学校や会社に行くのがどうしても嫌なら、明日、やめれば良い。今日は、最後の日として行っておこう。

こんな実話がある。
ある夫婦の家に、妻の両親が来ていた。もう仕事はしていない両親で、度々、そうやって娘の家に来て、しばらく滞在するのだった。それは、妻にも、その両親にも楽しいことだった。
今回の滞在も、特にいつまでという予定もなく、少しの間居るつもりだったのだろう。
しかし、夕食の時、主人は、妻の両親に、「明日、お帰り下さい」と言った。
楽しい晩餐は、一瞬でお通夜になった。妻は涙ぐんで台所に駆け込んだ。
旦那様が重んじられていた時代のことである。妻に逆らう術はない。

翌日、妻の両親が荷物をまとめていたら、主人が、「どうなされたのですか?」と尋ねる。
妻の両親は怪訝な顔で、「あなたが、明日帰れと言ったので、用意しているのです」と答えた。
主人は、「だから、明日、お帰り下さい」と言った。
妻の両親は、そのまま、亡くなるまで、20年以上、そこに居た。

1日の時間というのは、うまく出来ている(本当は、「うまく作られている」と言うのが正しい)。
どんな辛いことも、1日なら耐えられる。
今日1日くらいは、おやつを食べるのを我慢できるはずだ。
いくら大好きでも、大盛りのカレーライスを食べるのを、1日くらいはやめたっていいだろう。
1日くらいは、肉を食べずにいることができるはずだ。

明日なんて日はない。昨日なんて日もない。過去や未来なんて幻想に過ぎない。永遠の今があるだけだ。
過去の記憶や、未来の想像には色が無い。もし、色があって生き生きとしているなら、それは記憶や想像ではなく、今なのだ。
夢の中で、あなたが王様だとしても、王子であった過去が本当にあった訳ではない。あるように思うのは記憶のトリックだ。夢も現実も、何も違いはしない。
科学の世界にも「世界5分前仮説」なんてのがあって、世界は本当は5分前に出来たのかもしれないと考えられているが、それを否定することは出来ない。事実、5分前どころか、世界はいつも出来立てなのだから。
ありもしない昨日を悔やみ、ありもしない明日を心配することはない。それは滑稽と言うものだ。
まだ幻想を抱いていても、「今日だけ」と思ってやっていると、その今日は良くなってくる。状況は変わってくる。
今に生きている者は世界を支配する力を得る。
至高者である、真の自己は今にしかいない。真の自己が、瞬間瞬間に今の現実を創っているのだ。
あなたが今に生きるなら、至高者と溶け合う。至高者の方がはるかに大きいので、あなたが溶け込むのだが、至高者の知恵と力の中にあるのだがら、何でも分かるし、何でも出来る。
だから、繰り返すと、今に生きている者は世界を支配する力を得る。







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