ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2026年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

本当に心を静かにする音楽

幸福感があって全てうまくいくようになるためには心の静けさが必要で、それは、真の癒しや安心によってもたらされることは疑いない。
ビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day's Night)』だって、確かに夫は日々大変であるが、家に帰れば愛する妻に癒され平安なのである。

それで、普通の人が心が安らかになるには、忘れている人が多いし、世の中でも忘れられているが、クラシック音楽が効果的なのであると思う。
中学校とかの音楽の授業のせいでクラシック音楽が大嫌いになった人も多いだろうが(私のことだが)、改めて自主的に、そして、自分に合ったクラシック音楽を聴くと、こんないいものを聴かなかったことの損失に唖然とするかもしれない。

私もクラシックに詳しいわけではない。
モーツァルトやベートーヴェンの音楽は不快なわけではないが、楽しく聴くことが出来ない。これも学校の音楽教育の弊害かもしれないが。
だが、聴いてすぐ惹き付けられ、平安を感じたのはチェコのベドルジフ・スメタナの交響詩(※)『我が祖国』の第2曲『モルダウ(ヴルタヴァ、ブルタバ)』だった。
※交響詩:絵本、景色、物語を言葉ではなくオーケストラで表現すること。
他には、ホルストの管弦楽組曲『惑星』の中の『木星』や、ドヴォルザークの『新世界より』第2楽章で、これは『家路』というタイトルで知られてるし、『遠き山に日は落ちて』として憶えている人も多いと思う。

もちろん、ポピュラー音楽にも素晴らしいものはあるが、どうしても商業的な理由で一時的に売れることを狙って作っている部分が多かれ少なかれあり、それがノイズとなって微妙な部分で平安を乱すようなところがあるような気がする。
坂本龍一さんの『BEHIND THE MASK』は、エリック・クラプトンやマイケル・ジャクソンらもカバーしたが、坂本さんは最後はクラシック音楽にしたがったのではないかと思う。しかし、やはりどこか商業的な必要性が入り込むのだろうなあと思う。

どこのオーケストラの演奏が良いかなどは私はさっぱり分からないし、専門家と称する人の言うこともあまり信用していないが、カラヤン指揮のベルリンフィルなら間違いない程度に思っている。これも偏見かもしれないが。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」※カラヤン指揮。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 。スメタナ『モルダウ』収録
(2)ホルスト:惑星 ※カラヤン指揮。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 。

学校の思い出
AIアート3149
「学校の思い出」
Kay

死後と誕生前にどこに居るのか

「今日の深夜2時に家に居た?」
と聞かれたら、
「居たよ。家で寝てた」
みたいに答える場合が多いだろう。
眠っていたのに、なぜ自分が家にいたことが分かるかというと、確かにそれは単なる推測ではあるが、疑いようがない。
しかし、もしかしたら、深夜1時に、眠っているあなたを誰かが家から連れ去り、深夜3時に家に連れ戻したかもしれない。
それなら、深夜2時には、あなたは家にいなかったことになるが、それに気付かなければ、「私は居た」と思うだろう。
だが、眠っている間に移動させられた者が、そのことに気付いていたという話はよくある。

病院で死んだ者が、本人の生前の希望とか、家族の意向で、いったん死体を家に連れ帰ることがよくある。
その場合、死後まもないので、家族は、死んだ人が家にいると感じると思う。
しかし、時が経てば、そうは思わなくなる。
そして、死んだ人はどこにも居なくなるのかというと、『バガヴァッド・ギーター』によれば、そんなことはない。
誰も居なくなることはない。
『千の風になって』という有名な歌のように、お墓の中にいるわけではないが、居なくなるわけではない。
『人魚姫』も死んだ後、風になったが、風とは比喩であり、形のない存在になり、どこにでも居るのである。

あなたは、生まれる前、居なかったのだろうか?
死んだ後と同じように、形のない存在として、あらゆる所にいたのではないだろうか?
それは、肉体を持った人間にはなかなか分からないし、どうやっても、そんなに簡単に分かることではない。
しかし、「私は存在する」という感覚に親しんでいると、眠っていても居ること、死んでも居ること、生まれる前にも居ることが分かるようになると思う。

イツァク・ベントフの本に、こんな実験の話がある。
以前に行った懐かしい場所のことを思い浮かべていると、自分が本当にそこに居ると感じることがある。
その時、薄目を開けて時計を見ると、秒針が止まっている。
自分は、ここに居ると共に、あそこにも居るのだ。
眠っていても居るし、死んでも居るし、生まれてなくても居ることと同じである。
昔のことを想うと、昔のその場所にも居る。
未来でも同じである。
その鍵は「私は存在する」という感覚、即ち「存在の自覚」を持つことである。
存在の自覚が深まると、自分が世界の所有者であり、あらゆるものの所有者であることが分かると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(4)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(5)バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

一緒に帰ろ
AIアート3148
「一緒に帰ろ」
Kay

神である楽しさを知る

部屋に入った母親が、そこに居る子供に、「あら、美香ちゃん、居たの?」と言うと、子供は一瞬怪訝な顔をする。
「今も居るよ」と言う顔である。
「居たの?」なんて、過去には居たが、今は居ない、あるいは、過去はどうだったか分からないという感じではないか?
母親の「居たの?」は、「私が把握していない時から居たの?」という意味だ。
だが、これだって、子供にすれば「聞くまでもない当たり前のこと」である。

気安い友達が家に入って来て、「紗英、居る?」と言うと、言われた方は、やはり一瞬戸惑う。
居るのは当たり前だし、友達も、それを分かっていて「居る?」と言ったのだからだ。
まあ、普通は挨拶のようなものとして受け流すだろうが。

だが、誰にも構ってもらえず、声をかけられず、無視され続けると、自分は居ないように扱われていることが分かる。
しかし、「私は居る」のである。それが認められないのは辛いのだ
直接の対話、ボディータッチ、アイコンタクトをしない人達でもLINEで既読無視され続けて嫌な気分になるのは、やはり、自分が居ない者のように扱われているからだ。

洞窟に閉じ込められて救援要請をしても、助けが全く来る気配がない時、肉体的な苦しさや死への不安の奥に、自分が居ない者にされているという最大の苦痛を感じている。
政府が見捨てている貧困層の人達の心が死んでしまうのは、政府も周囲の人々も親族も、自分を居ない者として扱っているからだ。

自分が居るという感覚・・・少し難しく言えば「存在の自覚」ほど重要なものはない。
これがエスカレートすると「俺が」「私が」という過剰な主張になるが、それも実は、居ない者として扱われた記憶が強い者が「私は居る」と悲しく叫んでいるのである。
自分が若く、美しくあることに異常にこだわる者達というのは、自分が若く美しくないと存在を認められないと思うからである。

ネヴィル・ゴダードは「存在の自覚が神である」と言った。
ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」が最上のマントラ(真言)だと言った。
別に、誰にも認めてもらえなくても、「私は存在する」という感覚に意識を向ければ、自分が世界の創造者という至高の存在であることが分かる。まずは、「私は在る」あるいは「私は存在する」と心で唱えると良い。
神であることを楽しめるようになるまで。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~

不屈
AIアート3147
「不屈」
Kay

足踏み四股のやり方

最も身体に良い運動は腕振り運動かもしれないが、身体強化という点では足踏み四股が良いと思う。
とはいえ、それは人それぞれだし、大差はないと思う。
足踏み四股は、佐川幸義流四股を基にしているが、そもそも、佐川幸義が四股を踏むところを見た人はいないらしく、佐川幸義の弟子達の間でも、やり方がかなり異なる。
佐川幸義流四股とは、自分で作っていくものだと思う。
佐川幸義は、弟子に四股を踏むことを指示する時、単に「四股を踏め」とだけ言ったらしい。
それで、言われた弟子は相撲の四股のことだと思い、相撲の四股を毎日踏むのだが、ある時佐川に「四股をやってみろ」と言われて、いつも通り相撲の四股を踏むと、佐川に「腰を落とすな」「身体を傾けるな」「もっと速く」と言われ、結局、足踏みのようなことをやればいいのだと分かるらしい。

佐川幸義流四股に決まった型はなく、自分で改良していき、自分に最適なやり方を見つければ良く、雑誌やYouTubeで佐川の弟子や孫弟子の四股を見ても、その通りにやればいいというものではない。
実際、YouTubeには、別に悪いというのではないが、独自の変な踏み方の四股をよく見る。

参考までに、私の今のやり方を書く。

◆足は、靴の縦1.5~1.8足分の範囲で、安定して立てる広さで開く。
◆足はほぼ平行にする。
◆かかとを上げることを心掛け、つま先はほとんど床から離れない。
◆足を下ろす時は、つま先からそっと下ろし、かかとも柔らかく下ろす。ただ、軽快にテンポ良く行うので、つま先部分がトントンと軽く床を叩く感じになる。

これを片足ずつ数えて200回、少ない時でも100回行う。
じっくりやる時は1000回以上行う。
手は、私は脚の付け根あたりに当てるが、ポケットに手を突っ込んだり、腰に当てたり、後ろで組んだり、好きなようにやれば良いと思う。
足踏み四股の良いところは、自覚がないが、身体が微妙に左右に揺れることで腰のバランス機能が向上し、動きが軽やかになることだ。
それに、足腰の筋肉に最適な刺激が与えられ、インナーマッスルも鍛えられ、また、軽くトントンと床を叩くことで骨に与えられる刺激が身体を若返らせる効果があると思われる。
他にも未知の効果があると思われ、これを数多くやることで、不思議なほど武道の力が向上したという話もある。
隙間時間を見つけては100回位行うようにすれば、素晴らしいことが起こると思う。
いろんな四股を参考にするのも良いだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(3)四股鍛錬で作る達人

廃墟の天使
AIアート3146
「廃墟の天使」
Kay

酒・タバコに良いところはあるか

喫煙者がめっきり少なくなった。
昔の映画やテレビドラマを見ると、ヒーロー含め、まともな人達が普通にタバコを吸っているのに驚く。おそらく、タバコメーカーがスポンサーであったのだろう。
昔の007映画ではボンドは愛煙家だが、近年のダニエル・クレイグがボンドを演じた007映画ではボンドは全くタバコを吸わない。
そもそも、イアン・フレミングの007の原作小説では、ボンドは1日70本のタバコを吸うヘビースモーカーだ。
昔の電車やオフィスでは普通にタバコが吸われていたというのは、今では信じ難い。
今、70代の人に聞くと、昔は自分が働いているオフィスはもちろん、客先ですら灰皿を要求してタバコを吸うことが非礼でも何でもなかったと言う。だが、そんな人がある時、客先で、「今どきタバコを吸うのは馬鹿だけですよ」と言われたらしい。昭和の話らしいが、既に、タバコは悪という認識が広まりつつあったのだ。それなら、差別はいけないかもしれないが、今だタバコを吸う者はまともな人間として扱われないかもしれない。

昔は、「タバコを吸うのは格好良い」という洗脳があったのだと思う。
安っぽい洗脳であるが、それに引っかかってタバコを吸う者が多かったと思う。
昔、中学校の音楽教師が、ある有名作曲家がタバコを吸う姿が格好良くて真似したという話をしていたが、今考えても、タバコと関係なく愚かな教師で、軽蔑の念しか持っていない。

飲酒に関しては、タバコほど悪いイメージはなく、今も愛飲家は多い。
また、酒は適量なら身体に良いという認識も根強い。
癌治療をしてはいけないことを説いた医師の近藤誠さんは、納得出来る話も多くしていたが、彼も著書に、「1日にビールのロング缶2本までなら百薬の長」と書いていた。
だが、WHO(世界保健機関)は「少量であってもアルコールに安全な量はない」とし、健康の観点からはアルコールは完全に有害であると結論づけていて、少量の飲酒が健康に良いという説は、近年の研究で否定されているらしい。
まあ、新型コロナウイルス感染症対策分科会の元会長である尾身茂氏がテレビで「新型コロナワクチンに有効性がなかった(”あまりなかった”という表現だったが)」とばらした新型コロナワクチンをWHOは条件付きとはいえ今だ推奨しているので、WHOだから正しいとは思えないが、WHO以外でも、今どき飲酒が身体に良いと言う医者や医学者は信用されないと思う。
ただ、長寿者の中には酒をたしなむ人もいるが、これは酒で健康的な範囲で楽しくなることが身体に良いことを示しているという意味で納得出来る。とはいえ、別の身体に良いことで楽しい気分になれるなら、その方が良いに違いないと思うが。

私は父親が酒・タバコが大好きだったせいで、酒・タバコが嫌いになったことは、皮肉ではなく父親に感謝している。
父親は身体が全く駄目になって早死にしたし、健康だった時ですら、あらゆる意味で酒・タバコには大きな害があることを明確に示してくれたのだからだ。
私も付き合いで少しは酒を飲むこともあるが、1人では全く飲まないし、タバコは吸ったこともない(幼稚な中学生だった時に冗談で吸ったことはあるが)。
私が昔付き合っていた女の子(20-21歳)が、「お酒が好きと言うより雰囲気が好き」と言っていたが、早く別れて良かったと思っている。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)「そろそろ、お酒やめようかな」と思ったときに読む本
(2)身近な薬物のはなし タバコ・カフェイン・酒・くすり
(3)お酒・たばこ(10代からのヘルスリテラシー)
(4)まだ、タバコですか?

健やかに
AIアート3145
「健やかに」
Kay

プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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