ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2024年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

プログラミング学習法の嘘

YouTubeには、プログラミングの学習法を教える動画が沢山ある。
有名なひろゆきさんが、プログラミングに取り組むことを薦める切り抜き動画(他者がオリジナル動画を編集した動画。本来は違反or違法だが一般的になっている)が沢山あり、それらの再生数は非常に多い。
ぼんやり憶えていることで言えば、ひろゆきさんは「今の仕事の給料が安いならプログラミングをやってみたらどうか?」「プログラミングをやるメリットは非常に多く、やらない理由はない」みたいなことを強く主張し、さらに、プログラミングを身に付ける方法をアドバイスしている。

ひろゆきさんの主張は、明らかに間違いとは言えないが、全く的外れだとは言えると思う。
また、プログラマーがプログラミングの学習法を教える動画も、大抵無意味なものだ。
まず、プログラミングの学習法などない。
プログラミングの勉強方法を人に質問する時点で、あるいは、プログラミングの学習方法の動画を見る時点で、向いてないと思う。

話は簡単である。
プログラミングが出来るか出来ないかを決めるのはIQだけ・・・以上である。
世の中には、プログラミング以外に面白いもの、意義のあること、うまくやれば良い収入をもたらしてくれる技能などいくらでもある。
向いたことをやればいい。
明らかに絵の才能がない人に対し、画家やイラストレーターになることを薦めることや、運動神経や体力がない人にプロ野球選手になることを薦めることが間違いであることと全く同じで、IQが高くない人にプログラミングを薦めるべきではない。
また、「今の時代、誰もがプログラミングがある程度出来た方が良い」という意見も、私は全く反対。大半の人はプログラミングに全く向いてない。
学校のプログラミング教育なんてものも馬鹿なものだと私は思う。
「誰もがテレビの修理くらい出来た方が良い」とか「学校で全生徒にガンジーの思想を教えよう」というのと同じようなものだと思う。

よく、「各国の平均IQ」なんてことがまことしやかに言われるが、そんなデータ、どこにあるのだろう?
あったとしても、ごく一部の人についてのデータで、極めて偏ったものだろう。
IQは精神科医に計ってもらえるらしいが(費用も時間もかかる)、聞く限り、精神科医の偏見も影響するような気がする。
ネットのIQテストは、もちろん正確ではないかもしれないが、そこそこの目安にはなると思う。
書籍のIQテストには、まずまずのものもあると思う。
ネットや書籍のIQテストで、全て110以上と出れば、だいたいプログラミングは出来ると思う。
IQ110以上は、統計では上位30%だが、実際、プログラミングが出来るようになる割合は、やはり30%程度かもしれない。
しかし、ひろゆきさんが言うように、プログラミングで稼げるというのは、ネットや書籍のIQテストで120~130以上の人のみと思う。
ちなみに、IQ120で上位10%、つまり、10人に1人だ。
IQ120になれば、IQということに関してはさほど差はないという説もあり、そこで初めて、個性が問題になるのだと思う。
だが、IQ120以上なら、個性に関係なく、そう苦労せずにプログラミングが出来るようになると思う。
出来るようになる方法は何でも良い。我流で良い・・・というか、我流しかないと思う。
子供プログラミング教室なんてものがあるが、あれで金を取るのもどうかと思う。環境だけ与えて「勝手にやれ」と言えば良いだけである。それで、出来る子は出来、出来ない子は出来ない。それで良いと思う。

IQの遺伝率は80%という説があり、これは肥満の遺伝率より高いという。
しかし、肥満の遺伝子を持っていても痩せることが出来るように・・・いや、それ以上に、IQは後天的にいくらでも上げられると思う。
なぜなら、人間の脳の潜在力は、間違いなく、恐ろしく大きく、個人的には、IQは誰でも200以上にすら(IQは140以上に実際の意味はないという説もあるが)出来ると思う。
まずは、深呼吸をして脳にたっぷり酸素を送ったり、瞑想をすれば、かなり簡単にIQは上がると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)言ってはいけない 残酷すぎる真実(橘玲)
(2)プログラミング作法 (ブライアン・カーニハン他)
(3)JavaScriptの絵本 第2版
(4)マルチナ、永遠のAI。(大村あつし)
(5)楽しいAI体験から始める機械学習(Kay他)

呼吸と体温
AIアート1156
「呼吸と体温」
Kay

何かよいこと

小学生の女の子が、近所のお兄さんを好きになることはよくあることだが、女の子が5年生とか6年生だと、「あのお兄ちゃんのどこがいいの?」と聞かれたら、「顔がいい」「脚が長い」「スポーツマンで格好いい」「優しい」とか言ったりする。しかし、それが本当の愛でないことは明らかだ。
ところが、4年生の女の子が、こんな返答をしたことがあった。
「何かいい」
これは、より幼い答だと思われ勝ちだが、そうとも言えるが、そうでないとも言える。
まだ小さくて、表面的な魅力には鈍いが、本質的な良いところを感じているのである。
大人になって、本当に好きな人が出来、相手のどこがいいかと言われたら、女でも男でもこう言うのだ。
「あの人は何かいい」
6年生くらいになって「あの人、何かいいの」と言ったら、将来、そのお兄ちゃんと結婚する可能性がある。これはヤバい(笑)。

有名なミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の中に『何かよいこと(Semething Good)』という曲がある。
この映画は、映画自体はいろいろな評価があるが、曲は良く、この『何かよいこと』もそうだ。
この歌は、二十歳くらいのマリアが歌うのだが、こんな内容の歌だ。
「私は悪い子供だったし、青春時代はみじめだった。でも、その中に真実の瞬間があったに違いない。今、こんなに幸せなのだから、そんな子供の時や青春時代に、私は何かよいことをしたに違いない」
この「何かよいことをしたに違いない」という「何か」は、ボランティア活動をしたことでも、勉強で良い成績を取ったことでも、スポーツで活躍したことでもない。
そんなのじゃなく、「何かよいこと」なのである。
これこそが本当によいことだ。
『星の王子さま』に「本当に大切なものは目に見えない」という有名な言葉があるが、本当に大切なものは、お金や経歴といった大人に分かり易い物質的なものではなく、「何か」なのだ。

「何者かになりたい」と言うことがよくある。
そして、それを批判する、主に頭の硬い大人がいる。
「何者なんてものはないんだ。人間は大したものではないんだ。そのままの自分でいるしかないんだ」
という感じの批判である。
そうではないのだ。
ただ、「何者」を言葉で定義することが出来ないだけなのだ。
「何者かになりたい」と言いつつ、「お金持ちになりたい」「ひとかどの人物になりたい」と言うのは本物ではない。
「何者」は、そんな安っぽいものではない。
アラブのことわざに、「彼は神様を探しに行って、神様になって戻って来た」というものがある。
だが、彼のことは、こう言われる。
「彼は何者かを探しに行って、何者かになって戻って来た」
「彼は何かを探しに行って、何かになって戻って来た」

本当に大切なもの、本当によいもの、本当に美しいもの・・・それは、日本語で「何か」で、英語で“Something”だ。
キリスト教で言う「聖霊」も「何か」だし、老荘思想で言う「道」も「何か」だ。
あなたの願いを叶えてくれるのも、「何か」である。
別に難しくはない。
「何か」とは何かと考えるから、難しいのだ。
単に「何か」で良いのである。
神の正しい名は「何か」である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)サウンド・オブ・ミュージック[Blu-ray]
(2)サウンド・オブ・ミュージック - オリジナル・サウンドトラック (SHM-CD)
(3)星の王子さま (新潮文庫)
(4)老子 (岩波文庫)
(5)中国の思想(6)老子・列子 (徳間文庫)
(6)新釈 荘子 (PHP文庫)
(7)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻

家の娘
AIアート1155
「家の娘」
Kay

3つの宝

老子は、3つの宝を持つと言った(『老子』67章)。
翻訳によって多少異なるが、それは、「慈愛」「倹約」「人の先頭に立たない」のようだ。
もっと簡単に言えば、「人に親切にしろ」「無駄遣いをするな」「出しゃばるな」であろう。
考えてみれば、この3つが出来ない者というか、この逆をやるのは、頭が悪い者なのだと思う。
言い換えれば、頭が悪い者が「人に不親切」で、「無駄遣い」をし、「出しゃばる」のである。
この3つの度合いでIQの評価をすれば、下手なIQテストより、よっぽど頭の良さが分かると思う。

尚、3つの宝は、各自で定めても良い。
私のお薦めは、「笑う」「クンバク(息を吸って止めること)」「今今瞑想」である。
この3つで、運が良くなり、慣れれば慣れるほど引き寄せが起こるようになると思う。
「笑う」は、口元だけ微笑む「アルカイックスマイル」が最高だが、まあ、何でも良い。
「クンバク」は、息を大きく吸って、無理のない範囲で息を止める。息を止める際は、喉を締めず、腹の力で止める。
「今今瞑想」は、今この瞬間を感じることだが、分からなければ「今、今、今、・・・」と心でつぶやけば良い。
この3つで、このシミュレーション世界は、なぜか自分に快適なように動くように感じる。
今回は短いが、余計なことを言わず、肝心なことだけを書いておこうと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)老子 (岩波文庫)
(2)中国の思想(6)老子・列子 (徳間文庫)
(3)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(4)人生を思うように変える呼吸法(パム・グラウト)
(5)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻

おじいさんのお家
AIアート1154
「おじいさんのお家」
Kay

悪夢からの目覚め

悪夢を見た。
久々の高校生になった夢だった。
これまでの、小学生とか高校生になった夢を見ている時は、自分はもうとっくの昔に卒業しているという記憶があるのが普通だったが、今回はガチで、高校入学後1か月のバリバリの新入生という記憶しかなかった。それも含め、捏造の記憶も完璧で、その状況をごく自然に感じているというリアルな夢だった。
その夢の中では、なぜか私は、トップクラスの私立の進学校の高等部の生徒で、高校から(中等部を経ず)入ったようだ。実際の私は、そこそこの私立の進学校に高校から入ったのだが、その記憶はないながら、そんなエリート校にいる場違い感はかなり感じていた。
高校入学から、それまでの記憶はあった。よく出来た夢だ(笑)。

夢は、こんな展開になった。
その日、私は大きく寝過ごしていた。時計が遅れていたのだが、電波時計でないとしても、今時の時計がそんなに遅れるはずがない。
私は「あいつかあいつが時計を遅らせたのだな」と思った。夢分析的には、現実で、私の足を引っ張るやつか(笑)。
とにかく学校に行こうとして家を出たら、隣の家のおばあさんと出逢い、彼女の医者の息子と一緒に歩いていた。
すると、池があって進めない。遅れている時に、さらに障害が起こる。夢でよくあるパターンだ(笑)。
ところが、そのお婆さんは、首まで水に浸かりながら、「これ、どうやって渡るんでしょうねえ?」と言いながら、あっさり向こう岸に行ってしまった。彼女の医者の息子は、横の壁を上っていく。なるほど、こうすればいいのかと思い、私も、反対側の壁を上る。そして、高いところから向こう岸に跳び降りようとしたら、そのおばあさんが、「こっちだよ」と手を広げる。それはないと思い、私は全く別の場所に着地した。
2人と別れ、駅に着くと、もうかなり遅れていたが、忘れ物を思い出し、いったん家に帰った。
電車に乗って、高校まで1.3km程度の駅に着き、電車を降りた。
大通りに出ると、知り合いの立派な大人の男性4人が見えたが、声をかける必要もない。私は学校に向かって走り出した。
なぜかその4人が私の斜め後ろで私と同じ方向に向かっており、私はなぜか彼らの会話に興味を持ったが、聴こえなかった。

学校に着くと、同級生男子が校舎から出てきたのを見て、私は「大遅刻だよ」と言うと、彼は「まだ1時限目ですから大丈夫ですよ」と言う。何が大丈夫なのか分からないし、それにお前はどこに行くんだよと思ったが、スルーした。
私は、授業中に教室に入って、立派な態度で遅刻を謝罪するシミュレーションを頭の中で行った。私が本当の高校生時代なら思いもしなかったことだ。当時は、怒られない限り謝らなかったし、怒られても滅多なことでは謝らなかった。処世術がなってない(笑)。いや、謝ったからって赦してもらえると思うのは良くないが・・・。
ところが、その時、私は、教師が「よし、ではこの問題をやってみろ」と言うのが思い浮かび、大いにあり得ると思った。
私はこの夢では、入学1か月にして、勉強が周囲に全く着いていけなくなっていた。
問題をやれと言われても、出来るはずがないが、この一流進学校では「分かりません」とは言ってはいけないことになっている。
そう思っていたら、スマートフォンに、校内SNSから通知があり(今でも珍しいだろう、こんな学校)、見たら、「職員室に来い」とあった。
私の、あまりに駄目な勉強振りを注意するつもりなのだと思った。
ところが、私は、職員室の場所だけは、いくら思い出そうとしても思い出せない。
とはいえ、何とかたどり着きはするだろう。
そうしたら言ってやろうと思った。
「やる気は全くありません。学校はやめます」
それで一気に楽になる。そうすんなりやめさせてくれるとは思えないし、学校の友達(いたのか?意外 笑)に悪いと思ったが、とにかくやめるんだ。
そう思ったら、目覚ましが鳴り、目が醒めた。
目が醒めてもしばらくは「学校をやめたい」と強く思った。
そして、学校に行く必要がないことを理解すると安堵した。

本当に、見事に完璧な夢だった。
これが本物の仮想世界、あるいは、シミュレーション世界というものだ。
そして、この現実も、それと全く変わらないシミュレーション世界であることがはっきりと分かった。
しかし、そこまで容易く架空の記憶、偽の記憶を与えられてしまうのなら、このシミュレーション世界を脱することは、かなり難しい。
だが、これがシミュレーション世界であると認識した上で、このシミュレーション世界を好きなように改変することは可能だ。
コリン・ウィルソンが座右の書とした、イギリスの偉大なSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』にあるように、
「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」
のである。
今日から、『ポリー氏の人生』を読もう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)
(4)いかにして自分の夢を実現するか(ロバート・シュラー著。稲盛和夫訳)

リアルな夢の続き
AIアート1153
「リアルな夢の続き」
Kay

吸って止める。それだけ

古代から密教とか秘法として伝わる呼吸法では、吸ってから、いったん呼吸を止める(保息)ことが多い。
なぜ、そうするのかというと、経験的に、それで優れた効果があると分かるからだと思う。
スーパーラーニングという超高効率学習法でも、吸って止めることが脳の能力を高めるとして採用しているが、なぜ息を止めることに効果があるのかは分からないらしい。
ラマナ・マハルシが教えた、超能力を開発する効果があるという呼吸法でも、やはり息を止めるし、引き寄せにおいても、何度か紹介した大作詞家の阿久悠さんも、息を止める呼吸で曲をヒットさせたと言う。

私は、昔から、体調が悪かったり、身体のどこかに異常を感じる時は、ほぼいっぱいに息を吸っていったん止め、そして吐くことを繰り返すことを行っているが、これで高い確率で回復する。
ずっと以前、食物アレルギーだったか、インフルエンザワクチンのせいだったか分からないが、電車に乗っていて、気分がどんどん悪くなり、大袈裟ではなく、突然死事件として報道されるかもしれないと思った時も、この息を止める呼吸を繰り返し行い、10分くらいかかったが回復し、20分くらいで完全に元に戻ったということがある。

これはあまり主張しないが、行動力があって、「出過ぎた」ことを度々行うと、危機一髪の状況になることが時々あるのだと思う。
私もそんなことがあるが、エマージェンシー(緊急事態)に直面したら、咄嗟に息を吸って止めるが、それで、なぜか問題が解決してしまうことが多い。
コツは、吸って、喉の筋肉を締めて息を止めるのではなく、腹に力を入れて呼吸を止めることである。分からなかったら、とにかく、喉を締めずに息の流れだけを止めるようにすればうまくいくと思う。
これは、練習すればするほどうまくいくようになる。
普段から、思い出す度に、息を吸って止めることを行うと、なぜそれで世界を動かせるのかも分かってくる。
実際、息を吸って止めた時に、言葉を使わずに、なんとなくでいいから願うとそれが叶う(これが阿久悠式だと思う)。
これは、子供だと割と簡単にやってしまえると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(2)人生を思うように変える呼吸法(パム・グラウト)
(3)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(4)魔法修行(W.E.バトラー)
(5)強くなる瞑想法(無能唱元)

研究中
AIアート1152
「研究中」
Kay

プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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