ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2023年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『ウパデーシャ・サーラ』の最初の1詩

面白いものがある。
ラマナ・マハルシが自ら、厳選した教えを、それぞれは非常に短い30の詩にしたものだ。
それは『ウパデーシャ・サーラ(教えの精髄)』と呼ばれるものだ。
それが、本当に面白いのである。
ためしに、最初の1つを取り上げる。

その1
言ったり、想ったり、行(おこな)ったりをすると、それに応じた結果が生じる。
なぜか?
真のあなた(=魂)がそう決めたからだ。

あなたが「お金よあれ」と言えば、お金はいくらでも得られる。
しかし、そうならないなら、あなたが、自分は魂であることを忘れているからだ。
つまり、心というゴミに覆われて魂という宝石が隠れているからだ。
だから、常に、「私は誰か?」と自分に問い、心というゴミを消し、魂が現れるほど、言った通り、想った通りになり、手がけたことは成功する。

花の微笑
AIアート41
「花の微笑」
Kay


自分が魂であるという認識が高い人が、
「私は言う。お金よあれ」
と言うと、たちまちお金が出来る。
そんな人の「私は言う」は、「魂である私が言う」に近いからだ。
つまり、本来、「私」は「魂」なのだから、「私」が言ったことは絶対なのだ。
だから、「私は誰か?」と常に問い、だんだん、自分が魂であることが分かってくると、ちょっと想っただけで実現してしまう。
かなり魂に目覚めた人が、冗談で、「(難しい抽選に)当たったりしてね」とか「(近づき難い)あの人に会ったりしてね」とか言うと、本当に当たったり、会ったりする。

ところが、騙したら、いつか騙されるし、殴ったら、いつか殴られる。
だって、ロクでもない理由で殴る時、「私は殴る」とは言わないし、騙す時も「私が騙している」と思わない。
殴るのは、(私ではない)どこかの誰かで、騙すのも、やはり私ではないと思っているものなのだ。
そこで、確かに実現に時間はかかるが、騙された時、隠された魂は「私は騙される」と言い、殴られた時には「私は殴られる」と言うのである。
ここらのカラクリは話すと長いので、とりあえず、叶えたい願いに関しては、「私は言う。お金がある」と言えば、魂が目覚めている度合いに応じて叶うことを言っておく。
そのために、常日頃、「私は誰か?」と自分に問うべきである。

この詩は、「だから引き寄せをバンバンやりなさい」と言っているのではなく、単に、「そういうものなんだ。それを誤解するな」と言っているのである。








『聖なる魂について』(元は『聖なる名前の哲学』)

今回は、ラマナ・マハルシが、それを発見して以来、身近に置き続けたと言われる、1ページでも書けそうな短い文章の小冊子『聖なる名前の哲学』を取り上げる。
2つほどの福間巌氏の著書に全文が書かれているが、元の内容は、それとは全く異なったものだろう。
インドの言葉(タミール語かもしれない)で書き起こされた時、様々な理由で、すでに、おかしなものになってしまっていたのだろう。
それが、英語、さらには、日本語に翻訳されたのだが、元の書き起こし文章がおかしかったのだから、さらにおかしくなるしかなかっただろう。
だが、読めば、元の内容は分かるのである。
タイトルも『聖なる名前の哲学』というのはおかしく、仮にタイトルがあったとしても『聖なる魂について』くらいであったと思う。
正しく文章にすれば、こうなる。

『聖なる魂について』(その1)
魂は全てである。
魂以外には何も存在しない。
魂は不生不死である。
だが、人々はそれを知らないまま、延々と転生を繰り返し続けている。
人に宿った魂は束縛されているが、束縛が弱まることもある。
魂の束縛が弱かった時、ヴェーダなどの優れた教えが説かれた。
真の自分は魂である。
それを知った時、真理は明らかになる。
最高のマントラ(真言)は「私」である。
このマントラを唱えることで真の私である魂を束縛から解放する(※)。
それにより、自分こそが無限の魂であると実際に知るのである。

花と初音ミク
AIアート40
「花と初音ミク」
Kay


これこそが真理であり、いかなる万巻の聖典に優る。
『バガヴァッド・ギーター』も仏典も、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』も、『老子』も、全て、このことを言っているだけである。

ただ、人間の束縛状態は悪く、「私」を唱え難くなっている。
そこで、「私は誰か?」と自分に問うことで、このマントラを楽に唱えることが出来るのである。
だから、上の(※)の行は、こう書き換えても良い。

「私は誰か?」と自分に問うことで、真の私である魂を束縛から解放する。

これを使った全文を以下に記載する。

『聖なる魂について』(その2)
魂は全てである。
魂以外には何も存在しない。
魂は不生不死である。
だが、人々はそれを知らないまま、延々と転生を繰り返し続けている。
人に宿った魂は束縛されているが、束縛が弱まることもある。
魂の束縛が弱かった時、ヴェーダなどの優れた教えが説かれた。
真の自分は魂である。
それを知った時、真理は明らかになる。
最高のマントラ(真言)は「私」である。
「私は誰か?」と自分に問うことで、真の私である魂を束縛から解放する。
それにより、自分こそが無限の魂であると実際に知るのである。








小休止「唯一効果がある引き寄せの方法」

不安があまりに大きいと、魂に目覚めるための探求(具体的には「私は誰か?」と問うこと)がやり辛いかもしれない。
実際には、魂に目覚める度合いが大きいほど不安はなくなるのであるが、ここで少し、物質面での不安をなくすための引き寄せのやり方を述べておく。
まず、世の中にある引き寄せメソッドは全部、無意味であることが分かっている。
引き寄せが出来るかどうかは、テクニックの問題ではなく、どれほど魂の力が出せるかだけにかかっている。
魂の力が出ていれば、願わずとも何でも引き寄せるし、魂の力が出ていなければ、いかなる評価の高い引き寄せメソッドを賢明にやっても、全く効果はない。
何せ、魂は全知全能なのだから。
「私は誰か?」と自分に問えば、魂が出てくる(実際には、魂を覆う心が消える)のだが、あまりにも魂が隠れている場合は、「私は誰か?」と問うことが続かない。そして、現代人は、ほとんどがそうなのである。

お花の挨拶
AIアート39
「お花の挨拶」
Kay


そこで、唯一、引き寄せメソッドで有効なものを教えると、アファーメーションだ。
ただし、必要なのは、アファーメーションの内容ではなく、回数だ。
斎藤一人さんという方が千回唱えれば良いと本に書かれていたが、それでうまくいった人などいまい。
正しくは「1日1万回」だ。
それで、まともなアファーメーションなら、何でも優れた効果を見せる。
江戸時代、ハンセン氏病になった武士に、キリスト級の聖人であった神道家、黒住宗忠は、1日1万回「ありがたい」と唱えるよう指示した。
素直にそれを実施した武士は1週間で完治した。
あるホームレスの男性は、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱えたというから、やはり、1万回は唱えていた。
それで、2週間ほどで、彼は1憶円の宝くじが当たり、その後、さらにもう1回(1憶円が)当たった。。
ただし、最初から宝くじの当選を狙っていたわけではなく、何が起こるかは神(実際は自分の魂)にまかせた。

正確に1万回でなくても良い。
要は、起きている時間の全部でやるつもりで行うことだ。
私の知人は「お金がある」と1日中唱え、ついに、2部ではあるが、東証上場企業を作った。

こんな回り道をする必要もないとは思うが、もし引き寄せを行うなら、有効な方法はこれだけである。
なぜ効果があるかというと、欲望を利用していることも確かだが、それほど唱えれば思考が消え、いくらか魂が現れるからである。
それをするためのエネルギーとして欲望を利用するのである。
ただ、これだけでは幸福になれない。
最終的には、魂を全面的に現さない限り、これまで何万年も続いてきた惨めな状態は終わらない。

さて、次回は本当に『聖なる名前の哲学』に進む。
たった2ページであるが、中世以降、最高の聖典である。








『私は誰か?』最終回(全28の25~28)

今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問と回答を収めた小冊子『私は誰か?』の、25番目から、最後の28番目までの質問とその回答である。

質問25
洞察力とは何でしょうか?

回答
思考が消えた時に得られる直観力を洞察力と言う。
思考している時、心は魂を覆うが、思考が消えれば、心は魂の中に吸収され、魂が現れる。
普通の人間では、それが完全に行われることはないが、その程度が大きいほど直観力が強くなる。
直観力が十分に強ければ、瞬時に正しいことが分かる。
一方、思考による判断は全て間違いである。

質問26
無欲と知恵は、どんな関係があるのでしょうか?

回答
無欲が知恵である。
無欲とは、外の世界に関心を向けないことである。
知恵とは、外の世界には何もないと知ることである。
言い換えれば、魂のみに関心を向けることを無欲と言い、魂以外には何もないと知ることを知恵と言う。

近未来の企業(その2)
AIアート38
「未来の企業(その2)」
Kay


質問27
探求と瞑想の違いは何でしょうか?

回答
探求とは、魂のみに心を向け、心が魂に溶け込むことである。
瞑想とは、真の自分が無限の魂であると思うことである。

質問28
解脱とか悟りと呼ばれているのは、どのようなことでしょうか?

回答
真の自分が魂であると知ることが、解脱とか悟りと呼ばれていることである。
魂は全知全能の無限の存在であり、人間が知る最も近い観念で言えば神である。
あなたはそれである。
解脱、悟りのためには、「私は誰か?」と自分に問うことが最良の方法である。

今回で、短いながら貴重な聖典である『私は誰か?』の全28の質問とその回答を終える。

次回は、この回答者であるラマナ・マハルシが唯一身近に置き続けたと言われる、さらに短い(2ページ程度)聖典である『聖なる名前の哲学』を解き明かす。
これは、書籍としては、『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』、『ラマナ・マハルシとの対話』第二巻(共にナチュラルスピリット刊)に収録されている。
『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』には、今回まで取り上げた『私は誰か?』も収録されている。








『私は誰か?』(全28の22~24)

今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問と回答を収めた小冊子『私は誰か?』の、22番目からと24番目までの質問とその回答である。
とても面白い問答と思う。

質問22
眠っている時に見る夢と、起きている時の現実に違いはないのでしょうか?

回答
全く同じで何の違いもない。
いずれも、心が作り出しているただの幻想である。

眠っている時の夢の中では、起きている時より制約が少なく、奇想天外なことが起こるように思うかもしれない。
しかし、それは、起きている時に奇想天外な空想をするのとなんら変わらない。
子供のうちは、起きている時の現実と空想に区別はない。
大人になるにつれ、「現実とはこのようなもの」という固定観念が出来るので、大人は、「これは現実」「これは空想」と区別するが、固定観念が少ないほど子供に近く、現実世界もおとぎ話のようなものである。

森の妖精さん
AIアート37
「森の妖精さん」
Kay


質問23
魂に目覚めるため・・・つまり、自分が本当は無限の魂であることを知るために本を読むことは役に立つでしょうか?

回答
全ての価値ある本は、読者が無知であることの配慮から、それとなく示していることも多いが、大切なことは、思考を消し、心を消すことであると言っている。
よって、本当に大切なことは、ただ1つ、心を消すことであることが理解出来れば、もう本を読む必要はない。
本を読む時間を「私は誰か?」と自分に問うことに当てる方がはるかに有益である。

質問24
幸福とは何でしょうか?

回答
魂を覆っていた心が消え、魂が現れることである。
魂は幸福そのものである。
心からの願いが叶った時、実は、心は消え、魂を楽しんでいるのである。
だが、すぐに心が戻ってきて、「どれほど願ったことでも、得てしまえばさほどでもないものだ」と思ってしまうのである。
しかし、心が消えている状態が続けば、ずっと幸福なのである。

何も得なくても、心が消えれば幸福なのである。
逆に、どれほどのものを得ても、心を抱えているなら不幸であるし、心が重ければ悲惨である。
心が希薄な子供に尋ねてみると良い。
「毎日は楽しいかい?」
すると、子供は言うのだ。
「楽しいに決まってるじゃない」
賢者(心がない)と子供が似ていると言われる理由はこれである。
賢者は、傍目には不幸に見てても、本人は幸福なのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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