願いは、信じて疑わなければ叶う。
いかなる願いに対してもそうであると断言したのがイエス・キリストだった。
イエスは、「山に歩いて海に入らせることも、そうなると信じて疑わなければ、その通りになる」という言い方でそれを示した。
まあ、私なら、もっと壮大な言い方をするかもしれないが、当時の人々の想像力の範囲では、その程度で良いだろう。
イエスが実際にどう言ったのかは分からないが、「信じて疑わない」とは、拙い(下手な)表現だ。
「信じる=疑わない」なので、シンプルに、「信じれば叶う」「疑わなければ叶う」で良い。
だが、「信じる」ことも「疑わない」ことも、実際は、とてつもなく難しい。
人間って、疑うことが商売みたいなものじゃないか(笑)。
そして、「信じる」「信じない」「疑う」「疑わない」の中で、人間に出来るのは「疑う」だけなのだ。
「願いは信じて疑わなければ叶う」は、逆に言うと実際的だ。
つまり、「願いは、信じなければ叶わない」「願いは、疑えば叶わない」である。
だが、これらの言い方も、ちょっと拙いのである。
「願い」に限定する必要はない。
良い言い方は、「願い」を「何事も」に変え、「叶う」を「実現する」と変える。
つまり、
「何事も、信じて疑わなければ実現する」
で、これは同時に、
「何事も、信じなければ実現しない」
「何事も、疑えば実現しない」
である。
そして、さっきも述べた通り、人間に出来るのは「疑う」ことだけだ。
つまり、人間的には、
「何事も、疑えば実現しない」
である。
それならば、悪いことも疑えば実現しないのだ。
分かり易いたとえで示す。
素敵なあの人が自分の恋人になることを「信じれば」あるいは「疑わなければ」そうなる。
しかし、それらは極めて難しい。
それなら、「素敵なあの人が自分の恋人にならない」ことを「信じなければ」あるいは「疑えば」、素敵なあの人が自分の恋人になってしまう。
そして、人間に出来るのは「疑う」ことだけなので、「素敵なあの人が自分の恋人にならない」ことを「疑えば」良いのである。
願いと逆のことを疑えば、願いが叶う。
イエスがこのことを言わなかったのは、イエスが思いつかなかったか、人々に理解出来ないと思ったからだろう。
しかし、これほど優れた引き寄せメソッドも、そうはない。
百万円も作れない人が、一千万円欲しいとしても、一千万円あると信じることや疑わないことは絶望的に難しいが、一千万円ないことを疑うのは容易い。
「本当に一千万円ないのだろうか?」と思うだけで良い。
え?それも難しい?
それは、必死で、あるいは、一生懸命疑おうとするからだ。
「疑う」とは軽くやるものだ。それが自然だ。
だから、軽く、ソフトタッチで疑えば簡単なのである。
「願いと逆のことをソフトタッチで疑えば、願いは叶う」
これだけ憶えていれば、世界は意のままではないかと思う。
尚、上記のロジック部分を理解出来なくても、文句を言わないで欲しい。
ある程度、頭が良くないと(おそらくIQ110以上)理解出来ないし、そもそも興味を持てないかもしれない。
(逆に言えば、納得出来ればIQ110以上だろう)
だが、理解出来なくても「願いと逆のことをソフトタッチで疑えば、願いは叶う」は完全に有効である。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(2)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(3)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)

AIアート1272
「木造の部屋」
Kay
いかなる願いに対してもそうであると断言したのがイエス・キリストだった。
イエスは、「山に歩いて海に入らせることも、そうなると信じて疑わなければ、その通りになる」という言い方でそれを示した。
まあ、私なら、もっと壮大な言い方をするかもしれないが、当時の人々の想像力の範囲では、その程度で良いだろう。
イエスが実際にどう言ったのかは分からないが、「信じて疑わない」とは、拙い(下手な)表現だ。
「信じる=疑わない」なので、シンプルに、「信じれば叶う」「疑わなければ叶う」で良い。
だが、「信じる」ことも「疑わない」ことも、実際は、とてつもなく難しい。
人間って、疑うことが商売みたいなものじゃないか(笑)。
そして、「信じる」「信じない」「疑う」「疑わない」の中で、人間に出来るのは「疑う」だけなのだ。
「願いは信じて疑わなければ叶う」は、逆に言うと実際的だ。
つまり、「願いは、信じなければ叶わない」「願いは、疑えば叶わない」である。
だが、これらの言い方も、ちょっと拙いのである。
「願い」に限定する必要はない。
良い言い方は、「願い」を「何事も」に変え、「叶う」を「実現する」と変える。
つまり、
「何事も、信じて疑わなければ実現する」
で、これは同時に、
「何事も、信じなければ実現しない」
「何事も、疑えば実現しない」
である。
そして、さっきも述べた通り、人間に出来るのは「疑う」ことだけだ。
つまり、人間的には、
「何事も、疑えば実現しない」
である。
それならば、悪いことも疑えば実現しないのだ。
分かり易いたとえで示す。
素敵なあの人が自分の恋人になることを「信じれば」あるいは「疑わなければ」そうなる。
しかし、それらは極めて難しい。
それなら、「素敵なあの人が自分の恋人にならない」ことを「信じなければ」あるいは「疑えば」、素敵なあの人が自分の恋人になってしまう。
そして、人間に出来るのは「疑う」ことだけなので、「素敵なあの人が自分の恋人にならない」ことを「疑えば」良いのである。
願いと逆のことを疑えば、願いが叶う。
イエスがこのことを言わなかったのは、イエスが思いつかなかったか、人々に理解出来ないと思ったからだろう。
しかし、これほど優れた引き寄せメソッドも、そうはない。
百万円も作れない人が、一千万円欲しいとしても、一千万円あると信じることや疑わないことは絶望的に難しいが、一千万円ないことを疑うのは容易い。
「本当に一千万円ないのだろうか?」と思うだけで良い。
え?それも難しい?
それは、必死で、あるいは、一生懸命疑おうとするからだ。
「疑う」とは軽くやるものだ。それが自然だ。
だから、軽く、ソフトタッチで疑えば簡単なのである。
「願いと逆のことをソフトタッチで疑えば、願いは叶う」
これだけ憶えていれば、世界は意のままではないかと思う。
尚、上記のロジック部分を理解出来なくても、文句を言わないで欲しい。
ある程度、頭が良くないと(おそらくIQ110以上)理解出来ないし、そもそも興味を持てないかもしれない。
(逆に言えば、納得出来ればIQ110以上だろう)
だが、理解出来なくても「願いと逆のことをソフトタッチで疑えば、願いは叶う」は完全に有効である。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(2)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(3)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)

AIアート1272
「木造の部屋」
Kay




