面白いものがある。
ラマナ・マハルシが自ら、厳選した教えを、それぞれは非常に短い30の詩にしたものだ。
それは『ウパデーシャ・サーラ(教えの精髄)』と呼ばれるものだ。
それが、本当に面白いのである。
ためしに、最初の1つを取り上げる。
その1
言ったり、想ったり、行(おこな)ったりをすると、それに応じた結果が生じる。
なぜか?
真のあなた(=魂)がそう決めたからだ。
あなたが「お金よあれ」と言えば、お金はいくらでも得られる。
しかし、そうならないなら、あなたが、自分は魂であることを忘れているからだ。
つまり、心というゴミに覆われて魂という宝石が隠れているからだ。
だから、常に、「私は誰か?」と自分に問い、心というゴミを消し、魂が現れるほど、言った通り、想った通りになり、手がけたことは成功する。

AIアート41
「花の微笑」
Kay
自分が魂であるという認識が高い人が、
「私は言う。お金よあれ」
と言うと、たちまちお金が出来る。
そんな人の「私は言う」は、「魂である私が言う」に近いからだ。
つまり、本来、「私」は「魂」なのだから、「私」が言ったことは絶対なのだ。
だから、「私は誰か?」と常に問い、だんだん、自分が魂であることが分かってくると、ちょっと想っただけで実現してしまう。
かなり魂に目覚めた人が、冗談で、「(難しい抽選に)当たったりしてね」とか「(近づき難い)あの人に会ったりしてね」とか言うと、本当に当たったり、会ったりする。
ところが、騙したら、いつか騙されるし、殴ったら、いつか殴られる。
だって、ロクでもない理由で殴る時、「私は殴る」とは言わないし、騙す時も「私が騙している」と思わない。
殴るのは、(私ではない)どこかの誰かで、騙すのも、やはり私ではないと思っているものなのだ。
そこで、確かに実現に時間はかかるが、騙された時、隠された魂は「私は騙される」と言い、殴られた時には「私は殴られる」と言うのである。
ここらのカラクリは話すと長いので、とりあえず、叶えたい願いに関しては、「私は言う。お金がある」と言えば、魂が目覚めている度合いに応じて叶うことを言っておく。
そのために、常日頃、「私は誰か?」と自分に問うべきである。
この詩は、「だから引き寄せをバンバンやりなさい」と言っているのではなく、単に、「そういうものなんだ。それを誤解するな」と言っているのである。
ラマナ・マハルシが自ら、厳選した教えを、それぞれは非常に短い30の詩にしたものだ。
それは『ウパデーシャ・サーラ(教えの精髄)』と呼ばれるものだ。
それが、本当に面白いのである。
ためしに、最初の1つを取り上げる。
その1
言ったり、想ったり、行(おこな)ったりをすると、それに応じた結果が生じる。
なぜか?
真のあなた(=魂)がそう決めたからだ。
あなたが「お金よあれ」と言えば、お金はいくらでも得られる。
しかし、そうならないなら、あなたが、自分は魂であることを忘れているからだ。
つまり、心というゴミに覆われて魂という宝石が隠れているからだ。
だから、常に、「私は誰か?」と自分に問い、心というゴミを消し、魂が現れるほど、言った通り、想った通りになり、手がけたことは成功する。

AIアート41
「花の微笑」
Kay
自分が魂であるという認識が高い人が、
「私は言う。お金よあれ」
と言うと、たちまちお金が出来る。
そんな人の「私は言う」は、「魂である私が言う」に近いからだ。
つまり、本来、「私」は「魂」なのだから、「私」が言ったことは絶対なのだ。
だから、「私は誰か?」と常に問い、だんだん、自分が魂であることが分かってくると、ちょっと想っただけで実現してしまう。
かなり魂に目覚めた人が、冗談で、「(難しい抽選に)当たったりしてね」とか「(近づき難い)あの人に会ったりしてね」とか言うと、本当に当たったり、会ったりする。
ところが、騙したら、いつか騙されるし、殴ったら、いつか殴られる。
だって、ロクでもない理由で殴る時、「私は殴る」とは言わないし、騙す時も「私が騙している」と思わない。
殴るのは、(私ではない)どこかの誰かで、騙すのも、やはり私ではないと思っているものなのだ。
そこで、確かに実現に時間はかかるが、騙された時、隠された魂は「私は騙される」と言い、殴られた時には「私は殴られる」と言うのである。
ここらのカラクリは話すと長いので、とりあえず、叶えたい願いに関しては、「私は言う。お金がある」と言えば、魂が目覚めている度合いに応じて叶うことを言っておく。
そのために、常日頃、「私は誰か?」と自分に問うべきである。
この詩は、「だから引き寄せをバンバンやりなさい」と言っているのではなく、単に、「そういうものなんだ。それを誤解するな」と言っているのである。