ラマナ・マハルシは、「世界平和のために、あなたが出来ることは何ですか?」と質問された時、即座に「真我の実現」と答えた。
真我の実現とは、悟りを開くことと同じで、言葉で表現することは難しいし、非常に多様な言い方が出来てしまうが、単純に言えば、自我が魂に逆らわない状態になることと思う。
上記の応答の意味は、マハルシ個人のことではなく、人間が世界平和に貢献するために唯一出来ることが真我の実現であるという意味だ。
もちろん、世界中には現実的手段で世界平和に貢献する大勢の人々・・・政治家、事業家、医者、科学者、教育家、軍人、作家、技術者、配送者、その他あらゆる活動をする人々がいる。
ラマナ・マハルシは、こういった世間的活動には従事しなかったが、真我を実現した人にも、こういった活動をする人はいるし、むしろ、それが一般的だと思う。そして、真我を実現した人の活動は非常に効果的である場合が多い。
だが、真我を実現した人は、現実でいかに大きな成果を上げているように見えても、本人は何もしたとは思っていない。
つまり、何もしていないのと同じなのである。
このことを、マハルシはこう言っている。
「ある事業家は大きな事業を成し遂げつつある。しかし、彼は何もしていない。国の財務長官は最大の責任感を持って仕事をしている。しかし、彼は何もしていない」
真我を実現していようがいまいが、やる運命になっていることはやることになる。
ただ、真我を実現した人とそうでない人との違いは、真我を実現していない人は、自分がそれをやっていると思っているが、真我を実現している人は、自分は何もしていないことを知っていることだ。
真我を実現するには、学校でいろいろなことをしたり、仕事に熱心に打ち込んでいろいろな経験をしながら修行を行うことが効率が高い。
とはいえ、必ずしも一般的な社会活動が必要とは限らない。
マハルシは、学校ではスポーツに打ち込んだりしていたが、16歳でほとんど真我を実現してしまった。これは、一部で言われるような、前世での修行の成果とか素質といったことではなく、そういう運命であっただけだ。
我々も、何かをする運命から逃れることは出来ないが、たゆまず修行を行えば運命を超えることもあると思う。
修行と言っても、宗教的な苦行や荒行みたいものは必要ない(したければすれば良いが)。単に、真我を実現するための修行であればよく、それは実は何でも良い。
座禅を組みたければ組めば良いし、念仏を唱えたければ唱えれば良い。
キーワードはただ1つで、それは、
「死ぬまでやる」
であるが、「やりながら死ねる」でも良いと思う。
真我の実現レベルが上がると、RPGゲームでレベルやスキルが上がるのと同じで、人生が楽になる。おそらくは、セレンディピティが起こり、引き寄せがうまくなったように見える。
しかし、真の目的はあくまで真我の実現であり、成功の快楽で自我が強くなると、真我の実現から遠ざかり、現実の方も不幸になっていく。
ある程度、真我の実現に近付くと、人からは不幸に見えていても、本人は幸福である。まあ、普通は、真我の実現に近付けば、外的にもそれなりに恵まれ、途方もなく成功する場合もあるが、それも単に運命による。
いずれにしろ、真我を実現してしまえば、どちらでも良いことである。
RPGゲームでは、敵を倒したり、クエスト(課題)をこなすとレベルが上がる。
現実というゲームも同じで、勉強、スポーツ、仕事、恋愛などを真剣に行うことで真我実現に近付く・・・つまり、真我実現レベルが上がる。
特に、様々な不幸に遭った時(たとえば病気になる)、それにうまく対応するとレベルが大きく上がる。
だが、効率は悪いながら、ゲームで地味なレベルアップ作業を行うように、現実で地味に修行をすると、やはりレベルが上がる。
効率が悪くても、常に行えば、大きな成果になる。
勉強や仕事が、かえってレベルを落とすこともあることを考えれば、修行は着実な方法だ。
そんな修行の中で、今今メソッド(今この瞬間に集中する)は効果が高いと思う。
私は、現実では人並よりは多くのことをやってきたと思うが、それと比べても今今メソッドの効果は高いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
(2)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(4)パワーかフォースか(デヴィッド・R・ホーキンズ )
(5)<わたし> (デヴィッド・R・ホーキンズ)
(6)セレンディピティ~思いがけない発見・発明のドラマ~(ロイストン・M・ロバーツ)
(7)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)

AIアート972
「レプティリアン」
Kay
真我の実現とは、悟りを開くことと同じで、言葉で表現することは難しいし、非常に多様な言い方が出来てしまうが、単純に言えば、自我が魂に逆らわない状態になることと思う。
上記の応答の意味は、マハルシ個人のことではなく、人間が世界平和に貢献するために唯一出来ることが真我の実現であるという意味だ。
もちろん、世界中には現実的手段で世界平和に貢献する大勢の人々・・・政治家、事業家、医者、科学者、教育家、軍人、作家、技術者、配送者、その他あらゆる活動をする人々がいる。
ラマナ・マハルシは、こういった世間的活動には従事しなかったが、真我を実現した人にも、こういった活動をする人はいるし、むしろ、それが一般的だと思う。そして、真我を実現した人の活動は非常に効果的である場合が多い。
だが、真我を実現した人は、現実でいかに大きな成果を上げているように見えても、本人は何もしたとは思っていない。
つまり、何もしていないのと同じなのである。
このことを、マハルシはこう言っている。
「ある事業家は大きな事業を成し遂げつつある。しかし、彼は何もしていない。国の財務長官は最大の責任感を持って仕事をしている。しかし、彼は何もしていない」
真我を実現していようがいまいが、やる運命になっていることはやることになる。
ただ、真我を実現した人とそうでない人との違いは、真我を実現していない人は、自分がそれをやっていると思っているが、真我を実現している人は、自分は何もしていないことを知っていることだ。
真我を実現するには、学校でいろいろなことをしたり、仕事に熱心に打ち込んでいろいろな経験をしながら修行を行うことが効率が高い。
とはいえ、必ずしも一般的な社会活動が必要とは限らない。
マハルシは、学校ではスポーツに打ち込んだりしていたが、16歳でほとんど真我を実現してしまった。これは、一部で言われるような、前世での修行の成果とか素質といったことではなく、そういう運命であっただけだ。
我々も、何かをする運命から逃れることは出来ないが、たゆまず修行を行えば運命を超えることもあると思う。
修行と言っても、宗教的な苦行や荒行みたいものは必要ない(したければすれば良いが)。単に、真我を実現するための修行であればよく、それは実は何でも良い。
座禅を組みたければ組めば良いし、念仏を唱えたければ唱えれば良い。
キーワードはただ1つで、それは、
「死ぬまでやる」
であるが、「やりながら死ねる」でも良いと思う。
真我の実現レベルが上がると、RPGゲームでレベルやスキルが上がるのと同じで、人生が楽になる。おそらくは、セレンディピティが起こり、引き寄せがうまくなったように見える。
しかし、真の目的はあくまで真我の実現であり、成功の快楽で自我が強くなると、真我の実現から遠ざかり、現実の方も不幸になっていく。
ある程度、真我の実現に近付くと、人からは不幸に見えていても、本人は幸福である。まあ、普通は、真我の実現に近付けば、外的にもそれなりに恵まれ、途方もなく成功する場合もあるが、それも単に運命による。
いずれにしろ、真我を実現してしまえば、どちらでも良いことである。
RPGゲームでは、敵を倒したり、クエスト(課題)をこなすとレベルが上がる。
現実というゲームも同じで、勉強、スポーツ、仕事、恋愛などを真剣に行うことで真我実現に近付く・・・つまり、真我実現レベルが上がる。
特に、様々な不幸に遭った時(たとえば病気になる)、それにうまく対応するとレベルが大きく上がる。
だが、効率は悪いながら、ゲームで地味なレベルアップ作業を行うように、現実で地味に修行をすると、やはりレベルが上がる。
効率が悪くても、常に行えば、大きな成果になる。
勉強や仕事が、かえってレベルを落とすこともあることを考えれば、修行は着実な方法だ。
そんな修行の中で、今今メソッド(今この瞬間に集中する)は効果が高いと思う。
私は、現実では人並よりは多くのことをやってきたと思うが、それと比べても今今メソッドの効果は高いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
(2)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(4)パワーかフォースか(デヴィッド・R・ホーキンズ )
(5)<わたし> (デヴィッド・R・ホーキンズ)
(6)セレンディピティ~思いがけない発見・発明のドラマ~(ロイストン・M・ロバーツ)
(7)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)

AIアート972
「レプティリアン」
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