ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2023年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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全てを諦めれば全てを得る

引き寄せの根本原理は1つで、それは、
「全てを諦めれば、全てを得る」
だ。
そして、全てを諦めるというのは、実際は1つの強い執着を捨てることだ。
男が一人の女性に熱を上げると、
「彼女は運命の人だ。僕が欲しいのは彼女だけだ。他の人はいらない」
と思い込む。
しかし、同レベルの女性だけでなく、もっと素晴らしい人だっていくらでもいる。
首尾よく彼女を得たが、実はその人はロクでもない女で、ひどい目に遭ったなんて話はいくらでもあるのに。

私は『あしたのジョー』という有名な漫画で、1つだけ好きなセリフがある。
それは、矢吹丈が言った、
「女は星の数だっていうが、ホセ・メンドーサは一人なんだ」
だ。
そして、丈が世界最強の男メンドーサへの挑戦を諦められない闇が、この物語を作っているわけだ。

受験だって、第一志望の学校の受験に失敗し、一生後悔する人もいると思うが、第一志望に落ちて次の学校に入った者の方が出世するというデータが実際にあるらしい。まあ、日本でも、東大を出て大成功した人はあまり多くない。別にどっちでも良い話だが。

どうしてもあの人でないと嫌だと思っていた愛しい人を諦めたら、もっと良い・・・というか、もっと自分に合った人がやってくるし、どうしても画家で身を立てたいと思っていたのを思い切って諦めたら、もっとやりがいのある仕事に導かれ、人生を捨てずに済む。
「夢に人生を賭ける」と言えば格好良いが、それは単に1つのことに執着しているだけだ。
「挑戦せずに最初から諦めるのは格好悪い」と言うのも説得力があるように思えるが、そんなふうに気張らないといけないことなら、やめた方が良い。

直感に従うのは良いが、心に従えば必ず失敗する。
そして、直感は、心、すなわち、思考が消えた時に閃くものだ。

全てを諦めると言ったら、それが不幸や悲惨を選択することだと思ってしまう人が多い。
それは、学校やテレビの洗脳で、ほとんどの日本国民がそう洗脳されている。
人間を家畜化・奴隷化するために必要な思考パターンだからね。
心や思考が全てを諦めるとは、自分より高い存在に全てを委ねるということだ。
親や教師や世間的に偉い人に委ねるというのではない。
我々の持つ概念で最も近いのは神である存在に委ねるのである。
それには、単に、心や思考で全てを諦めれば良い・・・つまり、一番の望みを諦めれば良い。
人間の思考は、自分の一番の望みが何かは、案外に分かっているものだ。
それは、本当にしょーもないものだ(笑)。
「いや、俺の一番の望みは貧困のない平和な世界を作ることだ」とか「弁護士になって弱い立場の者を救うことだ」と言う人もいる。
それに対しては「嘘つけ」とだけ言いたい(笑)。
まあ、嘘だと自分で気付けない人が大半だが。
だが、気付く必要はない。単に、その望みを捨てれば良いだけだ。

静止した光景
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「静止した光景」
Kay


今回のは、なかなか納得出来ないと思うが、参考程度に見てもらえれば良い。
いつか分かるかもしれない。
尚、確かに例外と思える人物を、私は3人ほど知っている。
ところが、そんな人物は、どんな人間でも諦めるべきところで諦めない。
そんな人物のことも知っているが、やはり例外であり、実は、彼らこそ、本当に諦めた人達だった。
だから、やはり、「全てを諦めれば全てを得る」で正しいのである。
それで、どうすれば諦められるのかというと、やはり深呼吸である。
呼吸だけが、当面、諦めることが出来ないものだが、深呼吸をすれば、呼吸以外のことへの執着が消えていく。








知識が力になる

昨日、特技を持つことのメリットや素晴らしさを書いたが、特技の中には知識というものもある。
何かにべらぼうに詳しいと、それが意外な、驚くべき力になる。
ただ、これについては最初に言っておきたいが、教科書に載っていることだけ詳しい者には、とんでもない馬鹿が多い(笑)ことをご存じかもしれない。
それはなぜだろう?
確かに、教科書には国民を洗脳するための嘘が多いが、良いことだって書かれている。
しかし、まず、教科書は強制されて読むことが多く、何事も強制されてやることには生命が宿らない。
次に、教科書は「得をするから」読むという姿勢があり、そんな浅ましい読み方をすれば知恵にならない。
褒められるから、試験で良い点が取れるから読むなんてのは、岡本太郎流に言えば、本当に卑しい。
また、イエス流に言えば、「すでに褒められた。良い点を取って良い思いをした。すでに報酬を得た。なら、知恵と力という神からの報酬は得られない」ことになる。
本を読むのは、純粋な好奇心で読むのが良いが、「物欲しさ」がなければそれで良いのである。
好奇心の中にも、あまり感心出来ない種類の好奇心があるが、そんな好奇心で読む者は、「読む」というより、やはり「読まされている」のである。
一方、強制されるわけではないが、「仕方なく」読むというのは良い・・・というか非常に良い。
宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』で、グスコーブドリが、家に閉じ込められ、やることが何もなかったので、そこにあった、さっぱり分からない本を読んで、それが彼に大きな力を与えるが、これはとても良い話である。
あるいは、「魔法で治している」とまで言われた驚異的に優秀な精神科医のミルトン・エリクソンは、育った家に聖書と辞書しかなかったが、何と辞書の方を選んで、繰り返し読んだ。後にエリクソンは、それが非常に良いことであったと述べている。

聖書や『バガヴァッド・ギーター』を「賢くなるから」と思って読み始めるのは良いが、やはり、読むときは淡々と読まないと、読者に霊力は宿らない。
「百回読みました」と自慢げに言う者は、そんな傾向が強い。
『論語』を暗記するほど読んだという人がいて、それは非常に素晴らしいことであるが、その知識を自慢するようでは、賢くなるどころか馬鹿になる。
「孫氏読みの孫子知らず」と言い、孫子の兵法を読んでも、実戦経験がないと駄目だと言われるが、『孫子』を読むだけでも知恵は得られる。ただし、その知識を振りかざしたり自慢するから駄目なだけである。

プラトンの『ソクラテスの弁明』やデカルトの『方法序説』は、短いながら英知に溢れた書であるのに、試験に出ないからという理由で、読む人がほとんどいないのだから笑うしかない。これらの書は、読むと賢くなってしまうから、闇の支配者が、国民が読まないよう仕向けているフシもある。本来は世の中から抹殺したかったのだろうが、もう、そんなことは出来ない。

空と地上の一等星
AIアート464
「空と地上の一等星」
Kay


IT起業家がSFをよく読んでいるという話があり、イーロン・マスクは子供の時『銀河ヒッチハイク・ガイド』を愛読したとか、成功したIT起業家には、アシモフの『ファウンデーション』やフランク・ハーバートの『デューン砂の惑星』などを読んだ人が多いと言われるが、特にSFが良いというのではなく、たまたま有名なSFは質の良い作品揃いであることや、何より、SFを読んでも親や教師に褒められないところが実に良いのである(笑)。

こう言うと、「じゃあ、漫画はどうですか?」と聞いてくる人も多いが、そんなことは自分で判断するしかない。
漫画やライトノベルにも良い作品は多い。
だが、人気漫画や人気ライトノベルは、長編になった場合、途中から質が悪くなるものも多いので注意が必要である。
まあ、漫画やライトノベルで、暗記するほど読み込む価値のあるものは残念ながら少ないと思う。しかし、そこも自己判断である。












特技があることの有利さ。たとえ変な特技でも。

小学4年生の時、たまたま家が近く、親同士が知り合いだったせいか、よく一緒に登下校する女の子がいた。
ある日の学校の音楽の時間、彼女がクラスメイト全員の前でピアノ演奏を披露した時のことは鮮烈な記憶になった。
すごい腕前だった。私には、プロのピアニストとの区別がつかず、別に音楽専門ではなかったが、そこそこ上手かった先生よりもずっと上手かったはずだ。
彼女は、幼い時からピアノ教室に通わされていた。それは強制的にやらされていた感はあったが、それでも、長い時間の積み重ねの威力を思い知らされた思いだった。
私は、そんなものが自分にも何かあれば良かったのにと思ったものだった。
まあ、確かに彼女はやらされていただけで、楽しくはなかったようで、中学からは運動部(指を酷使する競技だった)に入ってピアノを止めたし、また、彼女とよく一緒にいた私は、彼女の性格が少々おかしいことも気付いていた。
だが、特技があることで自信を持てるのは良いことだ。
その他の子でも、人に出来ないことが出来る子が感じさせる自信のある雰囲気は羨ましいものだった。そんな子達は、必ずしも勉強が出来たり、容姿が良いわけでもなかったが、やっぱりどこか堂々としていた。
本当に何でもいいから、子供に、他の子が出来ない何かを出来るよう配慮してやることは大切だ。
ただし、あくまで、その子が好きなことや、好きになるようなことでないといけないが。

私の場合は、小さなことであったが、小学4年生の時に従兄が天体望遠鏡を譲ってくれ、大したことはなかったが、そのことで、天体望遠鏡と天文の知識が持てたことは、その後長く大きなアドバンテージになった。
また、大学のレスリング部の主将でもあったその従兄が、同時に、高速腕立て伏せを教えてくれたことも有難いことになった。
あまり真面目にはやらなかったが、それでも普通の子よりずっと鍛える結果になり、小5の時には、少し背が高いだけで痩せていた私が、意外な怪力であることで、クラスメイト達を驚かせることがあった。
また、高校の体育の時間に軽々と腕立て伏せをする私を見て、ややガラの悪い連中も、私には遜(へりくだ)っていたものだった。

永遠の一瞬
AIアート463
「永遠の一瞬」
Kay


子供だけでなく、大人も、何かちょっとした特技・美技を持っておくと良い。
いくつになろうが、時間さえかければ、かなりのことが出来るものだ。
たとえば、ピアノに全く触ったこともない中年に、一曲だけ名曲を演奏出来るよう指導する教室なんてのが人気があるらしい。
それに、何か1つ出来るようになると、その関連でいろいろ出来るようになる。
たとえば私は、普通の女性なら、その頭上を軽々と回し蹴りを通過させることが出来る。これは見栄えもし、喜ばれる(相手と状況に配慮することは必要)。
他にもいろいろ出来、おかげで私はモテモテだった(?)。
1つ上げれば、催眠術をマスターしたおかげで、中学生の時、いろいろ楽しい思いが出来た(詳しくは言えないが、相手も喜んでいたw)。
まあ、般若心経を全部唱えられる・・・なんてのは微妙というか、おそらく駄目で、適切なことを選ばないといけないが(笑)。
大俳優だった丹波哲郎さんは指2本で角材を叩き折るなんてことを特技にしていたが、彼も宴会芸的特技の有益さを知っていたのだろう。
(丹波さんも催眠術の名人で、女優さん相手に大いに活用し、高倉健さんがそれを見て、丹波さんに催眠術を教わったという話がある)
ついでに言えば、私は、名刺で割り箸を切断・・・どころか、割り箸が入っているペラペラの紙で、割り箸4本を同時切断出来る。本当に何でもありだ(笑)。
そして、私は今は魔法の技を得意としている。
詳細は書かれていないが、『マスターの教え』で、マスターが、そんな技を見せる場面がある。
さあ、あなたも。








輪廻転生はあるか?

生まれ変わり・・・つまり、輪廻転生というものはあるのだろうか?
最初に言っておくと、それを明確に知る方法はない。

まず、宗教における輪廻転生について見てみよう。
旧約聖書を母体とするキリスト教やイスラム教では、輪廻転生はない。
これらの宗教では、魂の不滅は説かれるが、魂は死後、天国とか地獄等に行くのであり、地上に生まれ変わることはない。
仏教では、輪廻転生はあるとされているが、仏教は方便の宗教であり、あくまで、人々を教え導くための方便として輪廻転生を説いているようにも思える。
では、仏教の母体であるヒンズー教はというと、こちらも意外と曖昧だ。
総じて言えば、仏教もヒンズー教も、輪廻転生をそれほど積極的には語っていない。
中国の道教は、道教全体を見ると、いろんなものが混ざっていて複雑だが、哲学的・思想的な中心である老子、荘子でいえば、老子は全く輪廻転生を語っていない。一方、荘子はよく(輪廻転生を)語っているが、これもあくまでたとえ話として語っている雰囲気がある。

ゾロアスター教でも、おそらく輪廻転生はない。
キリスト教と同じで、死んで死後の世界に行くだけである。
ギリシャ神話でも、輪廻転生の話は全くない。
神道は『古事記』を頼りにするしかないが、『古事記』の多くは神の物語で、人間に関する話は少ないが、輪廻転生について書かれてはいない。
一応、『古事記』より古いとされる『ホツマツタエ』にも、人間の輪廻転生については書かれていない。

霊的な著名人に関して言えば、エマニュエル・スウェーデンボルグは輪廻転生はないとしている。
エドガー・ケイシーで、ようやく輪廻転生があると明確に主張している。だが、これは、ケイシー自身の主張ではなく、ケイシーに情報を与えている霊的な存在からの情報である。

では、比較的新しく、現代の世界にも影響を与えているルドルフ・シュタイナーはどうかというと、彼は輪廻転生を否定している。
シュタイナーが出てきたところで、現在、輪廻転生の客観的証拠とされている、前世の記憶を持つ人々の話を取り上げる。
まず、前世の記憶があると言う人々の話の多くは作り話である。
だが、中には、正直に話している人もおり、それが輪廻転生の動かぬ証拠のように思えるかもしれない。
しかし、シュタイナーは、死後、その人間の記憶が情報エネルギー化すると言い、その情報エネルギー体を魂だと思って交霊術をやったり、また、その情報エネルギー体にアクセス出来る人が、その情報を自分の前世だと誤解することがあると考えれば、前世の記憶があることの説明になる。
前世の記憶を語るのは子供が大半で、子供のうちは情報エネルギー体にアクセスし易いのかもしれない。

『エイリアン・インタビュー』では、輪廻転生は絶対的真理とする。
その根拠の1つが、モーツァルトや二コラ・テスラのような天才は、前世やその前の生で能力を磨き上げ、運よく、その能力を失わないまま生まれてきたからであるとするものだ。
これも、シュタイナーの情報エネルギー体へアクセスする能力があったからということで説明出来るかもしれないが、これはそう単純な話ではないし、何とも言えない。

35日の25時
AIアート462
「35日の25時」
Kay


こうやって見ると、輪廻転生説は非常に不利であることが分かる。
しかし、輪廻転生をことさら問題にするのは、個人(個人の魂)が、全体から切り離されていると考えるからである。
生まれることを「生れ落ちる」と言うように、生まれることは個人として世界から切り離されてしまうことだという観念が大きい。
木の葉が落ちてやがて朽ちるとしても、木の本体は生きており、木の葉が死ぬとは言わない。
人間も木の葉ではなく木であるのではないかという考えが、D.H.ロレンスやアラン・ワッツらによって述べられているが、なかなか受け入れられず、そうであること(一般の人々が理解し難いということ)は、ロレンスもワッツも認めている。

そこらは思考で考えて分かることではない。
だが、やはり深呼吸をすれば分かってくるのである。
自分は葉ではなく木であり、生れ落ちたのではなく、相変わらず宇宙なのである。
それは、人間の悪い頭で分かるようなことではないが、深呼吸をして思考が消えれば明白になる。








薄目の恐るべき効果

最近、薄目で見ることの神秘的な効果について、何度かさらりと書いたが、その重要性は本当に大きなものだ。
これに関し、情報自体は沢山あるが、説明は難しい。
私が、直感的にこのことに気付いたのは、画家のムンクが薄目で見ることの効果について語っていたものを読んだ時で、ムンクはこの世ならざるものを見たのだ。
このことについて、普通は、「まつ毛が視界に重なってぼんやり見える光景がきれいだったのだろう」と思う程度であるが、ムンクが感じていたのは、そんなレベルのことではない。
同じことについて、コリン・ウィルソンは『右脳の冒険』の第4章『幻視的意識への道』の30ページをまるまる使い、様々な興味深い資料を引いて考察している。
ムンクは初期の作品『病める子』を描く時に、薄目の効果について気付き、これが彼の作品のスタイルを作った。
そして、ムンクは石版画の技術を修得すると、その『病める子』の少女の顔をクローズアップした作品『病める少女』を改めて作ったが、この作品では薄目の効果がさらに鮮明になっている。

人は寝ないベッド
AIアート461
「人は寝ないベッド」
Kay


結論を言えば、かなりざっくり言うが、人間は薄目をすることで、外界を創造する原因を作ってしまうのである。
それに気付いたのは万人に一人の天才だが、そんな天才も、言葉で表現するのはあまりに億劫なので、ほとんど言わなかった。
難しいことはともかく、普段から薄目で見る癖をつければ自然に分かってくる。
深呼吸しながらだとなおさらだ。
それで、あなたも世界を自在に創造するようになる。
その感覚は、割と早く掴めると思う。
そして、ムンクの絵をよく見ることだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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