ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2024年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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昔のアイドルの写真が可愛くない意外な理由

子供の時とか若い時に好きだったアイドルの写真や映像を見たら、イメージとまるで違うという現象がある。
そんなアイドルを、今、写真や映像で見たら、あまり可愛いと思わなかったり、それどころか、「なんでこんなの好きだったのだろう?」と疑問に思うほど、全く可愛くないとしか思えないというものだ。
この原因としては、今のアイドルの方が昔のアイドルより可愛いので、今のアイドルを見慣れたら、昔のアイドルが色褪せるということが思いつくが、そういうこともあるかもしれない。
そうではなく、単に、昔の流行と今の流行が違うだけという論もある。
つまり、今の人々の感覚で可愛いと感じる顔やスタイル(ファッションや体形など)と、昔の人々が可愛いと感じた顔やスタイルが異なっているだけで、別にどちらが良いとは言えないという論だ。
まあ、どちらが正しいというのではなく、いろいろな原因が入り混じるのだろうと思う。

私が高校生の時、久しぶりに幼稚園の卒園アルバムを見たのだが、幼稚園の時のクラスのアイドルだった女の子の写真を見て、私は愕然とした。
全く可愛くないのだ。
彼女は確かに人気者だったはずだ。
つまり、沢山の子が、彼女を可愛いと思っていたはずだが、それなら、私だけでなく、皆、変なセンスを持っていたように思えてしまった。
それ以来、私は、美人や美男を見ても、彼女や彼が本当に美しいのかどうか疑うようになってしまった。
それは、自分の感覚を信用しないようになったということである。

改めてだが、1人の女の子について、昔は自分は彼女が非常に可愛いと思っていたが、ここに、可愛いとは思えない彼女の昔の写真があるとする。
普通の考えでは、その写真の方が昔の彼女の本当の姿で、思い出の中の可愛い彼女は誤った幻想ということになるだろう。
だが、それは真逆なのだ。
記憶の中の可愛い彼女の姿こそ本物で、目の前の写真の方が幻想である。
これは、反対意見が多いはずだ。
言っている私ですら、頭では、そんなはずはないと思っているのだ。
つまり、この論では、目の前に歴然と存在する写真が偽物ということになるのだから。
それはたとえば、私の幼稚園の卒園写真を、宇宙人か何かがこっそり入れ替えたとでも言っているようなものだ。
しかし、その通りなのである・・・もう、頭がおかしいんじゃないかと私も思う(笑)。
おかしいついでに言うと、その写真を入れ替えた宇宙人とは自分の心である。

時の幻
AIアート703
「時の幻」
Kay


古い物語や、悟った人、武道の達人などは、「見えるものを信じるな」とか、もっと穏やかには「見えるものに惑わされるな」と言う。
目、あるいは、心で見ているものは幻想で、魂、あるいは、霊が見ているものが真実である。
それが分かれば、現実を好きなように作り替えることが出来る。
逆に言えば、見えている幻想を信じている限り、あなたは無力である。
それには、判断をせず、是非好悪を離れなければならない。
そのためには、いつも言うが、深呼吸すること、マントラを唱えること、薄目をすることが有効である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)荘子(そうじ) (1) (中公クラシックス)
(2)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(3)幻想の未来(筒井康隆。角川文庫)
(4)幻想の未来/文化への不満(フロイト)
(5)幻想の未来(岸田秀)
(6)楽天主義(ヘレン・ケラー)
(7)投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待

最強のマントラ

今回は超高級マントラの話で、使えない人も多いとは思う。
効果は、普通の概念での効果とはまるで異なる。
というのは、効果を生むその根本に作用するからで、ごく簡単に言えば神になるものといった感じだ。
あるいは、この世界がコンピューターが作るVR(仮想世界)だとしたら、そのメインコンピューターを操るようなものだ。

ラマナ・マハルシが、ある時、最高のマントラは「私」だと言い、2番は「オーム」だと言ったという話がある。
ただ、これは相手に合わせて言った話で、彼が最も重要視していた言葉は「私は誰か?」だ。
ところが、これは彼が使ったタミール語の「ナン・ヤー」を「私は誰か?」と訳したのだろうが、ラメッシ・バルセカールは「私とは何か?」に近いと言ったらしい。
だが、詩人の『ラマナ・マハルシの教え』の翻訳者である山尾三省氏に、漁師の人が送ってくれた詩の中では、「私とは・・・?」という言葉で表現されていた。
(その詩は『ラマナ・マハルシの教え』の「あとがき」に収録)
これが全く適確で、これが使われなかったのは残念であると私は思う。
よって、最上のマントラの1つは「私とは?」である。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、現代に復活したイエス・キリストが最上の言葉と言ったのは「神」である。
昔はそうではなかったかもしれないが、現代では、一般の日本人が使う「神」と英語のGODに、ほぼ差異はないと思う。
ただ、 『ヒマラヤ聖者の生活探求』の信憑性や価値は、著者のベアード.T.スポールディングさえ、「自分で決めて」と言うくらいのものである。
だが、私は「神」というマントラ・・・と言って良ければ、本当に最上のマントラであることは、昔は直観で分かり、今では個人的には検証も出来たと思う。
そこで、もう1つの最上のマントラは「神」である。

ところで、マハルシもイエスも、これらのマントラを「呪文のように繰り返すな」と同じことを言っている。
唱えるのは「1度だけでいい」と言っているのだが、これには困惑するだろう。
まさか、一生に一度唱えればいいというのではあるまい。
だが、これも解明出来た。
それは、このマントラが、鐘やりん(「おりん」とも。漢字では「鈴」。チーンと鳴らす仏具)のようなものであるということだ。
鐘やりんを、まだ音が響いているのに続けて鳴らす人はおるまい。
それと同じで「神」「私とは?」と唱えると、意識の中で言葉が響くのである。
それが響いている間は、もう唱える必要はない。
どのくらいの長さ響くのかというと、それは人それぞれで、数十秒とか数分の場合もあれば、数日とか、もっと長い場合もあるだろう。
このマントラが響く様を現す良い言葉は「余韻嫋嫋(よいんじょうじょう)」だ。
この言葉の意味は、次の通りだ。

音が鳴りやんでも、なお、かすかに残る響き。また、その音が細く長く続く様子。詩や文章の言外の趣や、事が終わったあとの情緒あふれる風情にもたとえる。「嫋嫋」は音声の細く長く続くさま。

つまり、「神」あるいは「私とは?」と唱えて、その余韻嫋嫋を感じることが最上のマントラなのである。

UFO
AIアート702
「UFO」
Kay


余談だが、私は余韻嫋嫋という言葉には、人生で2度しか出会ったことがない。
1つは、とくPさんによる初音ミクさんの楽曲『SPiCa』の中で。
もう1つは、笹沢佐保さんの小説『帰って来た木枯し紋次郎』シリーズ(『木枯し紋次郎』シリーズの続編)のどれかの中で、お寺の鐘の音を、そう表現していたと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(3)SPiCa (とくP feat. 初音ミク)※MP3
(4)MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです” [Blu-ray]
(5)帰って来た木枯し紋次郎(笹沢佐保)

引き寄せの罠。人格が崩れる人達

引き寄せというのは魂の力で行うことだが、巷でよく言うお金の引き寄せや恋愛、あるいは、健康の引き寄せは、魂の力のごく一部を使って行うものだ。
魂の力が全面的に解放された人というのは悟りを開いた人で、悟りを開いた人は何でも出来るのだが、我欲がないので、物質的な引き寄せをやろうとしない。だから、普通の人には、悟りを開いた人が、実は完全なアトラクター(引き寄せ者)であることが分からない。
しかし、イエス・キリストや黒住宗忠は、必要があってあえてだが、ほとんど超能力のような引き寄せを行ったのだと思うし、実は釈迦も神通力と呼ばれる超能力は自在だったという話もある。

だから、引き寄せの力を大きくするには、悟りを開くとまではいかなくても、それに近付くほど有利であるし、普通の人でも、強い引き寄せを行っている時は、ある程度、悟りの状態に近いのである。
そして、悟りとあまりに遠い人には引き寄せは出来ない。
とはいえ、悟りとは、単に、「意識を明晰に保ったまま無になる」こと、つまり、意識はあるが思考が消えていることである。

注意したいのは、引き寄せも超能力も似たところがあり、特に超能力的な力の場合は、自分の魂の力ではなく、外部の意志のあるエネルギーが作用する場合がよくある。今もだが、特に昔は、そんなエネルギーを、神霊とか動物霊と言っていた。他に言い方が分からないからだ。
だが、そんな外部エネルギーは意志があり、良からぬ意図を持っている場合があるから、超能力が使えたとか、引き寄せが出来たからといって喜んでいたら、後で酷い目に遭う。いわゆる、動物霊に憑りつかれたという状態になる。
そうならないためには、自分の魂の力を出来るだけ解放する・・・つまり、悟りに近付いておかなくてはならない。
そのためには、思考を消さなければならない。
その手段の1つで、最も易しいことがマントラを繰り返し唱えることである。
般若心経という短いお経に、観自在菩薩(観世音菩薩)は、般若心経の最後の部分に書かれた呪文を唱えることで悟りを開いたと書かれている通りである。しかし、呪文は、どんなマントラでも、あるいは、神仏の名でも良く、念仏でも良い。

1つ、面白い話をする。
「お金がある」という言葉を呪文やマントラのように唱えるとお金が出来、かなりの額を引き寄せる場合もある。
だが、お金が欲しい欲しいという欲望と共に「お金がある」と唱えると、外部の邪なエネルギー(昔でいう動物霊)が集まって来てお金を引き寄せるので、お金が出来て喜んでいたら、動物霊のようなものに精神を支配されてしまい悲惨なことになる。
だから、「お金がある」と唱える時は、無感情に淡々と唱えないといけない。
無感情に「お金がある」と唱えると、心の奥に多くの人が持っている「自分にはお金がない」という観念(いわゆるお金のブロック)が壊れ、実際にお金が出来る。
昨日も書いた通り、政木和三さんが私に教えたように、「お金が入ってくるものは仕方がない」「女の子が寄って来るものは仕方がない」みたいに言うのは良いことである。
改めて書くと、
「私はお金はちっとも欲しくないが、入ってくるものは仕方がない」
「どうでも良いのだが、お金が入って来るのだから仕方がない」
など、抵抗がなく、楽に思える言葉を使えば良いのである。

電子機器との付き合い方
AIアート701
「電子機器との付き合い方」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)未来への発想法: 無欲の想念が成功をもたらす(政木和三)
(2)奇跡の実現: 欲望を捨てれば不可能が可能になる(政木和三)
(3)精神エネルギー(政木和三)
(4)この世に不可能はない~生命体の無限の力(政木和三)
(5)密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字
(6)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(7)悟りを開くと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(8)あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え

天才が教えた凡人のための引き寄せ法

私のように、政木和三さんから引き寄せの方法を教えてもらった人は少ないかもしれない。
あの政木さんが、私にニコニコ照れ笑いしながら、引き寄せのトンデモテクニックを教えてくれたものだった。
政木さんの引き寄せテクニックについては、以前も書いたことがあるが、改めて簡単に書く。
結局、これは、現在日本の引き寄せの流行である「すでにある」と同じだが、大半の人は出来ないのだと思う。
しかし、政木式なら出来ると思う。
対象は、お金と恋愛である。政木さんは本には絶対書かなかったことだ。

「すでにある」とは、願ったことは、すでに叶っているということで、それを受け入れることが出来れば叶う・・・と簡単に言えばこうだが、受け入れるのが難しい。
これに関して、政木さんはこうやったらしい。
「私は、お金なんてちっとも欲しくないんです。でも入ってくるものは仕方がありません。それで1億円も税金を払う羽目になるんです」
それで、実際に納税額は1億円ほどらしい。
政木さんの教えの核心は、人間の生命体が本来持つパワーを発揮するには、「欲望をぽーんと捨てれば良い」ことである。
そこで、まず、「お金なんて欲しくない」と言うのである。
「お金が欲しくない」では嘘になるので抵抗があるなら、「お金はどうでもいい」みたいに言えば良い。
よく、「私はお金が大好きだ」というアファーメーションが効果があると言う人がいるが、それは、いわば、爽やかな「好き」で、渇望しながら「好きだ」と言ったらお金も寄ってこない。
これは、「女が好きだ」という男の場合と同じで、欲望ギラギラで息も荒く「女が好きだ」などと言っていたらモテるはずがない。
たとえば、若い頃の石田純一さんのイメージみたいに、「女の子が好きだ」と公言しつつ、「どうでもいい」みたいなさっぱりとした態度でいるようなものであると思う。

では、その「女(あるいは男)」の引き寄せであるが、お金の場合と全く同じである。
これを話す時、政木さんは近くにおられた政木さんの奥さんに聞こえないよう、こっちに寄ってこられて小声で話されたものだった。
「私は女なんてちっとも欲しくないんですよ。でも、百人ばかし来ると思ってるから、そうなっちゃうんです」
あるいは、こう言っても良いと思う。
「私は女なんてちっとも欲しくないんですよ。でも、来るものは仕方がないんです」

問題は、貧しい人、全くモテない人だ。
そんな人は「私はお金を持てない」「私は女(男)にモテない」という強い固定観念(よく「ブロック」と言われるもの)を持っている。
で、そんな人は、なかなか、政木さんが言われるように「欲望をぽーんと」捨てられないものだ。
そして、実は、そんな人は多い。
そんな場合は、やはり、上で述べたが、「お金が欲しくない」ではなく、なんとか「どうでもいい」と思って、
「どうでもいいけど、(お金が)入って来るものは仕方がない」
「どうでもいいけど、(女、あるいは、男が)来るものは仕方ない」
と、「どうでもいい」「仕方がない」方式でやることだ。
実は、これは、お金がある人やモテる人にも有効で、威力がやや低い分、楽にやれるのでお薦めである。

噴水のある池
AIアート700
「噴水のある池」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)未来への発想法: 無欲の想念が成功をもたらす(政木和三)
(2)奇跡の実現: 欲望を捨てれば不可能が可能になる(政木和三)
(3)精神エネルギー(政木和三)
(4)この世に不可能はない~生命体の無限の力(政木和三)

サイババの教えで唯一気に入っていること

サティヤ・サイ・ババ(1926~2011)を知らない人も多くなってきたと思う。
サイババは、インドの聖者と言われた世界的に有名な宗教家で、教育、医療、生活、文化など広い面で大きな社会貢献を行い、彼の葬儀は国葬で行われ、それにはインド首相も参列した。
サイババは頻繁に奇跡を起こしたことで知られ、最も有名な奇跡はビブーティ(聖灰)と呼ばれる白い粉を手から出すことで、それをいつでも出来たとされる。
他にも、ネックレス、時計、その他の物を手のひらなどから出現させることが出来たと言われ、「上に向けられたサイババの手のひらから、ニョキニョキ生えるように現れた」と証言する著名人もいるようだ。
一方で、サイババに対する批判もあり、奇跡は全てトリックであるとか、少年に性的虐待を行ったという話もある。

私は、サイババの奇跡も、サイババへの批判のどちらも信じていない。
個人的な印象では、サイババへの過度な称賛も過激な批判も、どちらも胡散臭い。

私は、サイババと直接会ったという事業家の方と会って、じっくり話を聞いたことがあり、その際、サイババが出したビブーティ(聖灰)も分けてもらった。また、その人から、立派な額に入った2Lサイズ(127×178mm)のサイババの写真もいただき、今も書斎に置いてある。
その人は、非常に立派で穏やかな良識ある人物で、サイババの教えや奇跡を完全に信じているようであった。
ただし、その人から、何かの組織に誘われたり、寄付を要求されたことはない。
社会的に立派と言えば、サイババを日本に紹介し、著書『理性のゆらぎ』を出版した青山圭秀さんという方は理学博士と医学博士の両方を持っているらしく、一頃有名であったが、最近はさっぱり聞かなくなった。まだ大した歳ではないはずだが。
この青山圭秀さんのように社会的に評価がある人が、サイババに会って心酔したという話は多いようである。海外ではVIPの信者も多いようだ。
政木和三さんは、サイババの奇跡について、「別に大したものではない」として、あるならあるで良いといった立場だった。政木さんが経験したという奇跡の方が壮大であるからだろう。
ただ、私も、政木さんの奇跡現象に関しては、物質的なものは見ていない。しかし、不思議なことなら沢山あったと思う。

私は、サイババの本は、読みかけたものはあるが、一冊を除き読み通したものはない。
内容がややこしいし、正直、胡散臭くて疲れるからだ。
ただ1冊、『ナーマスマラナ』だけは気に入っている。
ナーマスマラナとは、神の名を唱える行のことで、念仏に近い。
サイババは、今の時代は、ナーマスマラナでしか救われないと述べたと本に書かれているが、この本以外では、サイババがそう教えているようには思われない。
そういえば、浄土系仏教では、釈迦は、末法の世(釈迦の教えが理解されなくなった時代)では、念仏以外では救われないと教えたことになっているが、その根拠となると、どこにあるのかはっきりしない。
そもそもが、浄土三部経にしたって、決して、念仏を唱えよと教えているわけではないと私は思う。
上祐史浩氏がYouTubeで、浄土仏教について話しているのを見たが、阿弥陀経と観無量寿経を間違えているし、無量寿経の解釈もおかしいように思ったが、そういうことは上祐氏に限らず多いし、本物の仏教の専門家でも、必ずしも教典の解釈は一定していない。

だから、誰が言ったというのではなく、私は、神の名やマントラ(真言)、呪文、短い祝詞を唱える以外に救われる道はないというのは、ほぼ正しいと思う。
ただそれは、これらの言葉に霊的な力があるからといったものではなく(ないとも言わないが)、最も肯定的な言葉を長く繰り返し唱えることで、脳あるいは心の自然な働きとして思考が消えるからである。
肯定的な意味の言葉ではなく、「ナ・ダーム」のような何の意味もない言葉を採用するメソッド(手法)もあり、TM(超越瞑想)がそうだし、また、日本人にとって、サンスクリット語やそれを音写した中国で使われているマントラ等も同じである。
しかし、マントラ等にこだわる必要はなく、自分で唱え易い言葉であればそれで良いのである。
自分で試すしかないが、引き寄せ程度のことは、これで十分に行えるし、最も確実であると思う。
その効果を高めるには、深呼吸と薄目が役に立つと思う。

白百合
AIアート699
「白百合」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ナーマスマラナ(サティヤ・サイ・ババ)
(2)歎異抄(梅原猛。講談社学術文庫)
(3)選択本願念仏集(法然)
(4)理性のゆらぎ(青山圭秀)
(5)密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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