ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2024年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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『方丈記』で引き寄せが分かった

引き寄せの究極の理論と言われる、
「願った瞬間に叶っている」
は、なかなか納得してもらえない。
ところが、多くの人が「俺は分かった」と言って解説するが、どれも説明が下手過ぎるのか、さっぱり分からない。
そもそも、これは言葉で説明出来ないので、たとえ(比喩)で説明するしかないのに、たとえが上手いのは天才だけだ。
イエス・キリストのことが大嫌いだったW.B.イェイツだって、イエスがたとえの天才であることを認めている。
20世紀最高の詩人とまで言われた言葉の達人がそう言うのだから信憑性がある。

たとえの達人と言えば、何と言っても釈迦がいる。
そのせいか、仏教全体がたとえの世界だ。
その仏教の中で「願った瞬間に叶っている」と似た教えがある。
それは、「悟りたいと思った時にはもう悟っている」だ。
「そんな馬鹿な!悟りとは、強い志ある者が長く苦しい修行の末に得られるものだ」
と言いたい者がいるだろうが、事実は、願った瞬間に悟っているのである。
ところが、これに関しても、偉い専門家の先生を含め、下手な解説が多過ぎる。

鴨長明の『方丈記』がなんでこんなに人気があるのかというと、そのこと(願った瞬間に悟っている)を鮮烈に表しているからだが、そのことを分かっている人は専門家でも、まあ、滅多にいない。
読めば分かる。
いや、意味は分からなくても、やっぱりドッキリするのだ。馬鹿でない限り(笑)。
鴨長明は間抜けだ。
本人も、それを知って恥を晒したのだろう。
間抜けと言っても、我々よりマシである。

肝心な部分のネタバラシを避けて言えばこうだ。
鴨長明は世の中がつくづく嫌になったのだが、嫌になった理由は、案外に今の我々と変わらない。
それで、鴨長明は世俗を捨て、山の中に小屋を建てて聖者のような生活を始めた。
きっと、本当に聖者になりたかった・・・つまり、悟りを開きたかったのだろう。
そして、真面目な鴨長明のことだから、しっかりと、本当に聖者っぽい生活をしたのだ。
だが、そんな生活を何年もした後、鴨長明は愕然とする。
自分が全く変わっていないことに気付いたのだ。

鴨長明の間違いが分かるだろうか?
それは、悟りを求めて頑張ったことだ。
引き寄せの極意は何もしないことだ。
鴨長明は悟りを開くためには何もしなければ良かったのだ。
実際、釈迦も悟りを求めて5年も厳しい修行をした後、「修行はやめた」と言い、そうしたらすぐに悟ったのだ。

さて、鴨長明はどうなったのだろう?
良かったら『方丈記』を読んでいただきたい。

柔らかな髪
AIアート688
「柔らかな髪」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)方丈記(角川ソフィア文庫)
(2)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(3)サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)
(4)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院 )

世界は二人のためにあるのか(ある)

『荘子』の中の『斉物論』には、「最も小さなものが最も大きなものであり、最も少ないものが最も多いものである。一頭の馬も万物であり、一本の指も天下である」といったことが書かれている。
荘子の時代には、まだ仏教は中国に伝わっていないが、これは仏教の『華厳経』の教えと同じで、『華厳経』の解説ではよく「1つは全てであり、全ては1つである」などと言う。
ただ、この意味を解説したものを見ると、大抵がっかりする。
早い話、解説などしない方が良い。
だが、解説しないと、上の『斉物論』や『華厳経』は、普通の人には、「何でそうなるんだ」ということになるだろう。
「一頭の馬も万物?なるほどまさにその通り」などと言う人は、まあ、滅多にいまい。

1967年の佐良直美さんの大ヒット曲(120万枚と言われる)『世界は二人のために』では、「二人のため世界はあるの」と何度も繰り返す。
これだって、「何で世界は二人のためにあるんだ、馬鹿馬鹿しい」と言いたい人もいるだろうが、むしろそんな文句を言う方が、頭が固い嫌な人になってしまう場合が多いだろう。
つまり、理屈には合わないが、情緒的に納得することもあるわけだ。
上の『斉物論』や『華厳経』だって、理屈には合わないように思えても、なんとなく納得する人もいるはずだ。そして、そんな人はおそらく、相当頭が良い。

さて、引き寄せでは、「願った瞬間に、実際に願いは叶っている」と言うことがある。
これを聞いて、納得はしないながら、否定はしない、さらに、何か美しいものを感じる人もいるはずだ。
これを聞き、「そんなわけないだろ、ばーか」といった反応をする人はIQが低く、私ならあまり相手になりたくない。
108さんの『ザ・チケット』という伝説の電子書籍(でじたる書房で販売)には、
「あなたは既に全ての願望を叶え、幸せの絶頂にある」
と書かれていて、言い方に困るが、まあ、その通りなのである。
どうしても納得出来ないだけでなく、これがデタラメだと主張するなら、私の知ったことではないので、サヨナラである。
だが、何かを感じたら、判断せず、放っておくと良い。
ニサルガダッタ・マハラジは、師に「あなたは至高の実在(まあ、神のことだろう)である」と言われ、納得したわけではないだろうが、それを忘れなかっただけで、修行は何もしなかったが悟りを開けたという。
あなたも、「あなたは既に全ての願いを叶え、幸せの絶頂にある」を、判断せず放っておけば、実際にそうなると思う。

ピンクのチューリップ
AIアート687
「ピンクのチューリップ」
Kay


電子掲示板「2ちゃんねる(今は5ちゃんねるか)」のコピーと思うが、YouTubeで、この「既に願いが叶っている」の下手な解説をする動画が沢山あり、ちょっとがっかりする。
80巻とも言われる『華厳経』を読めとは言わないが『荘子』を読むと良い。
頭で納得しようとせず、情緒を頼る方が良い。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)春宵十話(岡潔)天才数学者が情緒の重要性を説く
(2)荘子(そうじ) 1 (中公クラシックス)※この1だけでも良いと思う
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)荘子(徳間文庫)
(5)華厳の研究(鈴木大拙)
(6)無限の世界観<華厳>(角川ソフィア文庫)

効果的マントラの音の法則

生活している場所や時代、あるいは、その他の要因により、何を善いと思うかとか、何を美しいと感じるかには大きな違いがある。
手塚治虫さんの漫画短編集『ザ・クレーター』の中の『巴の面』で、武家の名門、長宗我部氏(ちょうそかべし)の姫である巴姫は、今でいう超ブスな容貌のため、悲惨な人生を送ったが、この漫画が描かれた数十年後の、丁度今(2024年)くらいと思われる時代には、巴姫のような顔が流行の可愛い顔とみなされていた・・・というお話であった。
少し前のギャグ漫画で、こんなものもあった。
2人の日本人の女子大生がアフリカで未開民族人に拉致され、神への生贄にされようとしていた。
その女子大生の1人は大変に可愛く、もう1人は酷いブスだった。
未開人達が「神への生贄は美しい娘だけだ。醜い娘を捧げると神のお怒りを買う」と言うのを聞き、ブスな方の女子大生は、こんな顔に生んでくれた親に初めて感謝した。
ところが、未開人達が迷わず生贄に選んだのは、日本的なブスの方で、彼らにとっては、彼女は大変な美人であったのだ。

岡田斗司夫さんの昔の書籍『東大オタク学講座』で、こんな話が書かれている。
夕焼けは日本では、多くの人が美しいと感じるが、アフリカでは夜行性の猛獣が目覚める恐怖のサインでしかないという。
まあ、だからといって、彼らが夕陽を美しいと感じないわけではないのではとも思うが、とにかく、同じものでも、見方は人それぞれという意味では印象深い話である。

だが、心地よく感じる音感は、時代、地域によらず、案外に共通するのではないかという説もある。
確かに、虫の声を楽しめる日本人と違い、西洋人は、これを騒音としか感じないといった違いはあるが、楽器演奏や歌といったものに関しては、あるグループで美しいと感じるものは、その他の多くのグループでも美しいと感じるようである。
また、宗教的な祈り言葉も、特に変わった雰囲気のものは別として、穏やかに唱えるような美しい祈り言葉は歌に似ていて、やはり、共通して美しいと感じることが多いのだと思う。
それと関連すると思うが、神の名や呪文に関しても、同じような感性が働くのではないかと思う。
阿弥陀仏はインドの古い言葉ではアミターバ、あるいは、アミターユスと言い、日本語でも「アミ」の部分が残されている。
日本の神様でも、アマテラスオホミカミやアメノミナカヌシノカミ等で、アマ、あるいは、アミがAMという音で共通する。
キリスト教の「アーメン」もAMで始まるが、英語の密教的に重要な唱え言葉である「GOD AM I(私は神である)」は、GODを略し「AM I」と言うらしい。
脳科学者の中野信子博士の『脳科学からみた「祈り」』に、マ行の音の脳への肯定的効果について書かれていたが、山蔭神道の山蔭基央氏の『神道の神秘』によれば、「ミ」という言葉が神道で最も高貴なのであるらしい。それで、日本の神は「ミ」の語を持つ神が圧倒的に多い。
このように、AM、あるいは、マ行の音を持つ神仏の名や呪文・マントラが良いものであることを感じる。
もちろん、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」も大変良いのである。

ところで、観世音菩薩は古代のインドの言葉では、アヴァローキテーシュバラで、AM、あるいは、マ行の音が全くない。
ところが、大日如来はマハーヴァイローチャナだし、「般若心経」の中で、観自在菩薩(観世音菩薩と同じ)が行じて悟りを開いたというマントラ行のマントラの最後は「ボーディ・スヴァーハー」であるなど、「ヴァ」の音が共通するが、他にも「ヴァ」がある神仏の名やマントラは沢山ある。
それに「ヴァ」の音は、何か頭がすっきりする感じがある。
だから、アヴァローキテーシュバラやマハーヴァイローチャナ、あるいは、大日如来真言である「オン・バザラ・ダド・バン」も肯定的な効果がありそうだ。
尚、大日如来真言の最後の「バン」も、古代インドの言葉では、やはり「ヴァン」である。
だが、「バン」でも良いと思うし、日本語ではほとんど変わらない。
こだわるなら、(金剛界)大日如来の真言は、古代インドの言葉では「オーン・ヴァジュラ・ダートゥ・ヴァン」である。
私も、般若心経の呪文「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」はよく使う。
唱えれば、速やかに無思考に導かれ、不思議なこともよく起こるように思う。

草の上
AIアート686
「草の上」
Kay


これらの神仏の名、あるいは、マントラを唱えると良い効果があると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ザ・クレーター(2巻)(手塚治虫)
(2)東大オタク学講座(岡田斗司夫)
(3)脳科学からみた「祈り」(中野信子)
(4)神道の神秘(山蔭基央)
(5)密教の聖なる呪文

釈迦と老子の仮想世界制御法

結局、人間は仮想世界の中で生きることになるのではないかと思う人が増えていると思う。
仮想世界とは、夢の世界のようなものだが、夢のように不安定ではなく、数学的に制御された世界で、言ってみれば、極めて複雑で精巧な3Dのコンピューターゲームのような世界だ。
ところが、実は、この世界が既に、そんな仮想世界であるという説もあり、よく聞くところでは、有名な事業家のイーロン・マスクやイギリスの数理哲学者のニック・ボストロムらは、我々のこの世界は、ほぼ間違いなく、コンピューターが作った仮想世界であると断言している。まあ、コンピューターが作ったと言っても、我々が知ってるようなレベルの性能のコンピューターとは全く異なる高度なコンピューターであるのだと思う。

その割には、イーロン・マスクの有名な電気自動車会社テスラの電気自動車の欠陥が明らかになって先行き不透明なのは、イーロン・マスクも、この仮想世界の支配権を持っていない、あるいは、完全には持っていないということか?
あるいは、この仮想世界は、少数者が富をほとんど独占することくらいは出来ても、個人が極端な支配は出来ないアルゴリズムで運営されているのかもしれない。

釈迦や老子は、この仮想世界の仕組みや、これに影響を与えるコマンドの発し方が分かったのかもしれないが、やはり動かす範囲に影響があったのだと思う。
あくまで説であるが、釈迦は紀元前624年、老子は紀元前384年の生まれで、この時代の240年の違いは、ないと考えて良いかもしれない。
老子の唯一の著作『老子』は口述(老子が語ったことを誰かが書き写した)とはいえ、直接の教えが残っているが、釈迦の教えは長く口伝で伝えられ、どれだけ正確かは分からない。
で、老子の教えは、一言で言えば「控えめに」であると言って良いと思う。
「曲がってこそ完全だ」「水のように低いところに行け」「倹約しろ」「自分は無能であると思え」など、一貫して「控えよ」と書かれていると思われる。
ただし、「控えるほど強い」ということなのである。
釈迦の教えは、人間の本性は偉大な仏であるということだが、それは老子も同じようなことを言っているのだと思う。
そして、偉大な存在になる手法が、老子は分かり易く、「控えよ」ということである。
釈迦も同じなのであるが、控えるという意味を、心が静かであることとしたのだ。
それで、心を静かにする特別な方法があるのかと釈迦に聞きたいところであるが、これが意外に伝わっていない。だから、釈迦の教えは、複雑怪奇なものになっている場合が多いのだ。
だが、一説では、釈迦の教えは結局、念仏であると言われている。
ただし、念仏と言っても南無阿弥陀仏だけではなく、要は、仏の名を唱えよということで、唱えるべき仏の名は沢山ある。
ただ、釈迦の時代に、名前のついた仏(如来)があったかは疑問だ。神様ならあったはずだが、釈迦は神様は崇拝していない。
ところが、いろいろな仏の名がでっち上げかというとそうでもない。
何と言っても、釈迦は仮想世界の仕組みを、かなり解明してしまったのだからだ。
それで、何らかのことを語ったが、それは難し過ぎて理解されなかった。
しかし、龍樹という天才が、それをある程度まで解明し、経緯は複雑なので省くが、結局、仏の名を唱えよということになり、それが後に念仏になったのだと思う。
現在は念仏は、日本では葬式にのみ使われるので有難味は薄いが、念仏が仮想世界制御のコマンドであることは案外に実証されている。その1つが、妙好人と呼ばれる、無学だが超人的な人々の存在だ。

川堀
AIアート685
「川堀」
Kay


最近よく書いているように、念仏に限らず、あらゆるマントラは、老子の言う「控える」を容易に実現し、釈迦の言う「心静かに」に導き、結局は、仮想成果をうまく利用出来る。
これは、試してみないと分からない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)老子 (岩波文庫)
(2)老子・列子 (徳間文庫)
(3)老子(全)
(4)浄土三部経(現代語版)
(5)華厳経入門 (角川ソフィア文庫)
(6)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(7)ナーマスマラナ - 神の名前の不思議な力
(8)妙好人(鈴木大拙)

3つの秘法まとめ

私としては、引き寄せの秘法は、1に深呼吸、2にマントラで、最後の3は薄目になる。
薄目をすれば、この世は夢になる。
夢の中では、宮殿に住んでいても、自分が王様であっても、憧れのあの人が恋人であっても何の不思議もないし、なぜそうであるかなど考えない。

思うような夢を見ることが出来ない人というのは、固定観念が強いのである。
固定観念を消すには、マントラを唱えることが有効だ。どういうことかというと、固定観念というのは、日々強化しないと案外に維持出来ないのだが、我々は無自覚に固定観念を強化している。頭の中でおしゃべりをすることによって。それを、何年も何十年も続けてきた。
しかし、マントラを唱えている間は、頭の中でおしゃべりが出来ないのだ。
そして、頭の中のおしゃべりで強化しなければ、固定観念は案外に短期間で消えてしまう。
固定観念がなければ、どんなことでも引き寄せられるし起こすことが出来る。夢でも現実でも。だが、夢の方が、やや容易い。

マントラは何でも良い。
南無阿弥陀仏でもアジマリカンでもトホカミエミタメでもオン・アロリキャ・ソワカでも。
あるいは、好きな神や仏の名でも。
信仰があってもなくても構わない。
毎回違うマントラでも全く構わない。
また、正確な名前、原語通りのマントラであることにこだわる必要はない。
何なら、「ナ・ダーム」のような何の意味もない言葉でも良い。
節回し・リズムも、好きなようにやればいい。
大切なことは、唱え方などではなく、唱える回数・時間だ。

待ち合わせ
AIアート684
「待ち合わせ」
Kay


ところで、妙に効果があるマントラが「お金がある」だ。
人によるだろうが、日本人の庶民の大半は、「お金がない」という固定観念があるからだ。知られていないが、深刻なほどだ。だから庶民にはお金がない。
そのため、手っ取り早くその固定観念を直接攻撃するのだが、無理にやる必要もない。ただし、やればすぐにお金が出来ることが多く、嘘か本当かは分からないが、短期間で3億円ほど出来たという話があるが、別に不思議でもないと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(2)神道の神秘(山蔭基央)
(3)密教の聖なる呪文
(4)エメラルドタブレット
(5)クリムゾン・コレクション1&2
(6)ナーマスマラナ - 神の名前の不思議な力
(7)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(8)ナ・ダーム―あなたの中の不思議な力
(9)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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