我々は、「何かおかしい」と思うことはあっても、「何か正しい」と思ったりはしない。
4 + 3 = 7
という数式を見て、これが正しいと思うのではなく、「間違いじゃない」と思ってるだけなのだ。
つまり、人間は、真理なんてのは分からないけど、虚偽ってのは分かるんだ。
ただ、熱心に考えないと、間違いが分からず、そのまま放置すると、間違ったことにも、「おかしい」と思わなくなってしまう。

学校で、試験のためにだけ暗記をさせられて、本当は、「おかしい」と思うものだ。しかし、教師に言われた通りに暗記していると褒められるけど、暗記していないと、いろいろ嫌な目に遭わされる。それで、「おかしい」って感覚を抑えつけてしまう。
一方、ちゃんとした勉強なら、おかしな感じはしないはずだ。おかしくないことが出来るのが楽しいことなのだ。

アインシュタインは、学校で暗記を強要された時の「おかしい」という自分の感覚を正しいと信じた。それが正しいと思ったら、誤魔化すことはしたくなかったのだ。
それで、彼は、どんな嫌な目に遭わされても、教師に従わなかった。教師に屈辱を与えられ、クラスメイトに笑われても、彼は、じっと黙って耐えていたと伝えられている。
アインシュタインは、別に記憶力が悪いわけではなかったのだけれど、つまらないことを暗記してまで大学に受かろうとしなかった。それで、試験では大学に入れなかった(制度を利用して無試験入学した)。
アインシュタインが、貴重な真理を発見したのは、その「おかしい」という感覚を持ち続け、さらに磨いたからだ。
天才の秘密とはこれなのだ。
学校秀才には天才がいないどころか、人間として大切な感覚すら失くすのだ。自分でもそれがおかしいと分かっているのに、残念ながらそこから離れられない。そして、内面や家庭で惨めな状態になってしまっているのである。

デカルトは「我思うゆえに我あり」と言ったのではなく、本当は「疑っている私は確かに存在している」と言ったのだ。知り合いの神父が、ラテン語でカッコよく言ったあの言葉が有名になってしまったのだ。
デカルトもまた、アインシュタインのように、疑うことのできる驚異を感じていたのだ。

数学の効用の1つは、誤りに気付く感覚と知恵を磨くことだ。
よく、数学者の本当の能力は20歳そこそこまでと言われるが、世間に馴染むと、「おかしい」と思う感覚がなくなるのだ。しかし、岡潔という数学者は、年を取るほどに鋭くなっていったものだ。
数学も良いけれど、手軽で実用的なものとして、コンピュータプログラミングは、「おかしい」の感覚を磨くのに実に相応しいものだ。ビル・ゲイツが、「コンピュータプログラミングは科学であり、純粋に数学的なもの」と言ったのはそのことだ。自分の書いたプログラムコードを眺めていると、ある部分で「おかしい」と直感する。で、調べると、やはり間違っているのだ。素晴らしい直観力養成訓練でありながら、金にもなるのだ。
ちょっと余談であった。

「おかしい」という感覚を大切にして欲しい。
原発には「おかしい」が沢山あるし、やたらテレビやネットで見るグルメブームも「おかしい」って、ちゃんと分かるものなのだ。
だが、日本人は、食料の半分以上を廃棄していることを「おかしい」と思わないのだ。
東日本大震災の被災者に、いまだ避難所暮らしをさせていることを「おかしい」と思わないのだ。
何かおかしいんじゃないか?世間を、そして、自分の心を健全に疑って欲しい。







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