昨日、本当にびっくりするようなことがあった。
今月の4日に書いたが、私は、子供の時、「空手戦争」という漫画を読み、主人公の18歳の空手家、大神達矢の「けおされてなるか!」というセリフを見て、意味が分からずにずっときていた。だが、この言葉を憶えていた。
それが、先月、「涼宮ハルヒ」シリーズとしては4年振りに続刊が出た、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)の46ページに、
その威勢のいい口調にやや物理的に気圧されるものを感じ、俺はちょっと仰け反りつつ、
とあり、気圧されるは、「けお」されるとふりがなが打ってあったので、私は遂に、子供時代の疑問を解決したのである。
ところで、私は、平坂読さんの「僕は友達が少ない」を、多分、そのタイトルに惹かれたのであろうが(私も、友達は少ないというか、いない)、本の存在自体は知っていながら、あまり関心を持っていなかった。
それが、「涼宮ハルヒの驚愕」の発売を待っている間に、なぜか読みたくなり、何の気なく読み始めたが、「涼宮ハルヒの驚愕」が発売され、また、それが素晴らしかったことから、「僕は友達が少ない」は、2巻までで、読むのはやめた気でいた。
ところが、これを気の迷いというのだろうか、なぜか「僕は友達が少ない」の3巻を読んだところ、そのラストで、私は完全に「落とされた」。つまり、完璧に引き込まれた。著者の力量もやっと認識した。
それで、すぐに4巻を読み始めたのが昨日だったが、なんと、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)と同じ、46ページに、
何度も本物の不良に絡まれたことがある俺が気圧されるなんて・・・・・・。
とあり、やはり、気圧されるに、「けお」されるとふりがなが打ってあった。
こういうのを、カール・グスタフ・ユングが、ノーベル賞物理学者ヴォルフガング・パウリと議論し、共著として出版した本の中で語られたシンクロニシティー(共時性。意味のある偶然の一致)というのであろうか?
「涼宮ハルヒの驚愕」で、主人公の高2男子キョンを気圧したのは、1学年下の、可憐で明るく、元気いっぱいだがエキセントリック(変わり者)な、小柄な少女、渡橋泰水(わたはしやすみ)だった。(もっとも、キョンはハルヒには気圧されっぱなしだが。)
「僕は友達が少ない」で、やはり、主人公の高2男子、羽瀬川小鷹を気圧したのは、クラスメイトで、友達はいないが、容姿だけは掛け値なしの美少女(逆に、容姿以外はいろいろ残念)、三日月夜空だ。
この2人の美少女、渡橋泰水と三日月夜空は、全く別種類だが、驚愕の秘密を持つ。面白いと思うので、良ければ読んでみて欲しい。宇宙の神秘を感じるはずだ・・・まあ、これは独断だが、美少女の秘密なんてこの世の神秘以外のなにものでもないだろう。
ところで・・・。
「涼宮ハルヒ」シリーズと、「僕は友達が少ない」は、酷似したところも確かにある。
読むことをお奨めするので、ネタバラシはしないが、広告程度のことを言おう。
まず、共に、極めておかしな部活が創部されることが、物語の発端となる。
それも、ヒロインの女子の一方的なリードで創部が進められ、主人公の男子は、訳が分からないまま引っ張りまわされるだけというのも同じだ。
まあ、イケメンでもなければ何か特技がある訳でもない主人公の草食系男子が、なぜか、ほぼ全ての美少女ヒロイン達に慕われ、メインヒロインがツンデレというのは、昨今の学園もの漫画やライトノベルの定番かもしれない。そのツンデレのヒロインが必ず、際立った美少女というのも、いろいろな意味で当然のことだろう。
尚、蛇足だが、「ツンデレ」も「ライトノベル」も俗語である。ツンデレは、ツンとデレの合成語で、一部の少女によくある、普段はツンツンしているが、恋愛に対しては気後れのある、根は純情なタイプで、なかなか可愛い。ただ、美少女でないとサマにならないという特性はよく理解しておかないといけない。ライトノベルというのも、実際にそんな小説がある訳ではなく、小説以外のなにものでもないが、特に若い人を対象とした雰囲気があり、漫画的な挿絵が重要な要素となっていると思われる小説だ。
日本を代表する大小説家の筒井康隆さんまで、最近ではライトノベルと自身が言う作品を発表している。その挿絵を描くのは、「涼宮ハルヒ」シリーズや、やはり大ヒットライトノベルである「灼眼のシャナ」(高橋弥七郎著)の挿絵で有名な人気イラストレーター、いとうのいぢさんだ。そもそも、筒井康隆さんの歴史的な作品である「時をかける少女」は、元々が学習誌(中学3年生~高校1年生用)に掲載された、ライトノベルのはしりと言える作品かもしれない。
涼宮ハルヒも友達がおらず、クラスで浮いた存在であったが、本人はそれを悪いこととは思っておらず、むしろ、一般の友人関係を馬鹿にしたような雰囲気がある。それは、「僕は友達が少ない」のヒロイン夜空も同じだ。
私は、彼女達の感性(著者の感性であろうが)は正しいと感じる。
学校というものは、彼女達が軽蔑するような友達関係を築かないと、極めて不快で困ったことの多い場所であり、そのことが、学校が国家思想や経済至上主義を叩き込む洗脳の場所となるために強力に働いている。
友達がいないというのは、まともな思考を保つ、厳しいが唯一の道であり、それを実践している彼女達の勇気は賞賛される。経験的に、男であれば、友達がいなくても、精神さえ鍛えていれば、さほどのことはない。しかし、女の子には過酷なことであろう。無視されて自殺する男子の話はあまり聞かないが(皆無ではない)、女子では、その危険性のある状況はかなり多いはずだ。
W.B.イェイツは「精神は孤独の中でしか、本当に鍛えられない」と断言したが、それは、男に対してのことと言っておきたい。だが、ハルヒや夜空には、可憐な少女の身でそれを成し遂げた崇高な迫力がある。それでも、夜空の調理実習の思い出話はいたたまれない。
「僕は友達が少ない」の主人公、小鷹は、本人の意ではなく、容姿のせいで友達が出来なかった。だが、それで彼はいい感じに鍛えられたような雰囲気がある。何か、イェイツの言葉を実感として感じる。私も友達はいないのだが、多少は精神が強くなったであろうかと思う。
ある、TVCMも出している大手学習塾運営会社の社長が「涼宮ハルヒの憂鬱」を読み始めたが挫折したという話を聞いたことがある。昨今の学習塾は、決して、公教育と張り合う関係ではなく、どちらかというと融通し合う関係である。もし、学校や大手塾の校長や教師が、「涼宮ハルヒ」シリーズや「僕は友達が少ない」を楽しく読めるとしたら、私は気味が悪い。イエスの教えを崇めながら虐殺を行うという、歴史にもよくある暴君やその配下の者たちと同じで、恐ろしく混乱した人間であろう。子供たちの災いは果てしない。
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今月の4日に書いたが、私は、子供の時、「空手戦争」という漫画を読み、主人公の18歳の空手家、大神達矢の「けおされてなるか!」というセリフを見て、意味が分からずにずっときていた。だが、この言葉を憶えていた。
それが、先月、「涼宮ハルヒ」シリーズとしては4年振りに続刊が出た、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)の46ページに、
その威勢のいい口調にやや物理的に気圧されるものを感じ、俺はちょっと仰け反りつつ、
とあり、気圧されるは、「けお」されるとふりがなが打ってあったので、私は遂に、子供時代の疑問を解決したのである。
ところで、私は、平坂読さんの「僕は友達が少ない」を、多分、そのタイトルに惹かれたのであろうが(私も、友達は少ないというか、いない)、本の存在自体は知っていながら、あまり関心を持っていなかった。
それが、「涼宮ハルヒの驚愕」の発売を待っている間に、なぜか読みたくなり、何の気なく読み始めたが、「涼宮ハルヒの驚愕」が発売され、また、それが素晴らしかったことから、「僕は友達が少ない」は、2巻までで、読むのはやめた気でいた。
ところが、これを気の迷いというのだろうか、なぜか「僕は友達が少ない」の3巻を読んだところ、そのラストで、私は完全に「落とされた」。つまり、完璧に引き込まれた。著者の力量もやっと認識した。
それで、すぐに4巻を読み始めたのが昨日だったが、なんと、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)と同じ、46ページに、
何度も本物の不良に絡まれたことがある俺が気圧されるなんて・・・・・・。
とあり、やはり、気圧されるに、「けお」されるとふりがなが打ってあった。
こういうのを、カール・グスタフ・ユングが、ノーベル賞物理学者ヴォルフガング・パウリと議論し、共著として出版した本の中で語られたシンクロニシティー(共時性。意味のある偶然の一致)というのであろうか?
「涼宮ハルヒの驚愕」で、主人公の高2男子キョンを気圧したのは、1学年下の、可憐で明るく、元気いっぱいだがエキセントリック(変わり者)な、小柄な少女、渡橋泰水(わたはしやすみ)だった。(もっとも、キョンはハルヒには気圧されっぱなしだが。)
「僕は友達が少ない」で、やはり、主人公の高2男子、羽瀬川小鷹を気圧したのは、クラスメイトで、友達はいないが、容姿だけは掛け値なしの美少女(逆に、容姿以外はいろいろ残念)、三日月夜空だ。
この2人の美少女、渡橋泰水と三日月夜空は、全く別種類だが、驚愕の秘密を持つ。面白いと思うので、良ければ読んでみて欲しい。宇宙の神秘を感じるはずだ・・・まあ、これは独断だが、美少女の秘密なんてこの世の神秘以外のなにものでもないだろう。
ところで・・・。
「涼宮ハルヒ」シリーズと、「僕は友達が少ない」は、酷似したところも確かにある。
読むことをお奨めするので、ネタバラシはしないが、広告程度のことを言おう。
まず、共に、極めておかしな部活が創部されることが、物語の発端となる。
それも、ヒロインの女子の一方的なリードで創部が進められ、主人公の男子は、訳が分からないまま引っ張りまわされるだけというのも同じだ。
まあ、イケメンでもなければ何か特技がある訳でもない主人公の草食系男子が、なぜか、ほぼ全ての美少女ヒロイン達に慕われ、メインヒロインがツンデレというのは、昨今の学園もの漫画やライトノベルの定番かもしれない。そのツンデレのヒロインが必ず、際立った美少女というのも、いろいろな意味で当然のことだろう。
尚、蛇足だが、「ツンデレ」も「ライトノベル」も俗語である。ツンデレは、ツンとデレの合成語で、一部の少女によくある、普段はツンツンしているが、恋愛に対しては気後れのある、根は純情なタイプで、なかなか可愛い。ただ、美少女でないとサマにならないという特性はよく理解しておかないといけない。ライトノベルというのも、実際にそんな小説がある訳ではなく、小説以外のなにものでもないが、特に若い人を対象とした雰囲気があり、漫画的な挿絵が重要な要素となっていると思われる小説だ。
日本を代表する大小説家の筒井康隆さんまで、最近ではライトノベルと自身が言う作品を発表している。その挿絵を描くのは、「涼宮ハルヒ」シリーズや、やはり大ヒットライトノベルである「灼眼のシャナ」(高橋弥七郎著)の挿絵で有名な人気イラストレーター、いとうのいぢさんだ。そもそも、筒井康隆さんの歴史的な作品である「時をかける少女」は、元々が学習誌(中学3年生~高校1年生用)に掲載された、ライトノベルのはしりと言える作品かもしれない。
涼宮ハルヒも友達がおらず、クラスで浮いた存在であったが、本人はそれを悪いこととは思っておらず、むしろ、一般の友人関係を馬鹿にしたような雰囲気がある。それは、「僕は友達が少ない」のヒロイン夜空も同じだ。
私は、彼女達の感性(著者の感性であろうが)は正しいと感じる。
学校というものは、彼女達が軽蔑するような友達関係を築かないと、極めて不快で困ったことの多い場所であり、そのことが、学校が国家思想や経済至上主義を叩き込む洗脳の場所となるために強力に働いている。
友達がいないというのは、まともな思考を保つ、厳しいが唯一の道であり、それを実践している彼女達の勇気は賞賛される。経験的に、男であれば、友達がいなくても、精神さえ鍛えていれば、さほどのことはない。しかし、女の子には過酷なことであろう。無視されて自殺する男子の話はあまり聞かないが(皆無ではない)、女子では、その危険性のある状況はかなり多いはずだ。
W.B.イェイツは「精神は孤独の中でしか、本当に鍛えられない」と断言したが、それは、男に対してのことと言っておきたい。だが、ハルヒや夜空には、可憐な少女の身でそれを成し遂げた崇高な迫力がある。それでも、夜空の調理実習の思い出話はいたたまれない。
「僕は友達が少ない」の主人公、小鷹は、本人の意ではなく、容姿のせいで友達が出来なかった。だが、それで彼はいい感じに鍛えられたような雰囲気がある。何か、イェイツの言葉を実感として感じる。私も友達はいないのだが、多少は精神が強くなったであろうかと思う。
ある、TVCMも出している大手学習塾運営会社の社長が「涼宮ハルヒの憂鬱」を読み始めたが挫折したという話を聞いたことがある。昨今の学習塾は、決して、公教育と張り合う関係ではなく、どちらかというと融通し合う関係である。もし、学校や大手塾の校長や教師が、「涼宮ハルヒ」シリーズや「僕は友達が少ない」を楽しく読めるとしたら、私は気味が悪い。イエスの教えを崇めながら虐殺を行うという、歴史にもよくある暴君やその配下の者たちと同じで、恐ろしく混乱した人間であろう。子供たちの災いは果てしない。
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学生時代はグループの上手な作り方が分からなくて、一人ぼっちで行動するのが恥ずかしかった。
けど、そんな風に感じる私自身が寂しい人間ですよね。
今でも思い出すと胸が苦しくなります。
堂々とできる、彼女たちの強さに憧れます。
読んでみます。ありがとうございます。