面白い白日夢を見た。
似たようなものを見たことがあったり、よく分る感じがある人は、かなりの霊感力があると思う。
家に居たのだが、眠りに落ちた瞬間、外に飛び出した。
よって、これは、白日夢であると言うより、幽体離脱かもしれない。
家の外の風景は、現実と似ているが、かなり違いがあることも認識出来た。
ということは、やはり、私が作り上げた世界なのだろうか?
とりあえず、西の方に、いつもの道が開いているので、そっちに行ってみることにした。
意図しただけで、身体(幽体?)が高速移動する。
それで、あっという間に遠いところに来てしまったが、そこに、高く広い範囲に渡って建つ、黒っぽい板の壁があった。
トランプ大統領が、メキシコ国境に建設した「メキシコ国境の壁」を思わせたが、広く空いている部分がある。それはまるで羅生門(羅城門)のようだった。
別に、恐ろしい雰囲気はなく、門の外は広いさら地がずっと続いていて、青い空と明るい陽射しの中、とても懐かしい感じがする。
向こうの方(100mほどだろうか)に3人ほど、人影が見える。
私はその人達に親しみを感じ、手を振ろうとしたが、腕が上がらない。これは面白い。何が腕の動きを制約しているのだろう?
ふと、門の近くの壁を見ると、鏡がついている。さっそく自分を見た。
それほど大きな鏡ではなく、胸から上だけ写っていたが、なぜか眼鏡をかけている。仕事中か運転中以外はかけないのだが。
ふむ、相変わらず美しい男だが、どうも気難しい、苦しい表情だ。
この門はきっと、本当の羅生門で、死なない限り、向こうにはいけないし、向こうとの交流も難しいのだろう。それで、向こうに向かって手も振れないのだ。
戻った方が良いような気がして、来た道を戻って行った。
随分、見慣れない、西部開拓時代のアメリカのような風景だ。
人も多い。なるほど、馬も馬車もいる。
私は、その間を走って通り抜けた。今度は、ちゃんと走っているという感覚があったが(さっきは低空を飛んでいるようだった)、やはり、滑るように速く走れる。
そろそろ私の家かと思うと、それらしいものがあったが、なぜかそれではないと思い、走り過ぎた。
すると、また、自分の家らしいものがある。本当の私の家とは似ても似つかないが、なぜか、自分の家のようだと思うのだ。
そんなことを何度か繰り返したが、次に見えた家を、自分の家だと決めた。そうだ、決めれば良かっただけだ。
すると、「なんだ、やっぱり自分の家だ」と思う。
どう見ても、初めて見る家なのにね(笑)。
家の外から、階段で2階に上がれる(本当の私の家は、そんな洒落た家ではない)。
そうだ、私の家はこうなっている・・・初めて見る家なんだろうが、どうやら捏造(作り物の偽物)の記憶があって、ずっとそこに住んでいるように思っているのだ。
そして、2階に私の部屋がある。
いつも、そこで過ごし、いろんなことがあった部屋だ・・・と思い込んでいるが、もちろん、それも偽の記憶だ。
私はドアを開けて中に入った。
その瞬間、目が覚めた。
話は簡単で、あの羅生門が、生と死を分ける門だ。あやうく死にかけたが、生かす方の力が強く働いたようだ。
そして、最後に飛び込んだ部屋が、私の個人的意識だ。
普段の私は、その狭い意識の中に囚われているのだが、もう出方が分かった。
ただ、遠くに行き過ぎると、あの羅生門がある。
それを越えて向こうに行けるのかどうかは分からないが、少なくとも見ることは出来る。
個人的意識から出るには、単に、思考を止めれば良い。
その簡単な方法が今に意識を向けることで、それにはただ、「今、今、今、・・・」と心で唱えるだけで良い。
慣れると、すぐに思考を消せるようになる。
個人的意識から出たら自由自在だ。
このことが、法華経の中にも、よく書かれていることに気付く。つまり、ごく短時間の間に、いろんな仏の世界に行き、仏達に挨拶出来るのだ。
すると、あの羅生門の外にも行けるのだろう。まだ、簡単には出られないようだが、そのうち、何とかなるだろう。
そんなわけで、思考を止めることがいかに大事かが分かる。
ところで・・・
小学校の頃だと思うが、皆さんも、クラスの1人くらいは、人間ではない子がいたはずなのだ。
私にも、そんな子がいた。
最初の子は、小学1年生の時の女の子で、彼女のことは何度か書いたことがある。
次が、5年生の時の、やはり女の子で、大変な美少女だった。1年の時の子も可愛かったと思うが、私はあまり憶えていない。ただ、上級生が彼女のことを大変に可愛いと言っていたので、やはり可愛かったのだろう。
で、5年生の時の方の子には、「君、人間じゃないだろ?」と尋ねてみたが、彼女は黙って横を向いて何も言わなかった。
まあ、「沈黙を持って」である。つまり、その通りだというわけだ。
『Another』に出て来る見崎鳴(中学3年生)にそっくりだった。多分、同一人物だろう(笑).。
憶えがなくても、そんな子がいたと決めつけ、イメージの中で何か尋ねてみると良い。おそらく、良いことを教えてくれるから。
似たようなものを見たことがあったり、よく分る感じがある人は、かなりの霊感力があると思う。
家に居たのだが、眠りに落ちた瞬間、外に飛び出した。
よって、これは、白日夢であると言うより、幽体離脱かもしれない。
家の外の風景は、現実と似ているが、かなり違いがあることも認識出来た。
ということは、やはり、私が作り上げた世界なのだろうか?
とりあえず、西の方に、いつもの道が開いているので、そっちに行ってみることにした。
意図しただけで、身体(幽体?)が高速移動する。
それで、あっという間に遠いところに来てしまったが、そこに、高く広い範囲に渡って建つ、黒っぽい板の壁があった。
トランプ大統領が、メキシコ国境に建設した「メキシコ国境の壁」を思わせたが、広く空いている部分がある。それはまるで羅生門(羅城門)のようだった。
別に、恐ろしい雰囲気はなく、門の外は広いさら地がずっと続いていて、青い空と明るい陽射しの中、とても懐かしい感じがする。
向こうの方(100mほどだろうか)に3人ほど、人影が見える。
私はその人達に親しみを感じ、手を振ろうとしたが、腕が上がらない。これは面白い。何が腕の動きを制約しているのだろう?
ふと、門の近くの壁を見ると、鏡がついている。さっそく自分を見た。
それほど大きな鏡ではなく、胸から上だけ写っていたが、なぜか眼鏡をかけている。仕事中か運転中以外はかけないのだが。
ふむ、相変わらず美しい男だが、どうも気難しい、苦しい表情だ。
この門はきっと、本当の羅生門で、死なない限り、向こうにはいけないし、向こうとの交流も難しいのだろう。それで、向こうに向かって手も振れないのだ。
戻った方が良いような気がして、来た道を戻って行った。
随分、見慣れない、西部開拓時代のアメリカのような風景だ。
人も多い。なるほど、馬も馬車もいる。
私は、その間を走って通り抜けた。今度は、ちゃんと走っているという感覚があったが(さっきは低空を飛んでいるようだった)、やはり、滑るように速く走れる。
そろそろ私の家かと思うと、それらしいものがあったが、なぜかそれではないと思い、走り過ぎた。
すると、また、自分の家らしいものがある。本当の私の家とは似ても似つかないが、なぜか、自分の家のようだと思うのだ。
そんなことを何度か繰り返したが、次に見えた家を、自分の家だと決めた。そうだ、決めれば良かっただけだ。
すると、「なんだ、やっぱり自分の家だ」と思う。
どう見ても、初めて見る家なのにね(笑)。
家の外から、階段で2階に上がれる(本当の私の家は、そんな洒落た家ではない)。
そうだ、私の家はこうなっている・・・初めて見る家なんだろうが、どうやら捏造(作り物の偽物)の記憶があって、ずっとそこに住んでいるように思っているのだ。
そして、2階に私の部屋がある。
いつも、そこで過ごし、いろんなことがあった部屋だ・・・と思い込んでいるが、もちろん、それも偽の記憶だ。
私はドアを開けて中に入った。
その瞬間、目が覚めた。
話は簡単で、あの羅生門が、生と死を分ける門だ。あやうく死にかけたが、生かす方の力が強く働いたようだ。
そして、最後に飛び込んだ部屋が、私の個人的意識だ。
普段の私は、その狭い意識の中に囚われているのだが、もう出方が分かった。
ただ、遠くに行き過ぎると、あの羅生門がある。
それを越えて向こうに行けるのかどうかは分からないが、少なくとも見ることは出来る。
個人的意識から出るには、単に、思考を止めれば良い。
その簡単な方法が今に意識を向けることで、それにはただ、「今、今、今、・・・」と心で唱えるだけで良い。
慣れると、すぐに思考を消せるようになる。
個人的意識から出たら自由自在だ。
このことが、法華経の中にも、よく書かれていることに気付く。つまり、ごく短時間の間に、いろんな仏の世界に行き、仏達に挨拶出来るのだ。
すると、あの羅生門の外にも行けるのだろう。まだ、簡単には出られないようだが、そのうち、何とかなるだろう。
そんなわけで、思考を止めることがいかに大事かが分かる。
ところで・・・
小学校の頃だと思うが、皆さんも、クラスの1人くらいは、人間ではない子がいたはずなのだ。
私にも、そんな子がいた。
最初の子は、小学1年生の時の女の子で、彼女のことは何度か書いたことがある。
次が、5年生の時の、やはり女の子で、大変な美少女だった。1年の時の子も可愛かったと思うが、私はあまり憶えていない。ただ、上級生が彼女のことを大変に可愛いと言っていたので、やはり可愛かったのだろう。
で、5年生の時の方の子には、「君、人間じゃないだろ?」と尋ねてみたが、彼女は黙って横を向いて何も言わなかった。
まあ、「沈黙を持って」である。つまり、その通りだというわけだ。
『Another』に出て来る見崎鳴(中学3年生)にそっくりだった。多分、同一人物だろう(笑).。
憶えがなくても、そんな子がいたと決めつけ、イメージの中で何か尋ねてみると良い。おそらく、良いことを教えてくれるから。