今年は、天下の大芸術家、岡本太郎の生誕百年である。
そして、本日2月26日が、太郎100歳のお誕生日だ。
太郎が生まれた1911年(明治44年)2月26日は日曜日だった。
太郎は、「親に生んでもらったんじゃない。自分で決意して生まれてきたんだ」と言う。
同じ年の10月に生まれた医師の日野原重明さんは、いまも元気でご活躍中だ。

岡本太郎は、「芸術は爆発だ」と言った。
視界が果てしなく開け、自分が無限に大きくなったように感じる。もう何も恐れない。
天下無敵、天上天下唯我独尊、自分が宇宙になってしまうのだ。
それを爆発と言うのだろう。

芸術作品を前に、理屈で、上手い、きれいだ、独特だ、技法がどうだ・・・などと下らないことを言いながら見ていたら爆発なんかできない。
解説をしたがる先生や専門家はひっこんでいてもらいたいものだ。
太郎は、パリで初めてセザンヌを見た時、涙がとめどなく溢れて止まらなかったという。
あなたも、そんな風に作品を見たいはずだ。
太郎は、セザンヌや作品が天才なんじゃない、感動する自分が天才なんだと言った。自分はこんなに震えているのに、絵はがたがたって震えないじゃないか。
天才は、我々の内に必ずいるのである。芸術を見る目的は、自分の中の声を聞き、世の中全てが反対しようとも、自分に従うべきだと知ることだ。
太郎を最高に驚愕させた芸術作品は縄文式土器だった。今の人間にこんなものは絶対に創れないと言う。そんな太郎だから、縄文式土器に迫るほどのものが創れたのに違いない。

だが、我々の頭は理屈に凝り固まっているので、なかなか爆発できない。
理屈での損得、つまり、個人的欲望にばかりかまけてきたからだ。それを捨てれば、即、天才が現れるはずだ。
太郎ほど、損得を考えない人はいなかった。
作品が売れないことなんか、全く意に介さなかった。売れなくていい、いや、売れてたまるかと本気で思っていた。
我々もこう思いたい。「得なんかしなくていい。いや、してたまるか!」。そう思っていたら、世間に騙されるということもない。得をしたいというケチなことを考えているから簡単に世間に騙されるのだ。

太郎は、自我(ここでは理屈や計算の心)が右と言ったら、必ず左を選んだ。自我がノーと言えばイエス、自我がイエスと言えば、ノー!ノー!ノー!だ。
戦争中、日本の軍隊では、毎夜、上官による「しごき」という、その実、単なるいじめが行われた。一人ずつ部屋に呼んで殴るのである。弱い立場の者を虐げて喜ぶ卑しい欲望である。
太郎は、30歳位でフランスから帰国すると、18、19歳の若者達と一緒に二等兵(最下級の兵隊)として中国に送られ、そのいじめに遭った。
太郎は、いつも上官の部屋に4番目に行った。殴る方は、4番目に一番調子が出るのだ。敢えてその順番を選ぶのである。まさに、理屈、損得に全く合わないことをやったのだ。

----- 余談 -----
「捨てればいいって訳じゃない。逃げればいいって訳じゃ、もっとない!」
私が好きなアニメ「魔法少女リリカルなのは」の、フェイトの名文句だが、これなど、実に太郎的で良い。
太郎流に言えば、「捨ててたまるか!絶対に逃げてたまるか!」である。フェイトもそう思っていたに違いない。
理屈では、フェイトは、自分にこれっぽっちの愛情も持たず(虐待もされた)、それどころか、あからさまに嫌悪して自分を捨て、そして狂気に染まった母親を捨てて良かったし、逃げて良かった。しかし、彼女はそうしなかった。
「いまさらあなたを娘と思えというの?」
「あなたがそれを望むなら・・・私は世界中の誰からも、どんな出来事からも、あなたを護る。私は・・・あなたの娘だからじゃない。あなたが、私の母さんだから!」
アニメとはいえ、フェイトの姿は誇り高かった。
----- 余談 終り -----

岡本太郎はいつも爆発していた。
爆発を邪魔する理性を吹っ飛ばすことに命を懸けていたように感じる。
理性では、グラスの底に顔は描かない。しかし、太郎は、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と、顔のグラスをデザインした。
普通の人は誤解されることを嫌がる。しかし、太郎は、「誤解されたっていいじゃないか、いや、誤解されないといけない」と言う。
初めてスキーを掃いたら、理性的には、ゆるやかなスロープで練習するものだが、太郎は、いきなり上級者コースに挑み、いやというほど転びまくった(当然だ)。「一番格好の悪い死に方をしてやる」と思ったそうだ。太郎46歳の時である。
鈴鹿でスポーツカーをぶっ飛ばすのも大好きだった。
危険で勇壮な祭りを賛美した。そんな祭りの中で、生命は宇宙に向かってぱーっと広がるという。それは、太郎の言う爆発に他ならない。祭りは爆発なのだ。
そう、危険こそ、理性が最も嫌うものたが、太郎はひたすら危険に挑んだのだった。「本当に生きるとは、死んでもいいということだ」

記念すべき太郎の百回目の誕生日に、良い機会だから心に刻みたい。
好かれようなんて卑しいことだ。好かれてたまるか。嫌われないといけない。













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