引き寄せの究極の理論と言われる、
「願った瞬間に叶っている」
は、なかなか納得してもらえない。
ところが、多くの人が「俺は分かった」と言って解説するが、どれも説明が下手過ぎるのか、さっぱり分からない。
そもそも、これは言葉で説明出来ないので、たとえ(比喩)で説明するしかないのに、たとえが上手いのは天才だけだ。
イエス・キリストのことが大嫌いだったW.B.イェイツだって、イエスがたとえの天才であることを認めている。
20世紀最高の詩人とまで言われた言葉の達人がそう言うのだから信憑性がある。
たとえの達人と言えば、何と言っても釈迦がいる。
そのせいか、仏教全体がたとえの世界だ。
その仏教の中で「願った瞬間に叶っている」と似た教えがある。
それは、「悟りたいと思った時にはもう悟っている」だ。
「そんな馬鹿な!悟りとは、強い志ある者が長く苦しい修行の末に得られるものだ」
と言いたい者がいるだろうが、事実は、願った瞬間に悟っているのである。
ところが、これに関しても、偉い専門家の先生を含め、下手な解説が多過ぎる。
鴨長明の『方丈記』がなんでこんなに人気があるのかというと、そのこと(願った瞬間に悟っている)を鮮烈に表しているからだが、そのことを分かっている人は専門家でも、まあ、滅多にいない。
読めば分かる。
いや、意味は分からなくても、やっぱりドッキリするのだ。馬鹿でない限り(笑)。
鴨長明は間抜けだ。
本人も、それを知って恥を晒したのだろう。
間抜けと言っても、我々よりマシである。
肝心な部分のネタバラシを避けて言えばこうだ。
鴨長明は世の中がつくづく嫌になったのだが、嫌になった理由は、案外に今の我々と変わらない。
それで、鴨長明は世俗を捨て、山の中に小屋を建てて聖者のような生活を始めた。
きっと、本当に聖者になりたかった・・・つまり、悟りを開きたかったのだろう。
そして、真面目な鴨長明のことだから、しっかりと、本当に聖者っぽい生活をしたのだ。
だが、そんな生活を何年もした後、鴨長明は愕然とする。
自分が全く変わっていないことに気付いたのだ。
鴨長明の間違いが分かるだろうか?
それは、悟りを求めて頑張ったことだ。
引き寄せの極意は何もしないことだ。
鴨長明は悟りを開くためには何もしなければ良かったのだ。
実際、釈迦も悟りを求めて5年も厳しい修行をした後、「修行はやめた」と言い、そうしたらすぐに悟ったのだ。
さて、鴨長明はどうなったのだろう?
良かったら『方丈記』を読んでいただきたい。

AIアート688
「柔らかな髪」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)方丈記(角川ソフィア文庫)
(2)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(3)サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)
(4)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院 )
「願った瞬間に叶っている」
は、なかなか納得してもらえない。
ところが、多くの人が「俺は分かった」と言って解説するが、どれも説明が下手過ぎるのか、さっぱり分からない。
そもそも、これは言葉で説明出来ないので、たとえ(比喩)で説明するしかないのに、たとえが上手いのは天才だけだ。
イエス・キリストのことが大嫌いだったW.B.イェイツだって、イエスがたとえの天才であることを認めている。
20世紀最高の詩人とまで言われた言葉の達人がそう言うのだから信憑性がある。
たとえの達人と言えば、何と言っても釈迦がいる。
そのせいか、仏教全体がたとえの世界だ。
その仏教の中で「願った瞬間に叶っている」と似た教えがある。
それは、「悟りたいと思った時にはもう悟っている」だ。
「そんな馬鹿な!悟りとは、強い志ある者が長く苦しい修行の末に得られるものだ」
と言いたい者がいるだろうが、事実は、願った瞬間に悟っているのである。
ところが、これに関しても、偉い専門家の先生を含め、下手な解説が多過ぎる。
鴨長明の『方丈記』がなんでこんなに人気があるのかというと、そのこと(願った瞬間に悟っている)を鮮烈に表しているからだが、そのことを分かっている人は専門家でも、まあ、滅多にいない。
読めば分かる。
いや、意味は分からなくても、やっぱりドッキリするのだ。馬鹿でない限り(笑)。
鴨長明は間抜けだ。
本人も、それを知って恥を晒したのだろう。
間抜けと言っても、我々よりマシである。
肝心な部分のネタバラシを避けて言えばこうだ。
鴨長明は世の中がつくづく嫌になったのだが、嫌になった理由は、案外に今の我々と変わらない。
それで、鴨長明は世俗を捨て、山の中に小屋を建てて聖者のような生活を始めた。
きっと、本当に聖者になりたかった・・・つまり、悟りを開きたかったのだろう。
そして、真面目な鴨長明のことだから、しっかりと、本当に聖者っぽい生活をしたのだ。
だが、そんな生活を何年もした後、鴨長明は愕然とする。
自分が全く変わっていないことに気付いたのだ。
鴨長明の間違いが分かるだろうか?
それは、悟りを求めて頑張ったことだ。
引き寄せの極意は何もしないことだ。
鴨長明は悟りを開くためには何もしなければ良かったのだ。
実際、釈迦も悟りを求めて5年も厳しい修行をした後、「修行はやめた」と言い、そうしたらすぐに悟ったのだ。
さて、鴨長明はどうなったのだろう?
良かったら『方丈記』を読んでいただきたい。

AIアート688
「柔らかな髪」
Kay
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(1)方丈記(角川ソフィア文庫)
(2)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(3)サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)
(4)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院 )




