ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2024年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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猫になる方法

私は中学生の時、庭を猫でいっぱいにする妙な特技があった。
これを「猫の引き寄せ」と言う(笑)。
さして広くない(適切に言えば狭い)庭だが、猫がうじゃうじゃといる光景は、結構壮観であった。
だが、あまりやると、いろいろ不都合(庭や庭の花が荒れる)もあるし、なかなか去らない猫もいるなどで、ほんの数度しかやらなかったと思う。
では、どうやって猫を引き寄せることが出来るのか書いてみる。
それは、「ひとえに」と言えると思うのだが、「猫になる」ことだ。
考えてみれば、これも、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」の活用だ。
つまり、「私は猫だ」と想定するのである。
自分が猫になれば、自分を構成する量子が猫の波動を出すのかもしれない。

では、「猫になる」とはどういうことだろうか?
それは「俺は猫だぞ!ヒャッホー!」と思うことではないし、「私は猫だ。嬉しいなあ」と思うことでもない。
あるいは、猫の気分になることでもない。
「俺は猫だ、俺は猫だ」と自己暗示をかけることでもない。
言葉で言うなら、「猫の気持ちになる」ことだ。
猫の気持ちがどんな気持ちかって?
それは想像するしかない。
その想像が当を得ているのかって?
心静かにやればそう(当を得た想像に)なる。
そういえば、『ガラスの仮面』で、北島マヤが小鳥になった演技をしているうちに小鳥の気持ちになりきってしまう・・・というお話があったような気がする(子供の時に家にあった漫画で読んだきりなので違うかもしれないが)。
演技が上手い人なら、北島マヤのように、身体で、小鳥や猫の真似をしても良いかもしれない。
だが、私の場合、猫になった自分を想像しているうちに、猫の気持ちになったのだと思う。
いや、それよりも、これが本質なのだが、「猫になったらどんな気持ちだろう?」と想像したのだ。

猫になることが出来るなら、何にでもなれると思う。
たとえば、金持ちになりたければ、「金持ちになったらどんな気持ちだろう?」と想像すれば良い。
これが「想定の法則」の良い使い方であると思う。

女神
AIアート820
「女神」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ガラスの仮面(美内すずえ)
(2)ガラスの仮面 ※dアニメストア for Prime Video
(3)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(5)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書

全ては数の問題

私には、2人の名人、達人の上司がいて、それぞれから、人生での決定的なことを教わっていたのだが、あまり気付いていなかった。
1人は、セールスでの上司で、彼は当時、ほとんどマネージャーをしていたが、トップセールスマンでもあった。
私は入社早々、セールスコンテストで優勝する活躍(明らかに引き寄せを使った)だったが、その後はうまくいっていなかった。
それで、その上司が同行セールスをしてくれたのだが、その日の終わり頃、彼が私に言ったのは、
「俺とお前の差は件数(訪問件数)だけ」
だった。
彼がセールスマン時代、圧倒的な売り上げをあげた秘訣はただ1つ、沢山セールスをしただけだったというわけだ。
ちなみに、その上司は中卒だった。
もう1人の上司は、世の中で注目される企業を起こした経営者だった。
彼は、別に私に言ったのではなく、その会社の役員達(私は役員にならなかった)に言ったのだが、
「俺とお前らとの差は素振りの数だけだ」
と、彼はプロ野球ファンだったので、何かを野球の素振りにたとえて言ったのだった。
その何かとは、セールスマンの訪問と同じような、仕事の基本的な何かだが、やはりセールスマンの訪問と同じく、鍛錬にもなる何かだろう。
具体的には、その者の立場で異なると思う。

素振りと言えば思い出すのが、日本プロ野球の歴史でも屈指の打者だった落合博満さんが中日ドラゴンズのゼネラルマネージャーだった時、個人指導を請いにきた勇気ある若い選手がいたが、その選手に延々5時間素振りをやらせたことだ。素振りをやらせ、落合さんはずっと見ていたという。
しかし、その選手は落合さんの真意が分からず、成功しなかったが、落合さんが教えたのは、間違いなく、「重要なのは素振りの数」だったのだろう。

セールスなどのビジネスや野球に限らず、いかなることも、決め手は数だけだ。
何度か書いたが、現KADOKAWA社長の夏野剛さんとチームラボ社長の猪子寿之さんの対話(『「大企業の時代」は終わったか』に収録)で、天才と言われる猪子さんは「天才はいない。かけた時間だけの問題」と述べていた。
別に猪子さんに限らず、およそ成功者の全てはそう言うのだと思う。
数年前、私がある女性の売れっ子イラストレーターの個展に行った時、そのイラストレーターがいたが、彼女は「女の子」というに相応しい若くて本当に可愛い人だった。
私は彼女に「子供の時から描いていたのか?」と尋ねたら、彼女はやはり「1日中描いていた」と言った。

引き寄せも、ただ数で決まる。
やり方など些細な問題だ。
YouTubeで見ることが出来ると思うが、ある人は「お金がある」を口ぐせにして短期間で3億円ほど得たらしい。
口ぐせと言っても、積極的に言っていたのだから、呪文のように唱えていたと言った方が良いと思う。
まあ、引き寄せの達人と言われる人の自己申告のどれほどが信用出来るのかは分からないが、その人は、やはり、「数が全て」であり、出来るだけ多く「お金がある」と唱えることを勧めていたと思う。
そして、上であげた「俺とお前らとの差は素振りの数だけだ」と言った社長の口ぐせがまさに「金がある」だった。

閃光
AIアート819
「閃光」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)「大企業の時代」は終わったか 【Voice S】(夏野剛、猪子寿之)
(2)強豪セールスの秘密(奥城良治)
(3)佐川幸義 神業の合気
(4)深淵の色は 佐川幸義伝

変身能力を持った女性達

ギリシャ神話に『変身物語(転身物語)』という、神や妖精が別の姿に変身するお話を集めたものがある。
よく知られているものには、水面に映った自分の姿に見とれ、動けなくなって餓死してしまった美少年ナルキッソスが水仙(ナルシス)に変身した話(ナルシストの語源になった)や、太陽神アポロにレイプされかけた妖精の美少女ダプネー(ダフネ)が、父である河の神に願って月桂樹に変身した話がある。

ところで、ギリシャ神話の高位の神は変身が上手い。
最たるものは神々の王ゼウスで、彼のその完璧な変身能力は、ほとんどが、神、妖精、人間の美少女をモノにするために使われた。
その犯行の多くは名画になっている。
たとえば、人間の美少女レダ(レーダー)には白鳥に変身して近付き、生まれた娘の一人が、人類最高の美女ヘレネー(ヘレン)であり、白鳥に化けたゼウスがレダと絡み合う絵が、沢山の天才画家によって描かれている。
また、白牛に変身して、人間の美少女エウローペー(エウロパ)を強奪する『エウロパの略奪』の絵も、モローはじめ、多くの一流画家によって描かれている。
まあ、その手のゼウスの犯行は数え上げればキリがないが、彼は神々の王なのだから、変身せずに堂々と行けば良さそうなものだが、妻のヘーラー(ヘラ)が恐くて、コソコソ変身して美少女狩りに励むのだという説が有力なようだ。
ちなみにヘーラーはゼウスの実姉で、他にもゼウスは、実姉のデーメーテール(デメテル)との間にもペルセポーネ(コレー)という美少女女神を儲けている。もう、どうしようもないやつだが、一説では、ゼウスは実娘のペルセポーネとの間にも子供を作っている。尚、ペルセポーネは、ゼウスの実兄である冥界の王ハーデースの妻になった。つまり、ハーデースは実姉(実妹?)と実弟の間の子供と結婚したわけである。

ただ、これらの変身のお話は、実は比喩であり、大きな秘密が隠されているので、倫理的に非難しなくて良い。
つまり、高位の神々の変身能力(変身させる能力もある)は、引き寄せの秘法である。
願いを叶えるということは変身するということである。
たとえば、簡単に言えば、貧乏人が金持ちになるというのは、貧乏人が金持ちに変身するということだ。
ギリシャ神話では、神と人間は明確に区別されているが、あのエマーソンが、我々はゼウスであることを示唆している。
それならば、我々はゼウスの変身能力で、いかなるものにもなれる。
変身のやり方は特にない。ゼウスが変身のやり方など考えもしないのと同じである。
「なった」と思えばなる。いや、素直に「なりたいなあ」と思えば良い。

日本の女性が隠れた変身能力を持っているのは、『ひみつのアッコちゃん』のためであると思われる。
赤塚不二夫による『ひみつのアッコちゃん』の漫画は1962年から連載開始されたが、漫画、アニメ、実写映画・ドラマが、現代に至るまで、何度もリメイクされている。
新しいところでは、『ひみつのアッコちゃんμ(ミュー)』(漫画。2016~2022)があり、作画が上北ふたごさんなので超可愛いことは間違いないと思う(上北ふたごさんは、プリキュアシリーズの初代からの漫画で知られる)。
主に昭和生まれの女性には、「テクマクマヤコン〇〇になあれ」と唱えることで、何にでもなれる能力を身に付けた者がよくいたのだ。
時代が下るにつれて、そんな女性が減り、今や貧困女性が多くなったが、現代の子供にすら、その変身能力を継承した女の子もいる。
赤塚不二夫のような、昔の天才漫画家が作った漫画には、宇宙的な秘密が隠されたものが多いのである。

朝霧
AIアート818
「朝霧」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ひみつのアッコちゃん(1)(赤塚不二夫)
(2)ひみつのアッコちゃんμ(1)(上北ふたご)
(3)変身物語(上)(講談社学術文庫)
(4)転身物語(上)(グーテンベルク21)
(5)精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)

明晰夢で知った「パワー」の使い方

眠っている時の夢の中で、「これが夢だ」と気付いている夢を明晰夢と言うのだが、夢に気付いている度合いというのもあるのだと思う。
私は最近、「これは夢である」という完全な自覚があった明晰夢を見た。
私は、「これは興味深い。是非実験をせねば」と思った。
私は、極めて質素な木造りの部屋の中にいて、床も壁も天井も濃い茶色の木材で、それらは艶があり、塗料が塗られているのかなと思った。
窓はガラスではなく、雨戸のような木の板で閉じられていた。
それを開くと何を見ることが出来るのかとワクワクした。
それで、早速、その窓の板をスライドさせて開けたが、それは、簡易的に描かれた油絵のようで、やや濃淡はありながら、ただ水色に塗られた空と、その下に、とても曖昧に描かれた町があった。
だが、見ていると、空は現実的な空の様子に近付き、町も具体的な町になっていく。
私は、「夢の中では左脳は働いていないので、論理的思考は出来ないと思うが、今もそうなのだろうか?」と思った。
しかし、そう考えている時点で、ある程度は論理的に考えているのだと思った。
そうこうしているうちに、空も遠くの風景も完成し、すぐ近くは茶色の地面が広がっていた。
私がそれらの創造主なのかもしれないが、あまりそんな感じはしない。
では、目の前の地面でサイコキネシス(念動力)の実験をしようと思ったが、土ばかりで動かせるものがない。
では土でも動かせば良さそうなものだが、それでは面白くないと言うよりも、やはり絵に描かれたような地面なので、動かせそうな感じがしなかった。
私は、「石ころよあれ」と思ったわけではないが、ちょっと「石があったらいいな」と思ったら、大きさは不明だが、あまり大きくない黒い石がいくつか現れた。
やはり、どうも私は創造者っぽくない。
だが、「あったらいいな」と思ったら現れたのは悪くない。
では、早速、石ころをサイコキネシスで動かそうとしたが、さっぱり動かない(笑)。
Tell Me Why?(なぜなんだー)である。
やはり、全く動きのない絵を動かすのは難しいのだろう。
多少は動きがあった方が良い・・・と思ったのかもしれないが、地面の上で十人ほどの人間(若い男達)が現れ、ホッケーのようなことを始めたが、無秩序な動きで、棒でボールの代わりに石ころを叩いていたが、その石ころがボールに変わった。
私は不意に思いついて、そのボールを指差し、指をいろいろな方向に動かすと、ボールがその方向に動き、ホッケー選手(?)が慌てているようだった。
アニメでも映画でも、超常現象を起こす時は、圧倒的に指差しをする場合が多いが、なるほど、それが人間の本能のようなものなのだろうと思った。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼のヨハネ』の絵だって、ヨハネは天を指差しているし、他にも、突出した人物が指差しをしている名画は沢山ある。
禅語の中にも、倶胝(ぐてい)という僧は、何を聞かれても指を1本立てるだけだというし、彼は往生の際は、「私は師の天竜から教わった一本指の禅を一生で使い切れなかった」と言ったことになっている。
アニメ『灼眼のシャナ』で、「祭礼の蛇」坂井悠二は、異世界ザナドゥとの扉を開ける際、天空を指差した。
やはり、人間は、意識を向ける際、指を差す方がやり易いのだろう。
武道では、人差し指は「師匠預けの指」と言われて、使ってはならないことになっている。
この「師匠」とは、私の解釈では、魂、真の自己、真我だ。
人差し指は、物質世界と高次元世界をつなぐ鍵で、意思を向けるものである。
よって、皆さんも、超能力とか引き寄せの力を使う際、人差し指を伸ばし、それに意思を向ければ思うようになるだろう。

夢の乙女
AIアート817
「夢の乙女」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(5)夢 [DVD](黒澤明監督作品)

「私は誰か?」の本当の意味

ラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と問うことは、実際にはあまり行われていないように思う。
その理由は、「なぜ、これを行うのか?」が全く分からないからで、これは非常に問題だ。
マハルシが、「私は誰か?」と問う意味について語った内容の翻訳もあるが、どれも抽象的過ぎてほとんど分からない。
では、マハルシに代わって、分かっている人が分かり易く説明すれば良さそうなものだが、それがないということは、分かっている人がいないということだろう。
「意味など分からなくても、マハルシが言うことだからやればいいのだ」と言うのは、宗教であれば、それで良いのかもしれない。
しかし、マハルシの教えは宗教ではない。

確かに、マハルシが、
「『私は誰か?』は、あらゆる想いを消し、最後には『私は誰か?』という想いすら消す」
と語った日本語の文章もあるが、実際に、その効果を感じた人はほぼいないと思われる。
そして、ただ「私は誰か?」と唱えるだけでは駄目だとマハルシが語ったこともある。
では、どう唱えれば良いのかというと、その説明は、やはりひどく抽象的だったり、行うことが難しいものだったと思う。

いずれにしても、もっと現代的に、そして、まずは誰でも簡単に分かるように言わないと、それを人々が実践することはまずない。
簡単で分かり易くあってさえ、ほとんどの人はやらないのだ。
ましてや、抽象的で掴みどころのないメソッドなど、ないも同じである。

そこで、私なりの説明をする。
「私は誰か?」は、記憶を消すメソッドだ。
決して笑い話ではなく、「私は誰?ここはどこ?」というのは、記憶喪失に陥った状態を端的に示した言葉だ。
そして、「私は誰か?」と、まるで記憶喪失の人間のように問えば、実際に記憶が消えていくのだと思う。
聖者というのは、その気になれば記憶を蘇らせることは出来るし、必要な記憶なら自動的に蘇るが、頭の中に記憶はない。
人間が魂の力を発揮出来ない原因は記憶である。
記憶がなければ、固定観念も偏見も洗脳もない。
そんな聖者の状態に近付けるマントラが「私は誰か?」である。
これが分かると、「私は誰か?」と問い易くなるし、問う意欲も出るのである。
あなたも、嫌な記憶は消したいだろう?
そして、良いと思える記憶だって、実は、それと共に悪い記憶がくっついているのである。
そこで、良い記憶も悪い記憶も消し去ってしまえば、心は軽く、清々しい気分になる。
必要な記憶は、頭になくても、どこかにあって、必要であれば出てくる。
だから困らない。
それに、頭の記憶は、ほとんどが変質している。つまり、嘘の記憶である。
だが、頭以外の記憶は正しい。
従って、頭の記憶を消せば、事実に基づいて生きられるのである。

こういったことが分かれば、「私は誰か?」は最高のメソッドであることが分かるのである。

耐える
AIアート816
「耐える」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻(福間巖翻訳)
(3)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(4)ダイアネティックス(L.ロン.ハバード)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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