全ての賢者は、世界は自分が作っていると言っている。
その中でも親切な賢者達は、たとえ話を使って、このことを誰でも分かるよう話そうとしたのだが、なんでみんな、あんなに説明が下手なんだろうと思う(笑)。
もちろん、本当は事情があって、あんなふうに分かり難い表現を使ったのだ。
しかし、言っていること自体は全く同じなのである。
自分が世界を作っているとは、
「自分(自我)の思い込みを、内なる神(真我。本当の自分)が世界として創っている(世界というスクリーンに投影している)」
ということである。
ところが、思い込み通りにならないことがある。むしろ、それはザラかもしれない。
たとえば、受験をして、絶対に合格だと思っていたのに不合格だったり、逆に、絶対不合格だと思っていたのが合格していたりする。
いわゆる「予期せぬ出来事」だ。
予期せぬ出来事はなぜ起こるのか?
これについては、エマーソンが『自己信頼』の中で述べている。
路上で酔っ払って寝ている男を(別に女でも良いが)、公爵の屋敷に連れていき、身体を洗い、高級な衣服を着せ、豪華なベッドに寝かせる。
目覚めて驚く酔っ払いだが、執事や使用人達はうやうやしく仕える。
どういうことかと言うと、この男は本当に公爵なのに、酔っ払って、自分が公爵であることを忘れ、貧しい庶民だと思い込んでしまったのだ。
そして、エマーソンは、それが普通の人間の状態だと言う。
『法華経』の「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」も、全く同じ話だ。
「長者窮子」とは、長者(大金持ち)の窮子(困窮した子供)という意味で、その窮子は困窮する必要など全くないのに、それに気付かないことを言っている。
イエスの「放蕩息子」の話も、本質は同じ話だ。
AIアート525
「まちかど」
Kay
つまり、釈迦もイエスもエマーソンも同じことを教えている。
良かったら『法華経』の「長者窮子」の話を楽しみ、この窮子はあなたのことだと認識して欲しい。
勇気が出るぞ。多分(笑)。
「長者窮子」の話は、『法華経』第4章「信解品」の中にある。
私は、下記ご紹介の本は全て読んだが、それぞれに良さがあり、外れはないと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳
(2)現代語の法華経
(3)現代日本語訳 法華経
(4)自己信頼(紙の本)
(5)自己信頼
その中でも親切な賢者達は、たとえ話を使って、このことを誰でも分かるよう話そうとしたのだが、なんでみんな、あんなに説明が下手なんだろうと思う(笑)。
もちろん、本当は事情があって、あんなふうに分かり難い表現を使ったのだ。
しかし、言っていること自体は全く同じなのである。
自分が世界を作っているとは、
「自分(自我)の思い込みを、内なる神(真我。本当の自分)が世界として創っている(世界というスクリーンに投影している)」
ということである。
ところが、思い込み通りにならないことがある。むしろ、それはザラかもしれない。
たとえば、受験をして、絶対に合格だと思っていたのに不合格だったり、逆に、絶対不合格だと思っていたのが合格していたりする。
いわゆる「予期せぬ出来事」だ。
予期せぬ出来事はなぜ起こるのか?
これについては、エマーソンが『自己信頼』の中で述べている。
路上で酔っ払って寝ている男を(別に女でも良いが)、公爵の屋敷に連れていき、身体を洗い、高級な衣服を着せ、豪華なベッドに寝かせる。
目覚めて驚く酔っ払いだが、執事や使用人達はうやうやしく仕える。
どういうことかと言うと、この男は本当に公爵なのに、酔っ払って、自分が公爵であることを忘れ、貧しい庶民だと思い込んでしまったのだ。
そして、エマーソンは、それが普通の人間の状態だと言う。
『法華経』の「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」も、全く同じ話だ。
「長者窮子」とは、長者(大金持ち)の窮子(困窮した子供)という意味で、その窮子は困窮する必要など全くないのに、それに気付かないことを言っている。
イエスの「放蕩息子」の話も、本質は同じ話だ。
AIアート525
「まちかど」
Kay
つまり、釈迦もイエスもエマーソンも同じことを教えている。
良かったら『法華経』の「長者窮子」の話を楽しみ、この窮子はあなたのことだと認識して欲しい。
勇気が出るぞ。多分(笑)。
「長者窮子」の話は、『法華経』第4章「信解品」の中にある。
私は、下記ご紹介の本は全て読んだが、それぞれに良さがあり、外れはないと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳
(2)現代語の法華経
(3)現代日本語訳 法華経
(4)自己信頼(紙の本)
(5)自己信頼