ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2024年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

唯一無二の修行法

悟りを開いた賢者達が一様に言うことは、
「外の世界を無視しろ」
だ。
表現が微妙に異なるのは仕方がなく、
「感覚を外に向けるな」
「見えるものを信じるな」
「五感で捉えられるものは幻想だ」
「現実は夢だ」
「世界は幻想だ」
などで、他にもあるが、つまりは、見えるものは全部まやかしの嘘であるということだ。
問題は、それとセットで語られることであるが、これが少し難しい。
たとえば、
「内側に目を向けよ」
「感覚を内側に向けよ」
「”私”に意識を向けよ」
であるが、それらから分かることは、「内側=私の本体(真我)」である。
それを捉えれば良いのである。
では、「内側」「私の本体(真我)」とは何だろう?
それは、翻訳ベースであるが、

ラマナ・マハルシ:”私”という想い
ヘレン・ケラー:イデア(プラトン哲学の用語。解釈は多様だが、「永遠の実在」としておく)
ニサルガダッタ・マハラジ:純粋な気付き
ネヴィル・ゴダード:「私は在る」という感覚

である。
そして、これらは同じである。
しかし、それは、本1冊でも語ることが出来ないもので、つまるところ、言葉、あるいは、思考を超えたものだ。
だから、ヒンズー教では、それを、とりあえず、「彼」「それ」と言う。
それで、「私は彼である」「私はそれである」と言うのだ。

だが、あえて言うなら「それ」は、「純粋な存在」であり、「実在」と言って良い。
そして、上の中で、一番分かるように言ったのがネヴィル・ゴダードのものだ。
つまり、「それ」は「『私は在る』という感覚」である。

ニサルガダッタ・マハラジとネヴィル・ゴダードは、明確に、「『私は在る』という感覚に注意を向けろ」と言う。
もっと簡単には「『私は在る』と感じろ」である。
これだけやれば、全知全能に近付いていく。

迷子の妖精
AIアート770
「迷子の妖精」
Kay


私の知り合いに、このことを実証するためか、物品引き寄せ(アポーツという超能力)をやったり、火がついたローソクの写真の火を消したり、一晩で名画を十枚も描いたりする人がいて、見せられる人は喜ぶが、むしろ進歩の妨げになってしまう。
まあ、手品かもしれないと思って私は関心を持たないようにした。
明治時代に、「やらなければ有罪」と裁判官に言われてやむなく、そんなことをやった人(長南年恵)がいたが、やっていいことは何もなかった。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(3)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(5)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(6)オプティミスト(ヘレン・ケラー)※『Optimism』翻訳書
(7)楽天主義(ヘレン・ケラー) ※『Optimism』翻訳書

今年はヤバい年

8年前の2016年は大きな変革の年であったが、それは私が引き寄せて作ったもののように感じる。
このように言うと、頭がおかしい人のように思われるかもしれないが、誰にとっても、世界は自分で作ったものだ。
ここをいったん把握すると、引き寄せのマスターになる。

2016年といえば、アメリカでは大統領選挙が行われ、民主党のヒラリー・クリントン国務長官が初の女性大統領になることが確実視されていた。
一方、共和党では「なぜこいつが?」と見られることも多かった、大富豪の事業家で、ニューヨークの不動産王として知られるドナルド・トランプが指名を獲得して出馬したが、ほとんどのメディアはヒラリーの圧倒的優位を伝えていた。
大統領選に富豪の事業家が立候補したことと言えば、1992年にテキサスの大富豪ロス・ペローが無党派で出馬し、支持率で1位になったこともあった。
ロス・ペローは「資金が理由で負けることはない」と豪語し、潤沢な自己資産を注ぎ込んで選挙戦を展開した。
だが、無党派で当選することは事実上不可能である。しかし、ペローの出馬により、ブッシュ大統領(パパブッシュ)の再選を阻止し、ビル・クリントンが当選するという結果になった。
ペローの資産は41億ドルと言われていたが、トランプは最盛期の資産が39億ドルくらいであったらしい、
ただし、トランプの資産の大半は不動産で、現金がそれほどあるわけではない。
トランプの資産は27億ドル程度にまで下がっていたが、最近、トランプのソーシャルメディア企業が上場し、トランプの資産は一気に65億ドルとなり、初めて世界大富豪トップ500に入ったらしい。
本当に、いつも驚かせてくれる男だ。

2016年のアメリカ大統領選挙は、私は当時勤めていた会社の中で、スマートフォンで速報を見ていたが、トランプがリードしているのを見た衝撃は今でも覚えている。
そして、当時はアメリカの大統領選挙などさして関心がなかったが、このままトランプが勝つことを願った。
というか、なぜか、トランプが勝つことは初めから分かっていた。
不思議なことだったが、私は、学生の頃から、トランプの情報をよく目にし、トランプの最初の本である彼の自伝も買っていた。
ところで、上記のロス・ペローはトランプを「ニューヨークの目立ちたがり屋」と馬鹿にしていたものだ。
私も、ペローは大好きで、彼の著書は愛読しているが、トランプの自伝は、買ってはみたもののアホらしくて読まなかった(笑)。
ペローは、こんなことを書いている。
「妻がなぜ私と結婚してくれたのか。それは今も謎だ」

2016年と言えば、初音ミクさんのライブ&企画展である「マジカルミライ」が初めて幕張メッセで開催され、それは今も続いている。
そして、私が初めてマジカルミライに行ったのも、この年である。
私は不思議な経緯で、ライブでは、日曜昼に、2ブロックの先頭という、一番好きな席を引き寄せた。
だが、初めての初音ミクライブは土曜の夜、後ろから5列目の左端から2番目とい席であったが、今でも、このライブが一番楽しかった。まあ、初めてということもあったが、隣の席の美少女が私とペアと言っていいくらい、同じ格好をしていた。
これも、ただの偶然の一致と思えなかった。
ところが、日曜昼ライブは、風邪をひいてしまい、最悪の体調であった。
しかし、ライブスタート直前にエネルギーに満ち、ライブは楽しく、あっという間に終わってしまったように感じた。ライブ終了時には完全に治っていた。

2016年5月に、世界的音楽家だった冨田勲さんが亡くなられた。
冨田さんは2012年に、初音ミクさんをプリマに採用した交響曲である『イーハトーヴ交響曲』を制作し、東京のオペラシティコンサートホールで初公演を行った。私はこの時は行かなかったが、翌年の大阪のオリックス劇場での、宮沢賢治没80年の日の公演に行った。この時、初めて生で冨田勲さんを見て、話を聞くことが出来た。
2016年に、冨田さんが制作中であったバレエと交響曲の舞台である『ドクター・コッペリウス』は、冨田さんが亡くなられながら11月に東京のBUNKAMURAオーチャードホールで公演され、私も初めて渋谷に行って観劇した。
表だっては、私はただの観客であったが、これら全て、私が動かしていたような感じがしていた。
それは、子供の時、テレビで見るような出来事も、私が干渉しているという妄想めいてはいたが、実際にそうであったという感覚であった。
まあ、普通は信じてもらえないが、何度か書いたように、私は、テレビ放送を心で操るようなことは、かなりはっきり出来たのだった。

花園
AIアート769
「花園」
Kay


今年は世界のあり様が変わる年で、なりゆきによって世界滅亡に突き進むことになる。
それをどう変える・・・といったものではないが、自分次第であるとは言える。
最近よく書いている想定の法則と実在との合一に馴染んでおくと良いだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)トランプの真実
(2)大富豪ロス・ペローという男
(3)シンセサイザーと宇宙(冨田勲)
(4)イーハトーヴ交響曲(CD。冨田勲)
(5)月の光(CD。冨田勲)
(6)初音ミクはなぜ世界を変えたのか?
(7)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(8)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(9)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(10)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話

やはり引き寄せはこれだけでいい

私は、引き寄せでは、子供の時が引き寄せ使いのピークで、単なる不思議さという意味ではイエスにひけを取らなかったと思う。
その後は無自覚に、ただ安楽になるように引き寄せを使っていたが、世の中には、潜在意識の法則とか、ニューソート(日本では光明思想)、クリスチャンサイエンス、成功哲学(「思考は現実化する」で知られる)といったものがあることを知って好奇心をそそられ、いつか引き寄せは趣味になってしまった。
それで、『葬送のフリーレン』で、フリーレンが「魔法が趣味」という気持ちがよく分かるのである(笑)。
ただ、願望なんてのは、運を天に任せたほうが面白いので、そうそうは引き寄せを使わないが、ついつい初音ミクさんのライブで、2~4列中央の席を何度も引き寄せてしまい(一番好きなのは、2ブロック先頭で、これも何度か当てた)、反省して、楽しむために全く当たらない状況も引き寄せていたように思う(最終的にはいつも良い席を引き寄せてしまうのだが)。

散々、引き寄せを研究するうち、誰でも確実に出来る方法に関心を持ち続けていたが、それはなかなか見つからなかった。
引き寄せは、思考を消した時に起こり、思考がない意識(潜在意識)に願望を伝えることが難しいと思っていたが、実は願望を潜在意識に伝える必要はないことが分かった。引き寄せ界では「潜在意識に願望を伝える」が引き寄せの基本であるが、実際は、潜在意識が願望を知らないはずがない。それどころか、潜在意識は、自分が知らない願望すら知っているのである。

よほど高度な密教の秘法みたいなものがあるのかどうかは分からないが、私が分かる範囲では、最上の引き寄せの手法は、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」を使うものである。
ちなみに、それ以前は、「『ザ・チケット』7章」が最上と思っていたが、実践可能で確実というところで「想定の法則」には遠く及ばないと思う。
(私の推測では、チケット7章を使えるのは、元々素質がある1割以下)
ただし、正しい引き寄せであれば、どれも原理自体は同じである。
私は、想定の法則を使うと、子供の時の引き寄せ全盛期の感覚が蘇ったので、やはりこれで間違いないと思う。

ところが、想定の法則の書籍の翻訳は2つ(内容は同じ。ヒカルランド出版)で、
・想定の『超』法則
・その思いはすでに実現している!(上の本の新装版)
だが、正直、分かり難いと思う。
文章が難しいわけではないが、肝心なことが分からないような気がする。
実は、私も1年半前にこの本を買った時は、「普通の引き寄せの本」と思って放置していたが、無意識に手元近くにずっと置いていたのだから、やはり潜在意識では分かっていたのである。
尚、個人的には、YouTube動画の想定の法則の説明は、私が知る範囲では、どれも最悪であると思う。

「想定の法則」の実践は、「願いが叶ったらどんな気持ちかを想像する」だけである。
どんな気持ちかは、『燃えよドラゴン』ではないが、「考えるな感じろ」である。
必死でやってはいけない。
真面目にやらないといけないが気楽にやるべきである。
まあ、最初は下手でも、やっているうちに上手くなるし、そもそも、最初から楽しいものであるはずだ。

あるがまま
AIアート768
「あるがまま」
Kay


あえて言えば、「私は存在すると感じる」ことを、やればやるほど引き寄せるようになる。
(最近、私はこれをフリーレンごっこ、あるいは、フェルンごっこと呼んでいる(笑))
別にやらなくていいが、『アイ・アム・ザット~私は在る~』を読んで、「私は存在すると感じる」ことを、ある程度理解すれば良いかもしれない。
その上で「私は存在すると感じる」ことをやるのが理想であると思う。
だが、厚い本だし、抽象的で分かり難い部分も多いので、特に読まなくていいが、スピリチュアル分野の本では総合的な意味で1番の本だと私は思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(2)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(3)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(4)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話

本当の常識=当たり前の感覚

前にも書いたかもしれないが、ドナルド・トランプ前アメリカ大統領が、副大統領候補を選ぶ際、どんな資質を副大統領候補に求めるのかと質問され、大前提として、自分(トランプ)に何かあった時に自分に代わって大統領を務めることは出来る能力がある人物であることとした上、人間的に最も重要なことを、翻訳では「常識がある」こととした。
私はこれに非常に感激したが、おそらく、この「常識」はコモン・センス(common sense)のことだが、日本語の「常識」はやや癖がある言葉だ。

日本社会でも「常識がある」「常識がない」という言い方をよくするが、これが当を得た意味である場合もあれば、まことに下らない意味で使われることもある。
下らない意味で使われる場合とは、権力者、支配者、立場が強い者の、「自分達に都合の良い慣習」を「常識」と言うものだ。
たとえば、ある会社の社員旅行では、「宴会では、新入社員の女子の席は部長の隣にするのが常識」と言ったりである。
病院によっては、女性の看護師(以前は「看護婦」という名称だった)は、風呂で医者の背中を流すのが今でも常識であるらしい。
今、例にあげた「下らない常識」はセクハラ防止の条例的なものにより、なくなりつつはあるが、強い者が弱い者に強制する常識は、ますます増えている。
一方で、子供が電車の中で大声を上げ、それを親が止めないことが増えているように、「かける必要のない迷惑を他人にかけない」とか「他人の権利を尊重する」といった美しい常識が廃れる一方であるように思う。

正しい意味での「常識」はコモン・センスの訳の1つである「良識」に当てはまるようにも感じるが、「良識」の場合は、立場が強い者の慣習という意味は薄れるが、伝統的な慣習という意味合いが強くなる場合がある。
たとえば、「お世話になった人にお歳暮を贈るのが良識」といった感じで、一見善く感じるといった程度のものである場合が多い。

会社で上司が、若い部下を長々説教し、「どうだ?俺の言うことが分かるか?」と部下に確認する。
つまり「俺が言うことが正しいだろ?だから従え」と言いたのだろう。
その内容は、それこそ「社員旅行の宴会では新入社員の女子は部長の隣に座るのが常識だ」かもしれないし、「ホウレンソウ(報告、連絡、相談)が常識」といった、一見正しいようなことかもしれない。
そこで部下が「ケースバイケースですね」と言うと、上司は凄く嫌な顔をする。
その上司にとっては、「部下は上司に逆らわない」が常識なのに、部下は「それは俺の常識でないっす」と言ったのだからだ。
その部下は、「本当に新入社員の女子が楽しければ部長の隣に座るのもいいですし、必要な時はホウレンソウも必要です。でも、気が進まないなら宴会で部長に近付く必要はないし、ホウレンソウをしなくていい場合もある」と、それこそ「常識的」なことを考えているのかもしれない。
しかし、上司にとっては、そんな部下の常識が、常識として通用するのは都合が悪いので認めるわけにはいかない。

トランプが言った常識とは何だろう?
それは簡単で、ある意味、コモン・センスの直訳でもある「当たり前の感覚」である。
昔、こんな実験が行われた。
人通りの多い道路で、一人の人(中年の男性)が、のたうって苦しんでいる演技をする。
それを、多くの通行人は何もせずに通り過ぎ、かなりの時間が経ってから、やっと1人の人が、その苦しんでいる演技をする人に声をかけ助けようとした。
もちろん、子供や急いでいるなどで、必ずしも助ける必要がない場合もあるが、そんなふうに苦しんでいる人を見過ごさない人を、良い意味で「常識がある人」と言うのであり、それを「当たり前の感覚を持った人」と言うのだろう。
まあ、この例では、声をかけ難いことも理解出来るが、もっと簡単には、電車の中で、少なくとも老人や身障者や妊婦がいればシルバーシートを譲るといったことが「当たり前の感覚」である。
トランプは、副大統領候補は、そんな当たり前の感覚を持った人を選ぶと言ったのだと思う。

『あたりまえのアダムス』という本がある。
私も昔、一度読んだだけなので詳しい内容まで憶えていないが、こんな話である。
アダムスという、特に高い能力を持っているわけではないビジネスマンがいた。
だが、彼は「当たり前の感覚」を大事にして行動することで大成功する。
普通の人は、「当たり前の感覚」より、立場が強い者に都合が良い常識や、伝統的慣習しての常識などの「世間一般の常識」に従う。
そんな中で、人間としての「当たり前の感覚」に従うアダムスの考え方や行動は、時に人々には奇妙に見えたり、滑稽に感じたり、あるいは、間違っていると批判される。
しかし、アダムスは、その「当たり前の感覚」を大事にすることで、それこそ「当たり前に」「自然に」成功する。
当たり前の感覚・・・本当の意味での常識こそが最も強いのである。

片隅の花
AIアート767
「片隅の花」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)あたりまえのアダムス
(2)稼ぎたければ、働くな。(山田昭男)
(3)努力不要論(中野信子)
(4)医学常識はウソだらけ(三石巌)

この世で一番当たり前のこと

ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」の本と、ゴダードの(想定の法則以前の)最初の本で、共にはじめに書かれていることは、内容としては同じだが、読んで理解出来る人はいない。
理解どころか、その部分を読んだ人に「何が書かれていた?」と聞いたら、率直には、「わけのわからないことが書かれていた」ということになると思う。
数ページの内容だが、1行にまとめるとこうだ。

人間の本質は存在の自覚である。存在の自覚が神である。神が世界を創造する。

以下は私の見解であり、ゴダードの本には書かれていない。
つまり、想定の法則とは、神である存在の自覚に願望を伝える技術である。
存在の自覚とは、私は存在すると感じることである。
「私は存在すると感じること」とは変な言葉だと思うだろう。
なぜ変かというと、当たり前過ぎるからだ。
我々が知る最も当たり前なことの1つが「1足す1は2」だが、その千倍も当たり前なのだ。
どんな簡単なことも、疑おうと思えば疑える。
「1足す1は2」だって、その1と1が合体してしまえば、「1足す1は1」である。
また、ご存じのように、2進数では「1足す1は10」だ。
「1人じゃ寂しいのは当たり前だ」と言っても、1人でも平気な人が本当にいるかもしれない。
当たり前のはずの地動説だって、そう教わったからそう思っているだけで、自分で確かめた人なんて滅多にいないし、ひょっとしたら天動説が真実かもしれない。
つまり、この世に疑いようのないほど正しいことは、まずない。
だが、「私は存在する」だけは疑えない。
デカルトもそう思ったから「われ思う、ゆえにわれあり」だけが唯一の真実だと言ったのだが、彼はとんでもないミスをした。
思おうが思うまいが、私は在るのだ。

目が覚めて、思考が戻って来るまで・・・つまり、思うことを再開するまで、「われ思わず」であるが、そんな時でも、「われあり」で、われがないということにはならない。
いや、それどころか、自分の存在を最もはっきり感じるのは、思っていない時・・・思考していない時だ。
それで、ルドルフ・シュタイナーは「われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり」と、ややこしいことを言ったのだ(笑)。

「私は存在すると感じること」を、あえて真面目にやることが最高の魔法修行である。
もし、『葬送のフリーレン』のフリーレンやフェルンが本物の魔法使いなら、彼女たちはこの修行をたっぷりしたはずなのだ。
言い換えれば、あなたがこれをやれば、フリーレンやフェルンに近付き、彼女達以上にやれば、彼女達を超える。
ニサルガダッタ・マハラジは実際、「1日中、存在の感覚にしがみつけ」と教えた。
それで宇宙は自分のものになる。
マハラジも「宇宙は私のものだ」と言っていたのである。

繰り返す。
私は在る(存在する)と感じることを、あえて真面目にやろう。
それであなたは全てを得る。
ちょっとアドバイスをすれば、最も純粋な存在の感覚は、目が覚めて思考が戻って来るまでの間の感覚である。
その時の状態を想像すれば有意義である。
ちなみに、この修行をやるほど、想定の法則の効果は高まり、願望は瞬時に叶うようになる。

花達が隠す宝物
AIアート766
「花達が隠す宝物」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(2)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(3)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(4)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(5)方法序説(ルネ・デカルト)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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