ジャイアント馬場さんが、偉い先生だと言ったお医者さんがいた。
馬場さんは、プロレスラーになる前は、プロ野球のピッチャーだったが、悪性の脳腫瘍が出来、手術は不可能で命は絶望と宣告される。しかし、彼の両親は全国を探し、遂に、手術を引き受けてくれる名医を見つけた。
ところが、馬場さんが、その医者に、「先生、僕の命、保証してくれますか?」と尋ねると、医者は、「医者はね、指1本切る時でも命の保証なんてしないんだ」と答えたという。
馬場さんはずっと後になってからも、「俺は、今でも、この人は偉い先生だと思っている」と言っていたらしい。命を助けてくれたということももちろんあるだろうが、やはり、命の保証なんてどんな時もしないという、その率直さ、正直さに感服したのだと思うのだ。
名医中の名医として知られる冲中重雄さん(1902-1992)が、1963年の東大退官時の講演で、自分の誤診率が14%だと言った時、大きなどよめきが起こった。医者でない者は、その誤診率の高さに、医者は、低さに驚いたのだった。
「これほどの誉れ高い名医がそんなに誤診をしていたのか!」「さすが沖中先生、たった14%とは凄い!」という、真逆(正反対)の感想が同時に現れ、見た目は皆同じ反応になったという面白いものである。
我々は専門家を買いかぶり過ぎることがよくある。
そして、専門家の言うことを、まるで神の言葉のように信じ込んでしまったりする。
専門技能や知識を鼻にかけて威張っているのは三流で、一流ほど、自分は素人に毛が生えた程度だと思っているものだ。
もちろん、専門家のやるべき部分というのはあり、素人が下手に手を出すと命取りになるというのもあるが、あくまで人間のやることで、せいぜいが「慣れ」の問題であることが多い。神の領分ででもあるように、全く分からないということはない。
「刑事コロンボ」で、コロンボ刑事が、腕を自慢しがちなゴルフ教師の前でナイスショットを見せ、「なんだ、簡単じゃないか。僕でも出来るよ」と言う場面があった。もちろん、コロンボは練習をしてきたのだが、彼は、専門家を過大に評価しないことで真実を見逃すことを避けることが出来たことを、上手く描いていた。
アインシュタインだって、自分の物理学は大したものじゃないと言い、自分を重要人物とは全く思っていなかった。
私もコンピュータソフトウェア開発の専門家らしいが、時によっては、「そこまで信用されても困る」と思うことは少なくない。それは、どんな専門家だって同じはずだ。それを正直に言うか言わないかである。
世界最高の医師が、手術前に神に祈るということはよくあるようだ。一流だからこそ、人間の限界というものを心得ており、そんな自分が他の命に関わることを畏怖しているのだ。
後に春日大社の宮司になった葉室頼昭さんも、手術前に必ず神に祈りを上げたが、7時間以上に及ぶ彼の手術は完璧であり、世界最高の形成外科医であったという。
NASAなどの専門家が、金星は、地表90気圧、気温摂氏400度と言い、本にそう書かれていると、自分で確かめることも、疑うこともなく、無邪気に信じてしまう。
そんな地獄のような星に何度も探査衛星を送る目的が、「生命の起源の謎を解くため」と専門家が言うと、そんなものだと思ってしまう。
もちろん、これらの専門家が言うことが嘘か本当かは分からないが、権威ある専門家だからといって闇雲に信じる愚はいい加減にやめたいものだ。
1日3食、栄養バランスに配慮してしっかり食べないと健康でいられないというのが大嘘であることは、自分で確かめたらすぐに分かることだ。
特に、世間で権威ある定説はたえず疑いの目を向けるべきである。
大手マスコミの報道と違い、小沢一郎は、実は何にも悪いことはしていないのではと考えてみないといけないのである。
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馬場さんは、プロレスラーになる前は、プロ野球のピッチャーだったが、悪性の脳腫瘍が出来、手術は不可能で命は絶望と宣告される。しかし、彼の両親は全国を探し、遂に、手術を引き受けてくれる名医を見つけた。
ところが、馬場さんが、その医者に、「先生、僕の命、保証してくれますか?」と尋ねると、医者は、「医者はね、指1本切る時でも命の保証なんてしないんだ」と答えたという。
馬場さんはずっと後になってからも、「俺は、今でも、この人は偉い先生だと思っている」と言っていたらしい。命を助けてくれたということももちろんあるだろうが、やはり、命の保証なんてどんな時もしないという、その率直さ、正直さに感服したのだと思うのだ。
名医中の名医として知られる冲中重雄さん(1902-1992)が、1963年の東大退官時の講演で、自分の誤診率が14%だと言った時、大きなどよめきが起こった。医者でない者は、その誤診率の高さに、医者は、低さに驚いたのだった。
「これほどの誉れ高い名医がそんなに誤診をしていたのか!」「さすが沖中先生、たった14%とは凄い!」という、真逆(正反対)の感想が同時に現れ、見た目は皆同じ反応になったという面白いものである。
我々は専門家を買いかぶり過ぎることがよくある。
そして、専門家の言うことを、まるで神の言葉のように信じ込んでしまったりする。
専門技能や知識を鼻にかけて威張っているのは三流で、一流ほど、自分は素人に毛が生えた程度だと思っているものだ。
もちろん、専門家のやるべき部分というのはあり、素人が下手に手を出すと命取りになるというのもあるが、あくまで人間のやることで、せいぜいが「慣れ」の問題であることが多い。神の領分ででもあるように、全く分からないということはない。
「刑事コロンボ」で、コロンボ刑事が、腕を自慢しがちなゴルフ教師の前でナイスショットを見せ、「なんだ、簡単じゃないか。僕でも出来るよ」と言う場面があった。もちろん、コロンボは練習をしてきたのだが、彼は、専門家を過大に評価しないことで真実を見逃すことを避けることが出来たことを、上手く描いていた。
アインシュタインだって、自分の物理学は大したものじゃないと言い、自分を重要人物とは全く思っていなかった。
私もコンピュータソフトウェア開発の専門家らしいが、時によっては、「そこまで信用されても困る」と思うことは少なくない。それは、どんな専門家だって同じはずだ。それを正直に言うか言わないかである。
世界最高の医師が、手術前に神に祈るということはよくあるようだ。一流だからこそ、人間の限界というものを心得ており、そんな自分が他の命に関わることを畏怖しているのだ。
後に春日大社の宮司になった葉室頼昭さんも、手術前に必ず神に祈りを上げたが、7時間以上に及ぶ彼の手術は完璧であり、世界最高の形成外科医であったという。
NASAなどの専門家が、金星は、地表90気圧、気温摂氏400度と言い、本にそう書かれていると、自分で確かめることも、疑うこともなく、無邪気に信じてしまう。
そんな地獄のような星に何度も探査衛星を送る目的が、「生命の起源の謎を解くため」と専門家が言うと、そんなものだと思ってしまう。
もちろん、これらの専門家が言うことが嘘か本当かは分からないが、権威ある専門家だからといって闇雲に信じる愚はいい加減にやめたいものだ。
1日3食、栄養バランスに配慮してしっかり食べないと健康でいられないというのが大嘘であることは、自分で確かめたらすぐに分かることだ。
特に、世間で権威ある定説はたえず疑いの目を向けるべきである。
大手マスコミの報道と違い、小沢一郎は、実は何にも悪いことはしていないのではと考えてみないといけないのである。
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これから読みます。
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