ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年09月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

倣うならノッてるやつ

身近に、絶好調な人がいれば、その様子を感じると良いだろう。
身近な人でなくても、伝記や評伝みたいなものでも良いが、そういった本は、どちらかというと苦労話が多く、絶好調の時の明るい様子が描かれているものは少ないように思う。
伝記で、明るい雰囲気が味わえるものと言えば、アンデルセンの自伝がある。
ある時期までは、アンデルセンの人生は辛く苦しいものだったが、作家として有名になり、若くしてデンマーク国王から生涯に渡って年金を与えられることを承認されてからは、幸福な様子が感じられるのである。
確かに、大した額の年金ではなかったのだが、アンデルセンは働く必要がなくなり、ヨーロッパ中を船や鉄道で好きなように旅行し、見たいものを見、会いたい人に会いながら、自由に創作活動を行った。
これこそ、作家冥利に尽きると言える。

起業して成功した人の多くは、富や地位や影響力が大きくなるにつれ、いろんなものに縛られ、あまり幸福に見えなくなる。表向きには明るく幸せそうでも、実態は普通の人よりずっと惨めであるかもしれないのだ。
成功者については、成功し始めの、仕事を楽しんでいる時の様子を見たいものだが、そういったものはなかなか見られないのだ。

私の知り合いに、学生の時に起業し、成功し、事業を拡大していった人がいる。
もちろん、最初は苦労もあったろうし、24時間働いているような状況だったが、それも楽しかったようだ。
私は、その人が絶好調の時から知っているが、その頃は、本当に、明るい素晴らしいエネルギーを放っていた。
お金はいくらでもあり、また、いくらでも稼げる自信があるので、不安がなく、良い意味で非常に強気だった。
その頃、彼は何かにつけて、「金があるからな」と言っていた。
確かに、そう言われると、「なんじゃ、こいつ」とは思うのだが、見栄でも何でもなく、自信を持って言うのだから、悪い印象はないし、それどころか、非常に頼もしく感じるのである。
何があろうが、「金があるからな」で、ビクともしない感じだ。
社長である彼だけではない。
副社長以下、幹部達も、すっかり安心しており、皆、強気で仕事をしていて、確かに生意気に感じる面もあったが、弱気より強気が良いということをつくづく感じたものだ。
そして、幹部の増長に関しては、社長がうまく押さえていた。
社長の言うことは何でも実現するので、幹部達も社長には素直だったのだ。

だが、そうやって儲けていると、いろんな連中が近付いて来る。
まずは上場・・・いわゆる株式公開をする際には、証券会社が入るが、この、金にしか興味がない、そして、明日の百億円より今日の1憶円という考え方の連中と付き合うのは、そう楽しいことではない。
また、いろんな人が、いろんな投資話、儲け話を持ってくるが、銀行や証券会社、あるいは、付き合いの出来た大企業の偉い人が持ってくる話には、ある程度乗らないといけない。
そうしているうちに、大切なお客さんにサービスをすることの他に仕事が沢山出来てしまい、どうしても、サービスに落ち度も出てくる。
上場が悪いわけではないが(当然、良い面が多い)、経験豊かな知り合いがいないと、ついつい利用されてしまうことにもなる。

それで、私は、その社長の良い時のことを思い出すことにしている。
「金があるからな」
「金を作るのなんか簡単だ」
良い時代の、そんな口ぐせを、アファーメーションにしても良い。
ただし、アファーメーションは、あくまで、唱えていて楽しいと感じるものがよく、自分用に改造しても良いのである。
作家で人気YouTuberで大学教授である岡田斗司夫さんは、昔の全盛期に、『ま、金ならあるし』という本を書いていて、全8巻だが、今はKindle版が1冊100円程度で買える。そして、まあ、2~3巻まで読めば良い。今、確認したら、私も3巻までしか買っていない。多分、3巻で面白くなくなったのだが(笑)、1、2巻は非常に面白かった記憶がある。
その中で、度々、「ま、金ならあるし」とタイミング良く書かれているが、それがなかなか良いのである。
その雰囲気を掴み、「ま、金ならあるし」をアファーメーションにしても良いだろう。
実際、「お金がある」とか「なぜだか分からないが、お金がどんどん入ってくる」をアファーメーションにして唱えていたら、特に何もしなくても金持ちになったという人がいるようだ。
こういう、気楽なやり方が向いている人も多いと思う。








夢で知る精神の進歩

一度読んだ直後に人にあげたので、今、手元にないが、横尾忠則さんの『私と直観と宇宙人』という本に、横尾さんが、高い山壁に掴まっている夢(眠っている時の夢)を見ている話があった。
そんな時、横尾さんは、怖くてしがみついているのだが、似た雰囲気の夢を見たことがある人は多いのではないかと思う。
高所恐怖症というものがあるが、そもそも、人間で高所恐怖症でないなら、そいつの頭がおかしいのではないかと思う。
私が子供の時、4階建てアパートの屋上の壁で危ないことを、ニコニコしながら平気でやる子供がいたが、あいつは頭がおかしかったのだと私は思っている。
私の場合は、かなり強い高所恐怖症と思う。自分が高い所にいて、地上を見下ろしていることを想像しただけで、強い恐怖に襲われるからだ。
だから、横尾さんの夢の怖さも、よく分るのである。
ただ、夢の中では、高所恐怖症は、現実よりは、かなりマシなのではないかと思う。
現実で同じ状況になったら、とてもでは耐えられないと思える状態でも、怖いながらも、ガタガタ震えるとか、喚くとかをするわけではないからだ。
おそらく、横尾さんが夢の中で高い場所にしがみついている恐怖も同じようなもので、現実よりはマシな怖さと思う。
だから、横尾さんは、そこで手を放すことが出来ないのは、心に執着があるからだと書かれていたように思う。

ミヒャエル・エンデが、アインシュタインのことを、崖で木の枝にぶら下がっている人に喩えたことがあったと思う。
アインシュタインが「助けてくれー」と叫ぶと、天から神様の声がした。
神様は、「手を放したら助けてやる」と言う。
しかし、アインシュタインは、手を放すことが出来ない。
エンデには、アインシュタインが、そんな者に見えていたのだろう。

ところが、江戸末期の神道家、黒住宗忠が好きだったという、こんなお話がある。
仙人になりたがっていた若い男が、悪い男に、仙人になる方法を教えてやると言われる。
悪い男は、若い男に、高い木に登らせて、枝にぶら下がるように言う。
若い男がその通りにすると、悪い男は、手を放すように言い、それで仙人になれると言う。
もちろん、これは嘘で、悪い男は、若い男を殺すつもりだった。
しかし、若い男は躊躇なく手を放すと、仙人になって飛んでいった。

もう1つだけ、私が子供の時に見た、古いモノクロ映画で、印象深く覚えているシーンがある。
西洋の映画だ。
アパートの高い階のベランダで、幼い男の子が、母親の手にぶら下がっていた。母親が手を放せば、男の子は地上に落下する。
母親は、息子を引っ張り上げることが出来ないが、手が疲れて苦しくなってきていた。
その息子は、自分が地上に落ちることを想像した。
すると、この子の想像の中では、天使がやってきて自分を支え、気持ち良く地上に着地した。
その通りになると信じた息子は、母親に、「ママ、手を放してもいいよ」と明るく言うが、母親は手の疲れに苦しみながらも、そんなことは出来ない。
幸い、映画の主人公っぽい、立派な男性がそれを見つけ、平然とベランダの外に出て、男の子を助けた。

さて、私は今朝、こんな夢を見た。
私は、高い階のマンションのベランダに、別の男と2人でいた(多分、私のマンションではない)。
我々は、スーパーマンになる薬を持っていた(笑)。
まあ、なぜだか分からないが、それを持っていたし、それがスーパーマンになる薬だと知っていた。
すると、部屋の中から、本物のスーパーマンが向かってくるのを感じた、
なぜか、スーパーマンが追いかけてきていることを知っていたのだ。
そして、捕まるとヤバいことも分かっていた。なぜかは知らないがね。
記憶や知識なんて、本当にいい加減なものだと思う(笑)。
もう1人の男は、さっさと薬を飲むと、スーパーマン化して飛んで行った。先に逃げたわけだ。
仕方がないので、私も薬を飲んだ(笑)。
で、もうスーパーマンになったはずだから飛べるはずだが、そのためには、この高いベランダの外に飛び出す必要がある。
ところが、ちょっとは怖かったが、それほどの決意を必要とせず、私はベランダから、飛び出した。
飛べた(笑)。
そしたら、本物のスーパーマンが飛んで追って来る。
どうも、彼とは敵対しているようである。
あっちの方が強いというのではないと思うが、戦うのはシンドそうなので(笑)、とりあえず逃げることにした。
しかし、お互いスーパーマンなので飛行速度は高速であり、すごい曲芸飛行みたいになった。まるで映画だ(笑)。

とにかく私は、夢の中で、それほど躊躇せず、高いところから飛び出し、高速で空も飛べた。
これは、精神が進歩した証と思う。
最近、日常で、かなり辛いことが多いが、それが役に立っているのだろう。
ますます、今この瞬間に生きる中今メソッド(スピリチュアル界隈では、今今メソッドと言う)に励み、思考を消し、パラレルワールドを駆ける男になろうと思う。
良かったら、皆さんもご一緒に・・・








引き寄せの訓練用物語

禅の公案集『無門関』の35則に、『倩女離魂(せんじょりこん)』という面白いお話がある。
簡単に言えば、こんなお話だ。

昔の中国が舞台だ。
倩女(せんじょ)という名の、美少女がいた。
王宙(おうちゅう)という青年が、倩女を嫁にもらおうと、倩女の両親に頼むが、断られた。
落胆した王宙は、その地を離れることを決意し旅立つが、倩女が追ってきて「連れいって」と言い、駆け落ちとなった。
幸い、行き着いた地で王宙は成功し、金持ちになったので、改めて、倩女の両親に会うこととし、倩女を連れて故郷に戻った。
王宙は、今度は自信を持って、倩女の父親に「娘さんを下さい」と言ったが、倩女の父親は怪訝な顔をする。
倩女の父親が王宙に言うには、倩女は、お前が出て行ってから、ずっと病気で寝込んでいるという。
その時、家に倩女が入ってきた。
すると、寝込んでいた方の倩女が起き上がり、倩女を迎えた。
2人はにっこり微笑み合うと、1人になった。

さあ、このお話の意味は何であろう?
これについて、昔から、偉い先生方や、ちっとも偉くない方々が、様々な解釈を、ある者は自信たっぷりに、ある者は控え目に示して見せた。
天才発明家で能力開発指導者の中山正和氏は、素粒子論でもって語ってみせた。
さあ、あなたには、このお話の意味が分かるであろうか?

別に、不思議でも何でもない。
単に、最後に2人の倩女が1人になったというだけのことだ。
このくらい、「なるほど、もっとも」と思わないようでは、引き寄せマスターにはなれない。
そうでないと、あなたの壮大な、あるいは、都合の良い願望が叶うと、本気で信じられないのだ。
だから、こんな物語ですと言われたら、「ああそうですか。良かったですね」としなければならない。

だがまあ、頭が固くて、なかなか納得出来ないようであれば、不本意ながら、1つの種明かしをする。
これで納得しても、だいたいOKだ。引き寄せは出来る。
まず、王宙は旅立つ時、倩女を連れて行って、着いた地で成功することを想像した。
すると、そのようなパラレルワールド(並列宇宙)が誕生した。
そして、王宙は、その世界で生きることに幸福感を感じて同調したので、その世界に移転した。
一方、倩女の方は、王宙を愛してはいたが、駆け落ちするほどの勇気がなく、心を病んで病気になった。
そこで、王宙が生み出した世界と、倩女がいる世界で、別の倩女が存在することとなった。
だが、病気で寝込んでいた倩女は、自分が王宙と共に行ったと想像し、そんな世界に思いを飛ばし、幸せを感じたので、その世界に移転し、2人の倩女は1人になったのである。

このように、パラレルワールドにはどんな世界も存在し、想像出来れば、新しい世界を作ることも出来る。
よって、あなたは自分で好ましい世界を作り、その世界にいることを「幸せだ」「嬉しい」と思うことで同調すれば、もうその世界に移転している。
ただ、固定観念のために、すでにその世界にいることが分からなければ、古い世界を作り続けるのである。

「キャシャーンよ、お前にも永遠の命を与えてやろう」
「ブライキングボス!お前が作った世界など、俺は欲しくはない。俺は俺自身の手で、新しい世界を作ってみせる」
~OVA『キャシャーン』(1993)第4話『復活のキャシャーン』より~








引き寄せの法則は現代では科学ではない

科学文明が進むと、データの重要性が理解されてくる。
言うまでもなく「正しい」データが必要なわけである。
それで、何かの主張がなされると、「その主張が正しいことを証明するデータは何ですか?」と尋ね、主張者は、そのデータを提示しなければならない。
この「正しいことを示すデータ」を、エビデンス(根拠)、ソース(出典)と呼ぶことがあり、この科学時代では、「エビデンスはありますか?」「ソースは何ですか?」という言い方がまっとうなのである。
だが、これまでは、力を持つ者が、「これが正しい」と言えば、それが正しいことになることが多かった。
それが、必ずしも悪いとは限らないが、当然ながら、万事がそれでは困るわけである。
例えば、「黒人は白人に劣る」という主張が長年正しいとされてきたが、これが、力がある者である白人の主張が、ソースやエビデンスとなるデータなしに正しいとされた悪い例である。

科学や哲学は、真理を探究するのだから、正しいデータであるソースやエビデンスを探すことが重要であることは共通し、そのため昔は、科学と哲学は一緒にされていた。
ところが、科学では、ソース、エビデンスが絶対的に必要なのに対し、哲学は、ソース、エビデンスがあるとは思えないような真理を探すという違いがはっきりしてきて、今日では、科学と哲学は違うものと考えるのが当たり前だ。
科学では「愛とは何か」が分からないのは、「愛とはこれである」ということを示すソースやエビデンスなど示せるはずがないからだ。
しかし、哲学では、ソースやエビデンスがいらないわけではないが、ソースらしきもの、エビデンスらしきものでも、示し方が上手ければ認められてしまう。
だから哲学がいい加減で、科学が優れているかというと・・・まあ、そうとも言える。しかし、科学だけでは、分からないことが多過ぎ、人間は、一応の真理を必要とすることもあるので、哲学にも価値があるのである。

こういうことを分かった上で、科学や哲学をやらないといけない。
ただ、科学が進歩すれば、今は哲学の領域の問題とされるものも解いてしまうかもしれないが、そのためには、現在は示すことが出来ないソースやエビデンスが必要になる。

で、それが哲学なのか、未来科学なのか分からないが、究極の真理というものがあり、それを神と言うことがあるが、それ(あるいはその一部)が、人間の脳の中や潜在意識の中にあるという主張がある。
もちろん、それが正しいことを示すソースやエビデンスがあるわけではない。
だが、引き寄せの法則というものは、そんな主張の上に成り立つものである。
だから、同じ引き寄せの法則と言っても、それぞれの流派で、大小の違いがあり、流派どうしで否定し合うようなこともあるのである。
で、どれが正しいのかというと、誰でも確実に引き寄せが出来る方法を持つ流派が正しいのであるが、それはないように思える。
なぜ、引き寄せのやり方に違いがあるのかというと、引き寄せは、人それぞれで有効な方法が異なるというのが、もっともらしい説明である。
しかし、それは言い訳である。
本当は、正しい方法というものがあるが、それは、現代科学を超え、哲学の領域にあるので、今の人類には分からないのである。
それは残念・・・と思うしかないかというと、そうではない。
分からないと分かることに救いがある。
分かると思うから、間違ったことをやるのである。
ただ、潜在意識の中に絶対の真理があるという仮定だけは認めなければならない。
これには、ソース、エビデンスはない。
だから、信じないという人がいるのである。
つまり、「引き寄せの法則には、ソース、エビデンスはない。だから、これを信じるのは科学的でない馬鹿である」という言い分が通用する。
まあ、そもそも、潜在意識とは何かということすら、曖昧な定義しかない。
そこで、引き寄せの法則においては、心の深奥とか深い心のことを、仮に、心理学や精神医学の用語である潜在意識という言葉を使うのであり、人によっては無意識であるとか、純粋意識、超越意識と言う者もいるが、引き寄せの法則においては同じものである。つまり、かなり大雑把なのだ。

万能の潜在意識を働かせるためには、エゴ(自我、顕在意識、思考する心)が邪魔をしないことだけが必要である。
その良い方法を知っている者が引き寄せを行えるのである。
つまり、2つの仮説を正しいとしなければ、引き寄せはないことになる。
1つは、潜在意識は万能であること。
もう1つは、潜在意識の邪魔をするものはエゴであること。
現代は、これらのソース、エビデンスが乏しいので、引き寄せの法則自体を否定した方が、社会では無難である。
だが、アリストテレスが一応のエビデンスを示すまで、なぜ、太陽が昇って沈むのかは分からなかったが、それでも、太陽は昇り沈んだ。
ご存じのように、アリストテレスが示したものは天動説であり、間違いはあったが、正しい部分もあったのである。
引き寄せの法則に関しては、アリストテレスレベルの真理まで、もう少しといったところであるが、引き寄せは行われている。








悪霊を祓う方法

実は、この3週間ほど、酷い目に遭っていた(笑)。
千葉県の幕張メッセで行われた、初音ミクさんのライブ&企画展「マジカルミライ」に行ってきてからだ。
身体や精神にアタックを受け、ひどく消耗し、疲れていた。
最近、やっと原因が分かった。
悪霊だ・・・なんて言ったら笑われるかもしれないが、あなたもやられる恐れがあるかもしれない。
生きた人間の恨みを買ったのだ。
恨みを買うと、悪霊が憑く。
恨みが根深く暗いほど、悪霊はおぞましく、その群れは大きくなる。
それで、今さら何だが、人の恨みは買わないことだ。改めて実感した(笑)。

たとえば、誰もが憧れるような美少女と親密になった時は、もう絶対に隠すに限る。本当に、どんな恨みを買うか分かったものではない。
まあ、私の今回のは、そんないいもんじゃないが(笑)。
とにかく、あらゆる悪いことが起こり、ふらふらと首を吊るロープを探しかねない状態だった(笑)。
だが、確かに、私が悪いのかもしれない。
どれほどレベルの低い人間が相手でも、対応には気をつけることだ。
それこそ、後ろから刺されたり、家族が狙われるかもしれない。
そして、その者は気付かなくても、高確率で悪霊を送り込んでくる。迷惑な話だ(笑)。

それで、ここまで来てしまったら、好ましくなくても、ある対応をするしかない。
皆さんも、急に悪いことばかりが起こるようになったら、そして、原因が思い当たらなければ、恨みを買ったかどうかはともかく、悪霊の仕業と思って良い。
そして、状況が悪ければ、アニメでよく見る、悪霊返しをやるしかない。
『犬夜叉』で桔梗やかごめがやったように、あるいは、『化物語』で、千石撫子に憑いた蛇の霊を、恨んだ相手に返したように。
ただ、撫子の蛇を祓った阿良々木暦は、蛇を追いかけようとしたのだ。でないと、蛇は恨んだ者にとり憑いてしまう。もうどうしようもなかったが。
ちなみに、桔梗、かごめ、撫子のどれでもやると言われたら、大変に悩むが、私なら桔梗を選ぶだろう(聞いちゃいねえw)。

で、悪霊の祓い方だ。
「生きている」と唱えることだ。
「俺は生きている」「私は生きている」
あるいは、「今、生きている」で効果が倍増する。
こう唱える人間に、悪霊は憑いていることは出来ないのだ。
そして、「生きている」と唱えると、若返り、美しくなり、運が良くなり、モテるようになる。
なぜなら、それほど極端でなくても、誰でも、大なり小なりは、悪霊にとり憑かれている可能性があるからだ。
また、この言葉は、生命を輝かせ、善霊を呼ぶ。
私も、この際だから、「今、生きている」を第一アファーメーションにしようと思う。
いやあ、大変だった(笑)。

尚、悪霊祓いを含め、心身のコンディションを上げるために「ソルフェジオ周波数」を使ったソルフェジオ音楽は有効と思う。
個人的に良いと思うものを、下の最後にご紹介する。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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