ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2023年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『私は誰か?』(全28の20~21)

今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問と回答を収めた小冊子『私は誰か?』の、20番目と21番目の質問とその回答である。
味わい深いので、一度に小数取り上げた方が良いので、今回も2つだけとする。

質問20
神やグル(霊的な指導者)が、真の私が無限の魂であることを思い出させてはくれないのでしょうか?

回答
神とは大自然の法則であり、それに従えば魂に目覚めることが出来る。
だが、それ(大自然の法則に従うこと)は自分でやらなければならない。
また、グルは大自然の法則に従うよう、あなたを導くだけである。

大自然の法則に従うためには、思考する心を消せば良い。
ただ、大自然の法則に従えば、思考する心が消えるのも確かである。
この2つの、逆向きにも見えるやり方の、いずれも有効であり、十分である。
前者のための方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。これはとても易しい。
後者の方法とは、一切をなりゆきにまかせ無為であることで、伝統的には、「神に人生を明け渡す」と言う。これは、特に現代人には難しい。

「私は誰か?」と自分に問いつつ、なるべく、ものごとをなりゆきにまかせ無為であることが良いやり方である。

※「なりゆきにまかせる」ことを特に重視したのが荘子である。だが、「私は誰か?」と問う方が易しいので、まずは「私は誰か?」と問いつつ、なるべく、ものごとをなりゆきにまかせるよう心がけるのが賢いやり方と思う。

近未来の企業
AIアート36
「近未来の企業」
Kay


質問21
魂に目覚めるために、思考する心を消すことが必要ということですが、思考や、思考する心について分析・研究し、詳しく知ることは良いことでしょうか?

回答
腐った果実を捨てる際、その果実がどのように腐っているか、分析・研究する必要はない。ただ捨てれば良いのである。
毒が入った食物を捨てる際も、その毒について、分析・研究することではなく、その食物を捨てることが最も重要である。
この、腐った果実や、毒が入った食物が、我々の心の喩えである。
実際、我々の心は、何かの力によって、腐らされ、毒を入れられている。
どうやって腐らされたか、入れられたのはどんな毒かは、我々には分からない。
だが、「私は誰か?」と自分に問うことで、腐った心、毒を含んだ心を捨てることは出来る。
余計なことは考えず、心を捨てるべきである。

※悪い意味でいう「心を捨てる」とは、大自然の法則に従う意思を捨てるということで、悲惨な結果をもたらす。
※※我々の心を腐らせ、毒を入れたというのは、あくまで喩えであるが、我々の心が何者かに意図的に穢されているのは事実である。これについては、これもまた喩え話と思えば良いが『エイリアンインタビュー』を読むとおおよそが分かる。








『私は誰か?』(全28の18~19)

今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問と回答を収めた小冊子『私は誰か?』の、18番目と19番目の質問とその回答である。

質問18
最も優れた人間とは、どのような人でしょうか?

回答
魂を最も重要視する人である。
真に、魂のみに価値を置くなら、それが最上である。
だが、そうであるように偽るなら、それは最悪である。

真のあなたは、全知全能の無限の存在である。
あなたが知る中で、それに最も近い概念は神以外にない。
自分が魂であることを思い出すことのみを求めるか、それに近ければ、十分に高貴な人である。
自分が魂であることを思い出せば、世界は魂がその全能の力で作り出していることが分かる。
自我という偽りの「私」が、世界に対して、あれをしなければならない、これをしなければならないと思うのは、滑稽な誤りである。
それは、ただの人間が遠くの惑星の崩壊を止めようと思うようなものである。
地中のミミズが政府の腐敗を正そうとするようなものである。
一切のことは、復活する魂にまかせれば、あまりにも十分である。
だから、早く魂を復活させなさい。

花の中の花
AIアート35
「花の中の花」


質問19
魂の復活には無執着が必要だと言われます。
では、無執着とは何でしょうか?

回答
自分に起こったいかなる想念も捨てることである。
また、心の中に隠れている想念の一切をも捨てることである。
そのためには、想念が起こる度に「私は誰か?」と自分に問うことで、その想念を破壊すると共に、常に「私は誰か?」と問うことで、心の中の想念の影を捕らえ、これも破壊しなければならない。
それを続ければ、あなたが先程言ったように、魂は復活するだろう。








『私は誰か?』(全28の16~17)

ラマナ・マハルシへの28の質問とその回答を収めた『私は誰か?』の、16番目と17番目の質問とその回答である。

質問16
魂とはどのようなものでしょうか?

回答
魂は真のあなたであり、魂は全てであり、全ては魂である。
魂以外には何もないというのが真実である。
魂は全知全能の無限の存在であり、人々の概念の中で最も魂に近いものは神である。
全てである魂は、自分以外の存在を前提とする「私」「自分」という想念とは無縁である。
我々が一切の思考を消し、思考する主体である心を消し、心の正体である「私」が消えれば魂が現れる。
「私」という想いがあるなら、魂は隠されている。
水が徐々に希薄な水蒸気になるように、「私」が希薄になれば、徐々に魂が現れる。
「私」という想念が希薄であるほど、魂が大きく現れている。

※悪い意味で言う「自分(私)がない」は、小さな私という観念を作り、その観念に固執している状態である。

大気圏外に静止しているUFO
AIアート34
「大気圏外に静止しているUFO」
Kay


質問17
神が全てを支配しているのではないのでしょうか?

回答
神とは大自然の法則であり、大自然そのものである。
大自然の法則が世界を支配しており、その意味では、神が全てを支配していると言えるのである。
大自然の法則の1つである落下の法則は、空気や空気の動きである風に阻まれてはっきりとは見えないが、星の動きはいかなるものにも阻まれず正確に見ることが出来る。
それで、優れた人達の多くが星の動きを見て大自然の法則である神を感じ、神である大自然の法則に従うことで、隠された魂を現すことが出来たのである。

※老子は、大自然の法則を「道」と言った。大自然の法則である「道」に従うことで魂を現したのである。

質問16と17に対し、マハルシは相手の理解力に合わせるため、伝統的な話を借り、苦労して答えているが、その真意は上記の通りであると思う。








『私は誰か?』(全28の13~15)

ラマナ・マハルシへの28の質問とその回答の13番目からである。

質問13
過去の悪い出来事の記憶が私を際限なく苦しめます。
いったいいつ、それから解放されるのでしょうか?

回答
あなたを苦しめるのは、記憶そのものではなく、記憶によって起こされる想念である。
想念は思考する心である。
「私は誰か?」と自分に問い、心が消えていけば、あなたを苦しめる力も弱くなっていく。
余計なことを考えず、「私は誰か?」と問いなさい。
いずれ、全ての苦しみから解放されるだろう。

質問14
記憶は、過去生のものも含めれば無限にあります。
それなのに、全ての辛い記憶から嫌な想念が起こることがなくなるのでしょうか?

回答
もちろんである。
あなたが罪を犯した記憶があったとして、それがあなたを嘆かせるなら、あなたの心は存在している。
ひどく悪い人を見て、あなたがその人を憎むなら、あなたの心は存在している。
心は活動せずにはいられず、このように、嘆いたり、憎んだり、あるいは、愛することをせずにいられない。
心が消えてしまえば、それらのような想いは起こらない。
そして、心が消えれば、あなたは誰に対しても施しを与えるだろう。
なぜなら、それが魂の自然な本性だからである。
心が消えた時に魂が現れるのである。
魂が現れれば、分け与えるべき施したる恩恵は無限にあなたのところに集まる。
ところで、たとえ心が残っている状態でも、施しを与えれば心が弱まる。
なぜなら、その時、あなたは魂に従った行為をしたからである。
それが分かれば、人に施しをしないでいられようか?
だが、他者への最大の恩恵たる施しは、あなたが「私は誰か?」と問うことである。

眠り姫
AIアート33
「眠り姫」
Kay


質問15
どのくらいの期間「私は誰か?」と問えば良いのでしょうか?

回答
そんなことは考えず、ただ「私は誰か?」と問うべきである。
優れた武将は、「いったいいつまで戦わなければならないのか?」などと考えたりはしない。
敵が降伏するまで戦うのだと決まっているからだ。
敵が現れる度に倒していけば、いずれ、敵は降伏する。
同じように、想念が起こる度に「私は誰か?」と問えば、いずれ、心は消える。
「私は誰か?」は、敵であるいかなる想念にも打ち勝てる武器であるからだ。








『私は誰か?』(全28の11~12)

今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問とその回答から成る小冊子『私は誰か?』の、11番目の質問からである。

質問11
「私は誰か?」という想念を、どのようにして常に心に保てば良いのでしょうか?

回答
「私は誰か?」以外の想念が起こった時、それがいかなる想念であっても、その想念を追いかけず、「私は誰か?」と問うべきである。
すると、その想念は、想念を起こした源である「私」に引き戻され消える。
ところで、人はいつも、言い知れぬ不安を抱えているが、その不安は胸に感じていることが分かると思う。
心は、身体の中で、常に活発に活動している心臓に巣食っているからである(質問9への回答で述べた)。
そこで、胸の不安、あるいは、単に胸を意識しながら「私は誰か?」と問えば心は活動を抑えられて消え、結果、不安も消える。
何も考えずに済む状況を過ごせば心配事がなくなるのも、同じ理屈からである。
ただし、レクリエーションや緊張を強いられることで思考を消すのは限度がある。なぜなら、心はそれらのことに慣れてしまい、かえって勢力を増すからである。
よって、やはり「私は誰か?」と問うことが必要である。

質問12
「私は誰か?」と問う以外に心を消す方法はないのでしょうか?

回答
気力や緊張を必要としたり、危険を伴うものを除けばない。
呼吸法で一時的に心は消えたように静かになる。
それは、肺が、心が巣食う心臓に近いこと、また、肺の活動が静かになれば心臓の活動も同様に静かになることによってである。
だが、呼吸が元に戻れば、心もまた活発に活動を始める。
マントラ(真言)や神の名を唱えたり、讃美歌を歌うことなどでも、心が静かになるが、心が静かであるのは、それらが行われている間だけである。
確かに、起きている間ずっとマントラを唱えることが出来るほど修練すれば心を消すことが可能かもしれないが、それは難しいことであるし、そのような修練の完成にはとても長い年月を必要とする。
ただし、呼吸法、マントラを唱えること、その他の修練で集中力を得れば、「私は誰か?」と問うことが容易になる。
だが、修練の中で最も良いのは、適度な量の清らかな食事を取ることである。
過度に美味だったり、刺激の強い食物は心を粗暴にするだけである。
食べ過ぎや極端な少食も、心を刺激し落ち着きをなくす危険がある。

着陸したUFO
AIアート32
「着陸したUFO」
Kay


質問11と12は、「私は誰か?」と問うことの準備編で、13から、質問者の疑念が問われるので、ここでいったん終える。
13からの疑念は、誰もが持つ、実感のあるものである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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