たとえ、作り話だろうが、さらにそれが嘘話であろうが、たまたまそこに真理が含まれていれば、心に感じて深い印象を得ることがある。
偉大な人物も、元はありふれた人間であったのだが、その者に偉大な道を選ばせたきっかけが、誰かの他愛ないデタラメであったということは実は多いに違いない。

これもただの伝説かもしれないが、江戸時代の剣術の達人、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)は、後の徳川家光である竹千代のために、木の棒を1本立てたものを用意し、竹千代に、その棒のてっぺんを1年間毎日、木刀で打つように言った。
竹千代が馬鹿にすると、宗矩は、それをやれば鉄の兜でも切れると言うので、では実際にやってみろということになったが、宗矩は、見事に兜を切ってみせ、竹千代はその修行をすることになった。
また、これは明らかに実際の話ではないが、本宮ひろ志さんの漫画「武蔵」で、やはり武蔵は、1本の杭を、1年中、木刀で打ち続ける修行をし、その直後、強敵と戦った時、なぜか敵の動きが容易に見えてしまい楽勝する。

作り話であっても、共に、いわれの無い話ではないと思える。
愚直にひたすら繰り返す力とは恐ろしいものだ。
およそ、あらゆる秘術修得の極意は愚直な繰り返しであると思う。
人間の理性というものは、素晴らしいものではあるのだけれど、根源的な力を抑え込んでしまう。その力は、あまりに強大なので、普段、それを隠すことは必要なことではあるが、それを制御しつつ使うことが人の喜びなのである。
ギリシャ神話では、それを、酒の神ディオニューソス(力のみだらな解放)と、理性の神アポローン(力の過度な抑制)の対比で表現している。どちらか一方に偏っては、結局、悲惨なことになる。
岡本太郎のような天才なら、「爆発だ」とばかりに、根源的なパワーを解放すれば良いのかもしれないが、凡人が下手にそれをすると、おかしな方向に行ってしまいかねない。ギリシャ神話のアポローンが、時々暴走して、悲劇を起こしてしまうようなものだ。
しかし、先にあげた、柳生宗矩の教えた修行のように、愚直なひたすらの反復で理性を穏やかに屈服させれば、人が内に持つ神秘な力を、誰でも安全に解放することが出来る。
退屈で、馬鹿みたいな、ひたすらな反復だけが、人を超人にするのである。

同じ本を馬鹿みたいに何百回と読んで奇跡の力を得た人もいる。
岡潔(数学者)や中山正和(発明家、能力開発指導者)の「正法眼蔵」や、斎藤一人さんの「論語」、内海康満さんの「ローム太霊講話集」といったところがある。
般若心経や大祓詞をひたすら上げ続けて神秘な力を得た人もいる。

私は、まだ偉大な方々のようなわけにはいかないが、いつもお薦めしている腕振り運動を毎日行うことで、1日1食の菜食者になって完璧に健康な肉体を得たり、腕立て伏せを軽々と200回やれるようになったし、その他、いろいろ妙なことが出来るようになった。
つまらない悩みについて考えるのをやめ、愚直に腕を振ってみてはいかがかと思う。
あるいは、ジョセフ・マーフィーの本を「無欲」に、繰り返し読むことで、大いなる報いを得るに違いないと思う。
当ブログ内の、腕振り運動の記事は以下のリンクからどうぞ。
元気を出したければ腕を振れ
腕振り運動の神秘的な威力







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