催眠術というものは、別に神秘なものでも何でもないのだが、普通の人は、それをよく知らないという理由で、過剰な印象を持ってしまう。
自己開発セミナー等で、講師が受講者の1人を選び、特別な声の調子や身振り手振りと共に、その受講者に目を閉じさせたり、何かを指示したりした後、講師が「あなたは自分の名前が分からなくなる」と言うと、「名前は?」と聞かれた受講者は、いくらがんばっても自分の名前を言えない。そして、講師は、「私はあなたのお父さんだ」と言った後で、「私は誰ですか?」と聞くと、受講者は「え・・・と、お父さんです」と言ったりする。
面白いところでは、「あなたは7歳だ」と言われた受講者は、7歳らしく話し、振舞い、その頃にあったこと(例えばテレビ番組)の話をしたりする。
他にも、数多くのパフォーマンスのバリエーションがある。
こういったことを催眠術だと言う講師はあまりいないし、中には、「これは催眠術ではない」と言って、何か特別な力によるものであると言う者もあるが、全て、単なる催眠術である。練習すれば、誰でも出来るものだ。
そして、我々は誰でも、既に数十、あるいは、数百以上の催眠術にかかっているのである。
誰でも高いところは恐いが、極端な高所恐怖症であれば、それは催眠術にかかっているのと同じである。
他人の異性の好みは理解し難いものであるが、どんな異性に惹かれるかも催眠術と同じ作用である。
「水戸黄門」という時代劇で、葵の紋所を見せると、大勢の悪者達がなぜか恐れ入って平伏するというお決まりの場面がある。あの悪者達も催眠術にかかっているのであり、黄門様達はそれを利用しているのだろう。そして、何より、あの番組により、国民は催眠術にかけられているのである。権威に逆らうのは恐ろしいことであるという催眠術である。
だが、本当は、催眠術には1つしかない。
それは、自分には限界があると思い込んでいるという催眠術だ。
新約聖書には、イエスが多くの奇跡を起こしたことが書かれている。重病人を手で触れただけで、あるいは、声をかけただけで完治させ、嵐を叱って鎮め、数個のパンと数匹の魚を増やして数千人の腹を満たした。
日本では、江戸末期の神道家、黒住宗忠がイエスのような奇跡を数多く起こし、また、イエス同様、弟子達にも行わせた。近代では、岡田虎二郎や植芝盛平らも、色々な不思議を行った。
しかし、それを聞いても、我々は、他愛もない作り話と思ってしまう。たとえ本当かもしれないと思っても、自分には出来ないと思ってしまう。
イエスは、弟子達が自分のようなことが出来なかったり、出来ると思ってもいなかったことを何度も嘆いている。せっかくいいところまで出来たのに完全にやれなかった弟子を叱ったこともあった。
イエスは、「私がやったことは誰でも出来る。いや、君たちはもっと大きなことが出来る」と言ったのだった。
そのために必要なことは、ただ、唯一の催眠術から醒めることだ。自分がイエスに及ばないと思い込んでいる催眠術である。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、師から「あなたは至高者である」と言われ、その言葉を忘れなかったので、何の努力をすることもなく、4年で催眠術から醒めた。つまり、悟りを開いた。しかし、4年もかかった。
関英男博士は、「私は元々超能力者である」と思うことを薦めていた。自分が超能力者でないという催眠術から醒めるためだ。
私は世界の所有者、
七つの星と太陽年の所有者、
シーザーの手腕、プラトンの頭脳の所有者、
主キリストの愛、シェイクスピアの詩の所有者。
~ラルフ・ウォルドー・エマーソン「精神について」より~
現代においては、催眠術の研究も参考になるかもしれない。しかし、異性を口説くとか、自分の都合のいいように人を操るとかの程度の低いものに関わってはならない。それは、よりひどい催眠術に好んでかかるようなものだ。下に良い書籍をご紹介する。
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自己開発セミナー等で、講師が受講者の1人を選び、特別な声の調子や身振り手振りと共に、その受講者に目を閉じさせたり、何かを指示したりした後、講師が「あなたは自分の名前が分からなくなる」と言うと、「名前は?」と聞かれた受講者は、いくらがんばっても自分の名前を言えない。そして、講師は、「私はあなたのお父さんだ」と言った後で、「私は誰ですか?」と聞くと、受講者は「え・・・と、お父さんです」と言ったりする。
面白いところでは、「あなたは7歳だ」と言われた受講者は、7歳らしく話し、振舞い、その頃にあったこと(例えばテレビ番組)の話をしたりする。
他にも、数多くのパフォーマンスのバリエーションがある。
こういったことを催眠術だと言う講師はあまりいないし、中には、「これは催眠術ではない」と言って、何か特別な力によるものであると言う者もあるが、全て、単なる催眠術である。練習すれば、誰でも出来るものだ。
そして、我々は誰でも、既に数十、あるいは、数百以上の催眠術にかかっているのである。
誰でも高いところは恐いが、極端な高所恐怖症であれば、それは催眠術にかかっているのと同じである。
他人の異性の好みは理解し難いものであるが、どんな異性に惹かれるかも催眠術と同じ作用である。
「水戸黄門」という時代劇で、葵の紋所を見せると、大勢の悪者達がなぜか恐れ入って平伏するというお決まりの場面がある。あの悪者達も催眠術にかかっているのであり、黄門様達はそれを利用しているのだろう。そして、何より、あの番組により、国民は催眠術にかけられているのである。権威に逆らうのは恐ろしいことであるという催眠術である。
だが、本当は、催眠術には1つしかない。
それは、自分には限界があると思い込んでいるという催眠術だ。
新約聖書には、イエスが多くの奇跡を起こしたことが書かれている。重病人を手で触れただけで、あるいは、声をかけただけで完治させ、嵐を叱って鎮め、数個のパンと数匹の魚を増やして数千人の腹を満たした。
日本では、江戸末期の神道家、黒住宗忠がイエスのような奇跡を数多く起こし、また、イエス同様、弟子達にも行わせた。近代では、岡田虎二郎や植芝盛平らも、色々な不思議を行った。
しかし、それを聞いても、我々は、他愛もない作り話と思ってしまう。たとえ本当かもしれないと思っても、自分には出来ないと思ってしまう。
イエスは、弟子達が自分のようなことが出来なかったり、出来ると思ってもいなかったことを何度も嘆いている。せっかくいいところまで出来たのに完全にやれなかった弟子を叱ったこともあった。
イエスは、「私がやったことは誰でも出来る。いや、君たちはもっと大きなことが出来る」と言ったのだった。
そのために必要なことは、ただ、唯一の催眠術から醒めることだ。自分がイエスに及ばないと思い込んでいる催眠術である。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、師から「あなたは至高者である」と言われ、その言葉を忘れなかったので、何の努力をすることもなく、4年で催眠術から醒めた。つまり、悟りを開いた。しかし、4年もかかった。
関英男博士は、「私は元々超能力者である」と思うことを薦めていた。自分が超能力者でないという催眠術から醒めるためだ。
私は世界の所有者、
七つの星と太陽年の所有者、
シーザーの手腕、プラトンの頭脳の所有者、
主キリストの愛、シェイクスピアの詩の所有者。
~ラルフ・ウォルドー・エマーソン「精神について」より~
現代においては、催眠術の研究も参考になるかもしれない。しかし、異性を口説くとか、自分の都合のいいように人を操るとかの程度の低いものに関わってはならない。それは、よりひどい催眠術に好んでかかるようなものだ。下に良い書籍をご紹介する。
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