地球以外の星に生命が存在するか、すなわち、宇宙人が存在するかという議論では、一般的には、生物の発生と生存に都合の良い環境の星があるかどうかという問題になってしまいます。
つまり、有機生命体の生存が可能な気温、大気、水があるかといったことで、それらの条件が揃えば、生物が勝手に現れ、勝手に進化するという論理です。
こういった考え方は、言ってみれば、生物の発生と進化は全て偶然でしかないというものです。
しかし、自然を、極小から極大までの、いかなるレベルでも、真面目に観察するなら、そこに恐るべき知性の存在を認めない訳にはいかないはずです。
我々は、どんなに科学が進んでも、最も原始的な生物ですら創ることは到底できないでしょう。
また、こんな風にも考えられます。
実験室の中に、生物の発生に必要と考えられる物質、つまり、炭素や窒素、リンなどを全て揃え、適度な温度と気体の中で、適度な変化と刺激を、数千万年、数億年と与え続ければ、そこに生命が発生し進化するかというと、まさかそんなことはないでしょう。
生命が偶然に発生し、偶然に進化するという考え方は、サルにデタラメにキーボードを打たせたら小説が出来上がる可能性だってあるというのと同じ理屈であることが分かります。
生命の発生と進化には、高度な意識や知性を持った存在を抜きに考えることはできないというのは、極めて自然なことと思います。それを神と言って良いのですが、神という言葉には多くの偏見が含まれてしまっていることが多いですので、例えば、宇宙の英知といった表現をする方が無難かもしれません。しかし、神という言葉に、不必要な概念、例えば、ある種の人格や姿といったものを持たないなら、自然を生み出し、進化させる高度な知性を有する存在を神と言って良く、そして、神は確実に存在します。

すると、現在も神はその英知を宇宙に対して及ぼし続けているのかという疑問が浮かびます。
つまり、神は確かに自然を生み出し進化させましたが、自動制御プログラムのような仕組みを作って自らは消えるか、休息に入ってしまったのではないかということです。
その場合、自動制御プログラムが順調に稼動している間は良いですが、適応不能な状況が発生したり、あるいは、プログラムに欠陥があるか、さらには、そのプログラムに、元々、意図的に破滅の因子が組み込まれていたならば、我々に存続の可能性はありません。
果たして、真実はどうなのかですが、もし我々が単なる神の被造物であるなら、それを知ることは出来ないでしょう。
しかし、どうもそうではないようなのです。稀に、無限の英知が自分自身の中にあることを発見してしまう者がいます。ただ、百パーセント解る者もいれば、ごく曖昧に、あるいは、ほんの一部分を見たというだけの者もいますので、単に真理らしいことを述べる者の話には気を付ける必要がありますが、とにかく、我々自身の中に神がいて、しかも、有り難いことに、それを発見し、親しくすることは誰にも可能なようです。別に有名な聖者でなくても、神と密接な関係の中で生きている人はいます。そのような人達が大金持ちであったり権力者であるわけではなく(そんな人もいるかもしれませんが)、むしろ、ごく平凡な農民等である場合が多いような気がしますが、ただ、彼らは皆、内なる幸福を楽しんでいることは確かと思います。













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