。
「ツイてる、ツイてる」なんて唱えないし、「ありがとうございます」とも言わない。「皆様によきことが雪崩のように起こりますように」なんてことも言わない。
早い話が、卑しいこと、神様を見くびること、身の程を知らないこと、神様を信じていないことの裏返しみたいなことは一切しない。

願い事は忘れた頃に叶うと言うが、私は最初から憶えていない。
誰が願ったのかも知らない。
ただ、願い事や、願った者のことを憶えていたら、河の渦巻きを見るように、それを眺めている。

神頼みは、ついでなのだ。
人というのは、願ってみないと神様がいることが分からない。それで、神様がいることが分かれば、後は忘れてしまうのだ。
神様がいるなら、別に願う必要もない。願い事もない。
以前も書いたが、「究極の技とは技を持たないこと」、「究極の音楽の技法とは音楽を用いないこと」である。
そして、究極の神頼みとは、求めないことなのだ。







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