日本には、昔から、言霊といって、言葉には霊力があり、使う言葉がものごと、出来事に影響を与えると考えられていた。
しかし、それは日本だけのことではない。聖書(旧約聖書)においても、「はじめに言葉ありき」から始まり、知恵ある人は言葉というものを軽く扱わなかった。
そして、いかなる国の言葉でも、その仕組みや成り立ちを調べれば、そこに驚くべき英知や神秘が認められるのである。

関英男博士は、人にとって最も重要なことは洗心であり、つまるところ、それが全てと述べておられた。
洗心とは辞書にも載っていない言葉であるが、文字を見れば意味は分かると思う。文字通りの、心を洗う、浄化するということだが、さらに日本的に言えば、穢れを祓うといった意味になろうか。
この世が3次元で、死後の世界を4次元とし、天界がもっと上としても、天界には階層があって、より高い天界というものがあるとも言われる。
そして、関博士は、Oリングテストでの測定であるが、洗心という言葉だけで14.7次元で、般若心経は極めて高いながら9.3次元と言うから、本当であれば大変なものである。
関博士は、科学者としては電波工学の世界的権威で、このブログで何度も取り上げたように、腕振り運動を普及させた人だ。そして、エマニュエル・スウェーデンボルグのように、高名な科学者でありながら、ある時期から、現代科学の範疇を超えた超科学(高次元科学)や、超能力、霊能力の研究を行ったせいで誹謗・中傷されたことも多いが、本人はそんなことは全く意に介さない高貴な人格者であったようだ。それは、橋本健博士や政木和三博士も同じであった。関博士は、腕振り運動のおかげで、90歳を超えても元気に世界中を飛び回り、頭脳も明晰で、常日頃は、膨大な海外の論文を取り寄せて研究に余念なく、著作にも励んでおられたようだ。

言葉に関する、面白い話がある。
1937年にアメリカの探検家ベアード.T.スポールディングによって書かれた「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本に、不思議な廟の話がある。廟とは、先祖などを祭る建物で、日本では、神を祭るほこらのことを神廟と言う。その本に書かれている廟は「神癒の廟」と呼ばれるもので、病人がその中を通るだけで治ってしまうということである。スポールディング達、アメリカの調査隊の面々が直接そこを訪れ、実際に確認し、記録したようだ。重症患者でも、一瞬で癒されることもあったという。多少の時間がかかる場合があっても、百パーセント治っているようであった(病気の根本原因である心が治っていない場合は再発するようだが)。
この廟で病気が癒される理由は、その廟の中では、長い年月の間、「生命、愛、平和」という言葉しか使われなかったからで、その言葉の波動が廟を満たしているからであるという。
こういったことを信じるかどうかは直感に頼るしかないが、我々も、常日頃、「生命、愛、平和」という言葉を頻繁に使っても、もちろん不利益はないし、おそらく、素晴らしく良い影響があると思う。
また、同書の別の箇所に書かれてたが、やはり、高い波動を持つ言葉のみが使われる、ある極めて古い建築物は、一切の補修を行ったことがなく、たとえ破損があっても、勝手に修復されるのだそうである。

もう少し、身近に感じるかもしれないことを話そう。
ジョセフ・マーフィーは、成功し、豊かになるためには、就寝の際、「成功、富裕」という言葉を静かに繰り返すことを薦めている。なぜ就寝時かと言うと、日中であれば、このような言葉は、意識が反発する危険が大きいからであり、私の考えでも、個人的欲望のせいで心が濁りやすいと思う。しかし、表の意識(顕在意識)が希薄になる、眠りに入る時であれば、それが起こりにくいのは確かだろう。それで、深い意識(潜在意識)に、これらの言葉が抵抗なく受け入れられ、潜在意識の驚異の力が、その言葉の状態、即ち、成功し、富んだ現実を作り出すのである。
成功や富自体は悪いものでないばかりか、良いものだ。元々、個人的欲望がなく、世界のために尽くそうとすれば、自然に豊かになる。それを知って行うなら、驚くべき効果があるだろう。
また、マーフィーの本には、日中でも、口癖のように、「成功、富、歓喜」という言葉を繰り返して成功した人の話もある。ポイントは、決して、欲望に支配されることなく、淡々と、ただ口癖のようにやることだろう。それが出来るなら、きっと素晴らしい効果が期待できるだろう。そのためには、自分だけでなく、むしろ、万人に対しての言葉であると思えば良い。それならば、成功は確実と思う。

「ヒマラヤ聖者の生活探求」では、イエスや釈迦が若々しい肉体を持った姿で、著者達の前に登場する。荒唐無稽と思うかもしれないが、彼らが話す言葉の荘厳さや高貴さを思えば、彼らの存在を自然に感じるほどである。
そのイエスが、最も力がある至高の言葉と言ったのが、神という言葉だ。聖書は、神という言葉が最も多くあるがゆえに、最も価値ある書であるという。
英語のGODと日本語の神は異なるという説もよく聞くが、私はそうは思わない。確かに、キリスト教やユダヤ教の神は、「唯一の神」で、古事記や、あるいは、ギリシャ神話では、沢山の神々が登場する。しかし、根本的には1つである神が、様々な姿で現れることはヒンズー教の中でも示されている。そして、古事記でもギリシャ神話でも、あまり言われないが、ただ1つの根本神があることは、はっきりしているのである。
よって、実際には、一神教とか多神教といった区別などない。神は1つであり、それは、言い換えれば、宇宙の英知とか、至高の力というものであるが、全ての人の内に神がいるとも言えるのである。
イエスは、神という言葉には、特別な波動があり、この言葉を、使えば使うほど良く、いくら使っても、多過ぎるということはないと言う。
そして、聖書には多くの神という言葉が使われているように、古事記もまたそうである。古事記も聖書同様、力の書なのである。古事記を読むと、この世での力もまた高まるのである。
我々が神という言葉を見たり聞いたりするのは、多くが神話や伝説の中だ。そして、どの国にも神話がある。そして、神話が顧みられない国は滅ぶと言われる。とはいっても、神話から道徳を学んだり、神話による共同幻想で同朋意識を持つことが重要なのではないと思う。やはり、神という言葉に力があるのだろう。













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