ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

幽体離脱して羅生門に行った

面白い白日夢を見た。
似たようなものを見たことがあったり、よく分る感じがある人は、かなりの霊感力があると思う。

家に居たのだが、眠りに落ちた瞬間、外に飛び出した。
よって、これは、白日夢であると言うより、幽体離脱かもしれない。
家の外の風景は、現実と似ているが、かなり違いがあることも認識出来た。
ということは、やはり、私が作り上げた世界なのだろうか?
とりあえず、西の方に、いつもの道が開いているので、そっちに行ってみることにした。
意図しただけで、身体(幽体?)が高速移動する。
それで、あっという間に遠いところに来てしまったが、そこに、高く広い範囲に渡って建つ、黒っぽい板の壁があった。
トランプ大統領が、メキシコ国境に建設した「メキシコ国境の壁」を思わせたが、広く空いている部分がある。それはまるで羅生門(羅城門)のようだった。
別に、恐ろしい雰囲気はなく、門の外は広いさら地がずっと続いていて、青い空と明るい陽射しの中、とても懐かしい感じがする。
向こうの方(100mほどだろうか)に3人ほど、人影が見える。
私はその人達に親しみを感じ、手を振ろうとしたが、腕が上がらない。これは面白い。何が腕の動きを制約しているのだろう?
ふと、門の近くの壁を見ると、鏡がついている。さっそく自分を見た。
それほど大きな鏡ではなく、胸から上だけ写っていたが、なぜか眼鏡をかけている。仕事中か運転中以外はかけないのだが。
ふむ、相変わらず美しい男だが、どうも気難しい、苦しい表情だ。
この門はきっと、本当の羅生門で、死なない限り、向こうにはいけないし、向こうとの交流も難しいのだろう。それで、向こうに向かって手も振れないのだ。

戻った方が良いような気がして、来た道を戻って行った。
随分、見慣れない、西部開拓時代のアメリカのような風景だ。
人も多い。なるほど、馬も馬車もいる。
私は、その間を走って通り抜けた。今度は、ちゃんと走っているという感覚があったが(さっきは低空を飛んでいるようだった)、やはり、滑るように速く走れる。
そろそろ私の家かと思うと、それらしいものがあったが、なぜかそれではないと思い、走り過ぎた。
すると、また、自分の家らしいものがある。本当の私の家とは似ても似つかないが、なぜか、自分の家のようだと思うのだ。
そんなことを何度か繰り返したが、次に見えた家を、自分の家だと決めた。そうだ、決めれば良かっただけだ。
すると、「なんだ、やっぱり自分の家だ」と思う。
どう見ても、初めて見る家なのにね(笑)。
家の外から、階段で2階に上がれる(本当の私の家は、そんな洒落た家ではない)。
そうだ、私の家はこうなっている・・・初めて見る家なんだろうが、どうやら捏造(作り物の偽物)の記憶があって、ずっとそこに住んでいるように思っているのだ。
そして、2階に私の部屋がある。
いつも、そこで過ごし、いろんなことがあった部屋だ・・・と思い込んでいるが、もちろん、それも偽の記憶だ。
私はドアを開けて中に入った。
その瞬間、目が覚めた。
話は簡単で、あの羅生門が、生と死を分ける門だ。あやうく死にかけたが、生かす方の力が強く働いたようだ。
そして、最後に飛び込んだ部屋が、私の個人的意識だ。
普段の私は、その狭い意識の中に囚われているのだが、もう出方が分かった。
ただ、遠くに行き過ぎると、あの羅生門がある。
それを越えて向こうに行けるのかどうかは分からないが、少なくとも見ることは出来る。

個人的意識から出るには、単に、思考を止めれば良い。
その簡単な方法が今に意識を向けることで、それにはただ、「今、今、今、・・・」と心で唱えるだけで良い。
慣れると、すぐに思考を消せるようになる。
個人的意識から出たら自由自在だ。
このことが、法華経の中にも、よく書かれていることに気付く。つまり、ごく短時間の間に、いろんな仏の世界に行き、仏達に挨拶出来るのだ。
すると、あの羅生門の外にも行けるのだろう。まだ、簡単には出られないようだが、そのうち、何とかなるだろう。
そんなわけで、思考を止めることがいかに大事かが分かる。

ところで・・・
小学校の頃だと思うが、皆さんも、クラスの1人くらいは、人間ではない子がいたはずなのだ。
私にも、そんな子がいた。
最初の子は、小学1年生の時の女の子で、彼女のことは何度か書いたことがある。
次が、5年生の時の、やはり女の子で、大変な美少女だった。1年の時の子も可愛かったと思うが、私はあまり憶えていない。ただ、上級生が彼女のことを大変に可愛いと言っていたので、やはり可愛かったのだろう。
で、5年生の時の方の子には、「君、人間じゃないだろ?」と尋ねてみたが、彼女は黙って横を向いて何も言わなかった。
まあ、「沈黙を持って」である。つまり、その通りだというわけだ。
『Another』に出て来る見崎鳴(中学3年生)にそっくりだった。多分、同一人物だろう(笑).。
憶えがなくても、そんな子がいたと決めつけ、イメージの中で何か尋ねてみると良い。おそらく、良いことを教えてくれるから。








「今」に参入し万能エネルギーと一体化する秘密訓練

米国大統領は「核のフットボール」を常に持ち運んでいる(実際は担当官が持つ)。
「核のフットボール」とは、大統領が核攻撃を指示するプロセスを開始するための各種ツールが収められたブリーフ・ケース(カバン一般を意味するが、なぜか日本語では「書類カバン」)だ。
いわゆる「核のボタン」とも言われるが、核攻撃のためには、複数の指揮官を経由するプロセスが必要なので、大統領がボタンを押したり、「やれ」と命じるだけでは実際の核攻撃は開始されない。
ただ、これは米国の場合で、核保有国であるイギリス、フランスも似たようなものと思うが、米国の5千数百の核弾頭に対し、6千以上を持つと言われるロシアや、数百と言われる中国のことは、一般には分からないのだと思う。

1960年代のアニメ『サイボーグ009』の中で、米国だったかどうか知らないが、大統領が、核ミサイル発射ボタンを押そうとする場面があった。ここでは、大統領がボタンを押せば、ただちにミサイルが発射される設定だったのだと思う。
『サイボーグ009』のリメイク版映画である2012年の『009 RE:CYBORG』では、現代的に、複数の発射プロセスが必要となり、オバマ大統領に似せた(背の高い黒人の)米国大統領が、核ミサイル発射を指示したのだと思うが、ミサイル発射まで一定の時間を必要としたが、核ミサイルは発射される。
その、古い方の『サイボーグ009』では、大統領は平然と核ミサイルの発射ボタンを押すのではなく、大変な緊張と葛藤をすることが描かれていた。
当然である。自分がボタンを押すことで、とんでもない数の人間が死に、放射能汚染も引き起こすのだから、その緊張、葛藤は最大に描く必要があるだろう。
それで、私は考えたのだ。
そんな恐ろしいボタンを押す人物に自分がなり、今まさにボタンを押そうとする時のことを。
子供の時のことであったから、不謹慎なことは多少大目に見たいが、その時の気分は、「これほど興奮することはない」もので、「今が本当にその時なんだ。自分がそのボタンを押そうとしているのだ」と思い込むほど高揚感が高まったが、「人を殺す」という意識ではなく、「地球を消滅させる」というイメージを持っていた。
いや、たとえ生物はいなくても、どこかの惑星1つを消滅させると思うと、やはり、興奮度は最大になる(いや、不謹慎なのは分かる)。
そのボタンを今や押そうとする時、心の中で何が起こっているかというと、「今」に強力に集中しているのである。
言い換えれば、これまでになかったほど「今」を意識しているのだ。
私は、この興奮が忘れられず(笑)、この興奮を引き起こすことを考え付いた。
たとえば、熱心に時間をかけて、紙に絵を描いたら、自分としては最高の出来となって満足感を覚え、その絵を大切に思ったとする。
その絵を破くのである。
その絵が描かれた紙を掴み、今まさに破こうとする時、心で「さあ、破くぞ、破くぞ!」と唱えると、どんどん高揚感が高まる。
これだ、この気分だ(笑)。
他にも、大切な物を2階の窓から落とす(落としたら完全に壊れる)なども有効だった。

実際は、そういった破壊的な目的を持って「今」に集中することには悪い作用もあるが、そうやって、「今」に集中する感覚を身に付けることには意味があると思う。
そして、長じるに従って、困難な選択を行うことがあり、それを、勇気と責任感を持って行う時、やはり、あの時のような「今」に集中する高揚感を感じた。ただし、そこには余計な興奮感はなく、「生の実感」「命のさざめき」を感じるのである。

核ミサイルや、惑星消滅を起こすボタンではない、もっと建設的な空想のボタンを考え、「今」に集中するシミュレーション(模擬実験、模擬訓練)を行ってみると、「今」の感覚を掴めると思う。
そして、「今」を自在に感じられるようになれば、もう魔法使いと言って差し支えない。
「今」の中に万能の宇宙エネルギーがあり、そこに意識を集中させることで、我々はそのエネルギーと一体化するのであるからだ。
さっき、建設的な空想のボタンと言ったが、それは必ずしも楽しいものではなく、痛みを伴う場合が圧倒的に多い。
たとえば、愛する人の命を救うため、その愛する人と永遠に別れるボタンなど、なかなか良い。そういった、痛みを伴うものでなければ訓練にならず、その痛みは大きいほど速く上達する。
これが魔法の訓練の奥義である。
私は昔、相当な年配の人から、軍の中でも秘密組織に属するところで行われていた特殊訓練を、その人は、あの中村天風と一緒にやったという話を聞いたことがある。
上にあげた訓練にも、そのエッセンスが含まれている。








我々を殺そうとしている謀略から逃れる

学校やテレビが主犯だが、今はネットでも、我々の意識を「今」から引きはがし、過去の後悔や未来の不安に押し込もうとする流れが凄まじい。
それにより、我々は、無力感と劣等感に打ちひしがれ、地面を這うようにクタクタに疲れてしまい、何も出来なくなっている。
まあ、若いうちは少しは抗ってみる者もいるが、やがては、それは無駄な抵抗と知る。

なぜそんなことになるのかというと、力である生命エネルギーは「今」にしかないのに、「連中」の謀略により、我々の意識は、灰色の幻想である過去や未来にいるからだ。
我々をそんなふうにしているのが、宇宙人か地底人かグローバル勢力かは分からないが、それは、力を取り戻せば分かることだろう。
だが、何よりも今、大切なことは、生命エネルギーを取り戻し、引き寄せ自在になることだ。
それには「連中」の思惑を裏切って、今に意識を向ければ良いだけである。
なぜなら、我々は本来、強いのだからだ。
だが、我々は、あくどい謀略により、生命エネルギーから巧妙に切り離されてしまっている。

「今」に意識を向けるには、今、何をしているのかを、はっきり意識することだ。
歩いているのなら、歩いていることを意識し、食べているのなら、食べていることを意識し、彼氏にお姫様抱っこされているなら、彼氏にお姫様抱っこをされていることを意識するのである。
ソファーに座ってうとうとしているなら、ソファーに座ってうとうとしていることを意識する。すると、その心地良さは最上になる。
今やっていることが嫌だからといって、他所事を考えて逃避してはならない。それによって、意識は過去や未来に流れていき、「今」から離れてしまう。
たとえ嫌でも、今やっていることを意識するか、あるいは、やめてしまうことだ(私なら全力でやめる)。
言い換えれば、今やっていること以外のことを考えてはならない。
今を意識する練習をすることにも意義がある。
たとえば、腕振り運動をする時、他の一切のことを考えず、ただ、腕振り運動をしていることだけを意識する。
すると、心が不思議な感じにさざめいて(ときめいて)くる。それが、生命エネルギーが流入してくる感覚だ。
生命エネルギーが宇宙最高の力であり、それが流れ込んでくるなら不可能はない。

どうも分からないと言うなら、なるべく「今」を思いながら、「今、今、今、・・・」と心で唱えると良い。
また、「生きている」を、アファーメーションとして、思い出す度に唱えると効果が上がるだろう。
現代は、庶民は、皆死にゆく運命である。
しかし、今に生きる者だけは楽々と願いを叶えながら生きていくのである。








戦後、日本人を騙し続け地を這う虫にし続けた言葉

戦後、日本人を洗脳し続けている呪文のような言葉がある。
それは「正義の味方」だ。
この言葉の阿呆さに気付かないといけないのに、誰も疑いすらしない。

「正義の味方」以前に、「正義」が、ロクでもない言葉だ。
正義は、英語でjustice(ジャスティス)だと思っている人は多いが、justiceは、まあ、「公平」だと思って良い。人や行為を公正に扱うことをjusticeと言うのだ。
ところが、正義の義とは、特定の集団の道理、つまり、教義という意味で、早い話が、偏見である。
だから、正義とは「誰かが正しいと思い込んでいる1つの狭い考え方」という程度の意味だ。
英語に正義に該当する言葉はないが、もしあるとすれば、「資本主義への賛同」であり、中国なら「共産主義の推進」といったものになると思う。
正義とは、その程度の意味なのだ。

ところが、正義を、「真理」とか「神の理念、あるいは、神そのもの」と思っている人が多い。
私もそうだった。
だが、それなら、「正義の味方」は変な言葉だと分かる。
なぜなら、真理や神は味方など必要ではないからだ。
だが、正義の実際の意味である「偏見」には味方が必要だ。
「味方あっての真理」などでは全くないが、「味方あっての偏見」であり、味方がいなくては偏見は成り立たない。

慣習的、あるいは、文学的な意味では、正義の味方は、英語では、「ヒーロー」、あるいは、「knight in shining armour(輝く甲冑の騎士)」であり、単に、「華々しい者」「やんやと持てはやされる者」という意味で、真理であるかどうかは全く関係ない。
ヒーローとはただ、特定のグループにとっての強い味方のことだ。

全く知らないが、「正義について語ろう」「正義の話をしよう」みたいな本があると思う。私は読んではいないが、中身は全くの偏見であることは分かる。
上にも述べた通り、正義そのものが偏見だからだ。

そりゃ、戦後70年以上、「正義」「正義の味方」は、日本を騙し続けた言葉なのだから、上のように、いきなり正体を暴露されたからって困るかもしれない。
ところで、我々が「正義」と思い違いしている「真理」「神の真理」の本当の意味は重要である。
だが、だがだ。
人間の頭では真理は分からないのだ。
もしかしたら、「愛」が真理なのかもしれないが、それなら、人間には愛は分からない。
これに関しては、アイルランドの詩人W.B.イェイツも「愛は神の領域であり、人間には分からない」と謙虚に認めている。
だが、イェイツも早計なことを言ってしまった。まあ、ある程度正しいし、「正義」「正義の味方」よりははるかにマシだが。
それは、「憎しみは人間の領域だから、人間は憎むのをやめれば良い」だ。
言っておく。
人間は、愛することは出来ないが、憎むのをやめることも出来ないのだ。
ただ、それらの否定形である、「愛さないこと」「憎むこと」は常時やっているのである。

面白いことに、イェイツは、上で述べた人間最高の心がけである「憎むのをやめる」ことをすれば、神の恩寵を得られる・・・つまり、分かり易く言えば、引き寄せが出来ると言っている。
それが正しいとしても、さっきも述べた通り、人間は、憎むことを止められない。

人間に出来る、唯一の正しいこと、それによって、引き寄せを起こせる方法は、思考を止めることだ。
これは、想念を消す、考えることを止めるなどとも言う。
また、「思考を止める」とは、「思考を消す」と同じ意味だ。
これはもう、今の社会で誰も賛成してくれないと思って良い。
だが、それは構わない。
とりあえず、分かる者だけが得をさせていただこうではないか。
いつも言うが、今を意識すれば、自然に思考は消える。
今を意識する方法などについては、いつも書いているので省くが、分からなければ、「今」の意味を思いながら、「今、今、今、・・・」と唱えても良い。
そうすれば、自ずと思考は消え、真理と一致し、真理があなたを守り、引き寄せの力が自然に備わる。
だがまず、ソクラテスのように、「私には知恵がない。よって、立派なことは考えられない」と謙虚に認めることが必要と思う。








引き寄せ力を上げる呼吸法

今を意識するほど、エゴは粗暴で不埒(ふらち。不届き)な厄介者から、身の程をわきまえた下僕になり、あなたが7つの偉大な力を揮う(ふるう。発揮すること)邪魔をしなくなる。
だが、アダムとイヴの時代からエゴは放置され、過去の後悔や未来の不安を絶えず持ち出して、我々に今を意識させないようにした。
しかし、ひとたび、今を意識し、今を生きるようになれば、エゴは退き、あなたは万能の力の保護を受ける。

今回は、今を意識する呼吸編である。
呼吸を制御すれば、容易く今を意識出来、簡単にエゴを退かせ、すぐに引き寄せの力を発揮することも珍しくない。
だが、やはり、即効ではなく、エゴをよくしつけられた状態にし、引き寄せが出来ることが当然の状態になるべきである。

2つの方法を紹介するので、なるべく多く実践したら、効果は早く、大きくなる。
1つはこうである。
心で「ナ」と唱えながら、短く(1~3秒)息を吸い、「ダーム」と唱えながら、無理のない範囲で、なるべく細く長く(少しずつ)息を吐く。
これを繰り返すだけである。
息を吸った後、ほんの少し(1~3秒)、息の流れを止めると、さらに効果が上がる場合が多い。
これを、「今やっている」と思いながらやれば、自然に、今を意識するようになる。

もう1つは、「数息観(すうそくかん)」と呼ばれる仏教の易しい修行だ。
やや大きく息を吸った後、「ひとーつ」と心で唱えながら、無理のない範囲で、なるべく細く長く(少しずつ)息を吐く。
そして、またやや大きく息を吸い、「ふたーつ」と心で唱えながら、同じように吐く。
これを「とお(十)」までの10回繰り返し、10回が終わったら、次はまた1に戻って「ひとーつ」から繰り返す。
数息観の優れているところは、数を数えることで、呼吸に集中出来ることだが、それでも、邪念が起こり、うっかり数を20とか30まで数えることがよくある。
そこで、やはり、「今、これ(数息観)をやっている」と思いながらやれば、さらに呼吸に集中し、自然に、そして、しっかり今を意識する。

いずれでも好きな方をやれば(両方でも良い)、容易く意識を今に留めることが出来るようになる。
思い出す度にやり、1日トータル30分でもやれば、1~2カ月後には、かなりの引き寄せの力がつくだろう。わずか数日で大きな引き寄せを行った例も少なくはないが、欲張らないことである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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