ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年05月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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通知表の性格欄に書かれたら成功すること

小学校から高校までの通知表(通信簿)には、成績とは別に、性格欄みたいな項目(以下、「性格欄」と書く)があり、その子の特筆すべき特徴が書かれているのだろうと思う。
「書かれているのだろうと思う」とは、まるで学校に行ったことがないような物言いであるが、そうではなく、私は、自分の通知表の性格欄に何が書かれていたか、全く覚えていないのだ。
そもそも、性格欄は、子供にではなく、親に伝えるものだと思っていたので、興味がなかったのかもしれない。しかし、子供も見ることが出来るのだから、普通は子供も興味を持つような気もするが、思い返すと、やはり、私は全く興味がなかったのだ。つまり、教師が自分をどう評価しているかなど、全くどうでも良かったのだ。
ところで、作家、評論家、大学教授…というより、今はYouTuberとして人気がある岡田斗司夫さんが、YouTubeで、自分は小学生の時、通知表の性格欄に「協調性がない」とずっと書かれていたと言っていた。本人が言うには、「協調性に欠ける」ならあり得るが、「協調性がない」とまで書かれることは、あり得ないのだそうだ。知らんけど(笑)。
まあ、子供の時の岡田斗司夫さんに協調性が全くなかったのは、彼の、特殊な健康状態や家庭環境の影響もあったらしい。
ただ、私が、それを聞いて思ったのは、私が、通知表の性格欄を覚えていない大きな理由は、書かれている意味が理解出来なかったからだという可能性がある。
私は、小学生の時は「協調性」なんて言葉は知らなかったと思うし、さすがに高校生になれば、「協調性」という言葉くらいは知っていたが、せいぜい、辞書的な意味がぼんやり分かる程度で、自分が協調性があるかどうか、全く関心がない…あるいは、理解出来なかったと思う。
そもそも、協調性というものが実際はどんなものかということは、本当のことを言えば、今でも分からないのだ。
これは、よほど協調性がないのだと思う。
つまり、引き寄せ自在な私が、世の中で大成功しない理由はそれである。協調性がなければ、成功することは難しい。
そもそも、初音ミクという存在は、クリエーション(創造性)とシンパシー(共感)から出来ているが、私は共感を感じないわけではないが、おそらく、普通の人の3パーセントも感じないと思う。
そんな私が、ミク廃(初音ミクの熱狂的ファン)である理由は謎である(笑)。
私も、通知表に「協調性に欠ける」「協調性がない」と書かれていた可能性が高いと思うが、そのような理由で、とにかく、全く覚えていない。
4や5がほぼない通知表を保管しているはずもないし(笑)。

ところで、私は、岡田斗司夫さんの他に、2人の有名人の通知表の性格欄の話を覚えている。
1人は、元総理大臣の野田佳彦(のだよしひこ)さんで、国会か何かで、自分の通知表の性格欄に、
「野田君は、褒めるところは何もないが、嘘をつかない」
と書かれていたという話を披露したらしい。
まあ、あまりにどうでもいい話なので、スルーする(笑)。
もう1人は、俳優で、私がこよなく敬愛する丹波哲郎さんだ。
彼も、教師は、良いことで何も書くことがないので仕方なく書いたのかもしれないと前置きしつつ、「丹波君はこだわりがない」と書かれていたらしい。
そして、丹波さんは、この「こだわりがない」ことこそ、自分が、戦争下で生き延び(しかも楽々と)、いつも良い想いをし(戦争下でも)、成功した理由だと断言している。
もちろん、料理人が料理にこだわるということは大事である。
しかし、自分が食べる料理にこだわるのは、あっても良いが限度がある。
そんなわけで、あなたもこだわりがなければ、成功するかどうかはともかく、良い想いが出来る。
では、こだわりのなさとは何だろう?
いろいろあるかもしれないが、まず「面子がない」ことであると思う。
ところで、こういったことに関し、非常に重要なことが書かれている本がある。
私の座右の書『猫の妙術』では、古猫が、若い猫達に、丁寧に易しく、優れた教えを授ける。
実力が凄いので、どんな優秀な猫も、その古猫の教えに真摯に耳を傾ける。
いや、猫だけではない。人間の武士すらそうだった。
だが、その古猫が、自分が全く及ばない老猫がいると言う。
もう、神のような猫だろう。
その、神人…いや神猫の特徴こそ、こだわりがないことだと思う。
ちなみに、『猫の妙術』が私の座右の書になったのは、最近のことだ(笑)。
良ければ、皆さんも読まれ、私と一緒に神になろう(笑)。








崇められるほどの特技を身に付けるには

高度な特技がないと人生は苦しい。
ところで、これから何か特技を身に付けたいと思う場合、すぐ思いつくような技能は、それが本当に好きな場合を除き、やめた方が良い。
すぐ思いつく技能・・・例えば、絵や音楽演奏や武術などだ。
なぜ、すぐ思いつくものはやめた方が良いのかというと、上手いやつが無限にいるからだ。
例えば、ツイッターで絵の上手い人をフォローしたり、上手い絵が添付されたツイートに「いいね」ボタンを押すと、ツイッターのシステムは、上手い絵のツイートをどんどん知らせてくるが、もう本当に、物凄く上手い人が、いくらでもいることが分かる。しかし、そんな上手い人達ですら、その絵の腕前で、高いお金を稼いでいる人は、ほとんどいないのだ。だから、自分に、よほどの才能がある確証でもない限り、やめた方が良い。

では、プログラマーはどうかと言うと、これは、私が言うのは難しいのだ。
と言うのは、私は、世の中には、優秀なプログラマーは本当に少ないと思っている。
それなら、今から始めても活躍出来るように思える。
しかし、私が、ロクでもないプログラマーと思っている人だって、上に述べたような絵描きにたとえると、恐ろしく上手い絵描きなのかもしれないのだ。
確かに、冷静に考えると、大したことがないと思うプログラマーだって、素人が、そのレベルに達するのは、なかなか難しい。
だから、やはり、ゼロから始めて、IT業界で活躍出来るようになるのは難しいかもしれない。
まあ、確かに、本当にロクでもないプログラマーもいるかもしれないが、そんな下手なプログラマーは、良い思いはしていないし、これからも出来ないだろう。

それで、もういい歳だが、稼げて、良い想いが出来るような特技を身に付けたければ、次のような特技を選ぶと良いと思う。
1つは、とても珍しい特技で、なおかつ、一定の需要があるものだ。だが、これは、むしろエリート的な特技だ。例えば、危険なスタントマンとか、パイロットとか、ワニの捕獲とかで、習得は難しいだろう。
もう1つは、もっと現実的だ。
それは、何かの分野の中の、特定のものに特化することだ。
例えば、あくまで、もののたとえであるが、絵の中でも、虫の絵、さらには、ゴキブリの絵に特化するといった感じだ。
「ゴキブリを描かせたら天下一」というほどであれば、必ず成功する。
野球でも、メジャーリーグにだって、打つのも走るのもさっぱりだが、守備だけは超人的に上手くて、高年俸で雇われている野手や、ナックルボールしか投げないが、勝てるので、やはり稼いでいるピッチャーもいる。
プログラマーにだって、JavaScriptしか出来ないが、それで本当に恐ろしいと思うほど凄いシステムを作れる者や、Excel VBAなら達人で、それだけで稼いでいる人もいる。
ただし、自分で達人と思っているだけでは駄目で、本当に達人でないといけない。
だが、特化型で超優秀なプログラマーは、良い想いをしている者が多い。

ジゴロ(女性の援助で生きている男)なんてのも、本当に口説きの達人なら、かなり優雅な者もいる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女』にも、他に何も出来ないが、女を口説くことだけは失敗したことがないロクデナシ男が登場し、26人の男が女神と崇める16歳の美少女を楽々落として見せた。
そして、本物のジゴロは、どんな女でもござれと言うのではなく、特定のタイプしか駄目な場合がほとんどで、これも、特化型なのである。
今は難しいかもしれないが、1つだけの楽器で、いくつかの曲だけ弾けるという者が、それがべらぼうに上手く、音楽の高等教育を受けた者より、はるかに稼げたこともあった。
格闘家の堀部正史さんの本で読んだが、ヤクザの世界でも、芸術的な脚折りのスライディングキックだけで、名を馳せていた者もいたらしい。

1万時間の法則と言って、1万時間をかければ、プロになれるという話がある。
それなら、特化したことで1万時間をかければ、達人になれる可能性が高い。
私は、誰にも負けない見事なゴキブリの絵が描ける者を、世の中がと言うより、神が見捨てないと思う。
1万時間は、1日4時間で7年弱、2時間では14年弱だ。
実際は、それほどの時間はかからない場合が多いかもしれないが、そのくらいを覚悟しておくと良いと思う。








荘子のありがたさ

仏教の目的は「大安心」だと思う。
他の目標があったって、大安心がなければ何の意味もないからだ。
神道にしろ、キリスト教にしろ、同じであるはずなのだが、小難しいことを言う者が多く、そう思えない気もする。まあ、仏教にだって、そんなところはあるが。
宗教のようで宗教ではないもの・・・というなら、神道もそうなのだが、道教(主には老子と荘子の教え)も、やはり、目的は「大安心」であると思う。

人間というのは、「大安心」が欲しいのだ。
しかし、「いや、若い俺達が求めるにはパッション(情熱)だ」と言う者は多く、ビートルズの「人生は辛いが、激しく生きるべきだ」という歌が若者を熱狂させた。
だが、隠してはいたが、ビートルズの人達も疲れていった。
「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドの詩人W.B.イェイツは、死の直前でも安らぎを求めず、不良老人・・・つまり、激しくあることを望んだが、さあ、それが幸せだったろうか?
実を言うと、イェイツは、ある時期は円熟に向かっていたが、老いる恐ろしさに反発して、不良老人になったようにも思える。まあ、本人からすれば、そうは言って欲しくないだろうが(笑)。
イェイツは、「老人は皆、本当は、もう一度若くなって、あの娘を抱きたいと思っているのだ」と言うが、まあ、それはそうだろうが(笑)、それに飲まれると苦しいのだと思う。

そこで、やはり、仏教と道教の目的は大安心だとする。
大安心とは、老熟ではあっても、老衰ではない。
そして、何と、そのエネルギーは、若者が願うパッションの比ではない。
それで、どうやれば大安心を得られるのかと言うと、仏教では宗派により異なり、念仏を唱えろとか、坐禅をしろとかあるが、真言密教では、身口意の三密、即ち、手は印を結び、口は真言を唱え、意(心)は仏をイメージしなさいと言う。まあ、真言密教は専門家向きだから難しいせいもあり、一般の人の修行は、専門家ごとに言うことが違い、それが一番困る。だから、流行らないのだと思う。
また、ひたすら坐禅をしろというのも、結果的には難しかった。
とはいえ、ひたすら念仏を唱えろというのは、テレビもネットもない時代では、それで大安心に達した人達もいたが、それでも、ごくわずかだったのである。

私は、『荘子』の教えが最後の希望と思うことがある。
理由は、単純に「分かり易い」からで、また、荘子は相当に頭が良いらしく、2400年も前の人なのに、思考パターンが現代でも全然古くない。
ただし、荘子の時代は、社会が不穏で、圧制の時代でもあったから、「俺の言う通りすれば、引き寄せが出来るよ」みたいなことは言わなかった。当時の庶民が希望を持つことは難しかったからだ。
とはいえ、明らかに、荘子は、「人間は引き寄せが出来る」と知っていたのだろう。それは、書いてあることから想像出来る。
よって、荘子の教えを生かせば、引き寄せは楽々である。
ところが、荘子の教えとは、「差別するな」だけである。
本当は、差別どころか、区別すら駄目なのだが、それは上級編である。
差別とは、「優と劣」「好きと嫌い」「是と非」「大と小」「美と醜」であるが・・・それなら、我々は、差別しまくりで、「差別するのが私」と言うようなものだ(笑)。
だって、「あれは素晴らしくて、あれは駄目」「あれは好きで、あれは嫌い」「あれは大きいが、あれは小さい」「ミクは可愛いが、あんたはブス」とか言ってばかりだ(笑)。
つまりね、これで、我々が大安心と真逆に突っ走っていることが明白なのである。
だからね、せめて、「優れている」「好き」「正しい」「美しい」を、考えなくて済むなら考えないようにすれば、大安心に近付き、引き寄せもバリバリになり、若くもなるのである。
分かるようになるために、『荘子』『猫の妙術』をお勧めする。
『猫の妙術』は、『荘子』のエッセンスをニャンコに語らせたものだ(笑)。
尚、『荘子』は、小難しい解説書を読むと、大安心から遠ざかるのでご注意を。








天国の感覚

至高体験、超越意識体験、純粋意識体験、ゾーン、フロー・・・何と呼んでも構わないが、誰しも、普段の意識の状態とは違う、恍惚とした、神秘的な、ある意味異様な、宙に浮いているような、星に親しく見られているような・・・誰でも、そんな感覚になったことがあるはずである。
その時、その人は、無に限りなく近づいている。
人間は、無になれば不可能はない・・・どんな願いも叶う。
その感覚を得るために、厳しい修行をしたり、長時間の瞑想に励む者もいると思う。
しかし、過去に、我々がその感覚を得た時、修行や瞑想なんかしていなかった。

世界的心理学者アブラハム・マズローも、その感覚は、稀にしか訪れない、特殊なものだと思っていた。
だが、英国の作家コリン・ウィルソンは、そんなものは、しょっちゅう起こっているし、意図的に起こすことも出来ると言い、後に、マズローも同意した。
特に、学校が嫌いな子供なら、明日から夏休みという日には、そんな感覚が起こりっぱなしだ。
私は、小学4年生の時の、明日から夏休みという日の、学校からの帰り道、誰もいない道を歩いていて、空き地に茂る草を見た時に、その感覚が起こったことを、今でも鮮明に思い出す。
その感覚は、敢えて言葉で言えば、至福、静寂、光明、幽玄、純粋、透明、栄光・・・まあ、そんなところだろうか。
映画『小さな恋のメロディ(原題:Melody)』の原作小説(映画の脚本を書いたアラン・パーカーの作品)の中で、主人公の11歳の少年ダニエルは、幸福な時の気分を「天国」と表現していた。
なるほど、確かに、あの無の感覚は天国とも言える。
きっと、アラン・パーカー自身がそうだったのだろう。
天才画家が描いた天国、あるいは、天使の絵には、無の感覚を呼び覚ますものが多い。
それは、人間が描いた絵ではなく、神のような何かが画家の手を通して描いたものだろう。
私の場合、ギュスターヴ・ドレや、マルク・シャガールの、天国や天使の絵を見ると、いつも、その感覚に近付く。

つまらないものを見ている時間を、至福の感覚を思い出したり、天国や天使の絵画を見ることに当て、純粋意識に馴染んでいけば、少しずつでも、世界の中心に近付く(それが無である)。
そこは、世界を形作る者の座である。








巨悪に嫌がらせをする方法

昔は、ひきこもりはいなかった。
戦争中であれば、ひきこもっていたら、殴ってでも連れ出された。
その後になっても、ひきこもることを許さず、無理にでも学校に行かせ、働かせた。
どんな事情があってもだ。
ひきこもらせておいたら、一生、大人になれないからだ。大人とは、自分の力で生きることが出来る者だ。
ひきこもりを容認し、子供のまま・・・世の中を渡っていく能力がない、弱いままでいるほど悲惨なことはないからだ。

ひきこもりの原因なんて、いじめに決まっている。
だが、昔は、いじめる側も限度を知っていた。
だから、ひきこもりを許さず、無理矢理にでも、学校に行かせる方が絶対に良かった。
ひきこもりたい者は辛いかもしれないが、殺されることまではないからだ。
しかし、今は、限度を知らずにいじめる者達が多い。
昔なら、「殺されたりまではしない」と思われたが、今は、殺されることもあり得る。
そして、取り返しのつかない傷を負わされることなら、普通にあり得る。内容は書かないが、どんなことかは分かると思う。

また、いじめとは見なされないが、自分より明らかに弱い者を殺すような事件も時々起こる。
そして、それに近いことなら、かなり頻繁に起きていると思われるのだ。
これらも、単独犯行が多いだけで、弱い者いじめといういじめである。

いじめる方に限度があれば、無理にでも学校に行かせたり、働かせることが、良い結果になることも多かった。
だが、今は、いじめる方が限度を知らないことが多い。
そして、実を言えば、いじめをする者達だけでなく、外国のことはともかく、日本人全体が限度を知らなくなっている。
この限度を知らないとは、自分の内側から起こる欲望とか負の衝動を抑えることが出来ないということで、そんな人間が増えているのである。

限度を知らない、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えらないということが、どんなことか分かるとは思うが、一応、書いてみよう。
「こいつ、気に食わない。やっつけてしまおう」という衝動が起こっても、正当な道理がなければ・・・いや、あっても、「争いはいけない」と思うことが人間の理性だ。
ただ、正義は自分にあると信じる場合で、しかも、非常に強い相手に戦いを挑むことは、正しくはないが、一部は褒められることもある。とはいえ、やはりこれも間違いなのだ。
しかし、今は、道理など全く関係なく、ただ自分が相手を気に食わないという理由だけで、そして、絶対に勝てる場合だけ・・・相手がずっと年少だったり、身体障害者だったり、明らかに体が弱かったり、1人の相手に徒党を組んで攻撃するような場合だけ攻撃する者が増えている。
平成に入る頃、よく指摘されたことがあった。
昔の不良は、不良同士で「眼(ガン)を付け合って」敵対した。
まあ、昭和も終わりの頃の不良は、本当にファイトせず、眼(ガン)をつけ合うだけなので情けないが、それでも、不良対不良だった。
カツアゲをする者もいたが、やるとしたら、同じ男子高校生相手で、出くわしただけの顔を知らない、そして、まがりなりにも健康そうな、同じくらいの人数、さらには、1人で2人以上の相手をカツアゲすることを誇らしく思っていた。まあ、これも馬鹿なのだが、ドロドロに腐ってはいなかった。
だが、今の不良は、絶対に勝てる相手、つまり、老人と身体障害者しか相手にしない・・・と。これが、平成初期の話である。
それでも、まだ、老人や身体障害者に対する限度を知っていたのである。
ところが、今は、限度を知らない者が多い。そして、いじめる者は、外面は不良に見えず、優等生であることも珍しくない。

さて、問題は、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えられなくなったことだ。
なぜ、そうなったのだろう?
一応、一説としておくが、そうなってしまったのは、日本の学校やマスコミを支配し、日本人がそうなるよう仕組んだ者がいたからだ。
つまり、学校やテレビが原因なのである。
なぜ、そんな策略で日本を潰したのかというと、それが人間の弱点を突いた、効率的で成功し易い策略だと分かっていたからだ。
学問的には哲学者と見なされないが、超優秀な哲学者であったアーサー・ケストラー(1905~1983)は、『ホロン革命』の中で、人間の脳の欠陥を指摘している。
人間の脳の構造上、人間は、動物的衝動を理性で抑えることが難しいのである。
なら、動物的衝動である欲望や、それに似た負の衝動を抑えることをさせないよう、学校教育やテレビによる教育をすれば、簡単に限度を知らない人間を作ることが出来る。
そんな策t略に、日本人は、まんまとやられてしまった。アメリカ人も同じなのだが、アメリカは広いので、日本より少し遅れている。しかし、近い状況にはなっている。

だが、今回は詳しく説明しないが、内側から起こる欲望や負の衝動を抑えれば、抑えた分の倍(実際は数倍)の力が得られるようにもなっている。
欲望に流される人間は、実は弱く、すぐに悲惨な最後を迎える。それが、日本の敵の、本当の狙いである。
だから、自制すること、慎むことが、敵に対する最高の嫌がらせなのである。
そして、自制し、慎むほど、引き寄せの力は確実に強くなるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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