ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年05月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

無理に告白するな

今のアニメやライトノベルを見ると、「好きなら勇気を持って告白しろ」みたいな雰囲気のものが多いが、それはどうかと思う。
そんなアニメなどは、視聴者に、「ひょっとしたら、あの子に告白したらうまくいくのでは?」という妄想の希望を与えようとしているだけだ。
うまくいくなら、その男女の間に引力が働いており、自然にうまくいくはずで、その流れの中で、「ついでに」告白みたいなことをする場合があるというだけだ。
だが、こんな話もある。
昔、ある大農場で働く若い小作人の男がいて、彼は、そこの農場主の美しいお嬢さんに憧れていた。
しかし、身分違いもはなはだしいので、諦めてしまい、アクションを起こすこともなく、やがて、その農場を離れた。
ところが、ずっと後で、そのお嬢さんも、実は、彼に気があったのだと分かり、彼は悔しい思いをした。
まあ、男の方も、よく考えれば、そうではないかと思える出来事はいろいろあったと気付くのだ。
この場合はどうだろう?
やはり、縁がなかったのである。
単に惹かれ合うだけなら、世の中にいくらでもあるが、実際に結ばれるのは、そのうちの一部だ。
その男が、もし、そのお嬢さんに見合うだけの男なら、何か起こったはずなのだ。
だが、実際には、その男に、何かを起こすだけの器量がなかったのである。

だから、告白しようなんてつまらないことは考えず、男や女を磨くべきなのである。
磨き方が良いと、もっと良い男や女を引き寄せ、以前憧れていた相手に対しては、「なんで、あんな男(女)が良いと思ったのだろう」と思うものである。

もうずっと前から、「今の時代、プログラミングが出来ないといけない」とかよく言われ、さらにその前から、「今の時代、英語が出来ないと駄目だ」などというのをよく聞いたと思う。
それは、英会話学校とか、パソコン屋とか、プログラミング教室が、人々をそそのかして儲けたり、英語やプログラミングをちょっと出来る者が優越感を満足させるために言ったことである。
まあ、私の場合も確かに、若い頃に勤めていた会社で、ある技術課長に「これからはプログラミングが出来ると良い」と言われたことで、プログラミングの勉強を始めたような気もするが、元々、私がプログラミングに興味があったから、実際に取り組んだのであり、そうでなければ、誰に何を言われても、やろうとしなかったはずだ。
いい歳になったサラリーマンが、「英語をやっておけば良かった」とか「経理の勉強をしておけば良かった」、あるいは、「株取引に取り組んでおけば良かった」などと言うことも多いが、そんな後悔はすべきでない。
本当に興味があれば、実際にやっていたはずで、そうでないなら、間違ってやっていても、無駄であったか、良い思いはしなかっただろう。

大切なことは、昔であれば、テレビや新聞、今で言えば、ネットのインフルエンサーの言うことなど聞かない・・・つまり、騙さないことだ。
外側だけピカピカだったり、上っ面が格好良く思えるだけの論破王みたいな者の言うことに軽薄に同調せず、なるべく無心でいることだ。
モブキャラに人気が出る者って、大抵が中味のない軽薄な者なのだから。
中には、本当に立派なインフルエンサーもいないこともないが、そんな者達を軽薄に仕立てて利用することで儲けている者が今は多いのだ。
もし、軽薄な欲望や見栄をなるべく持たず、出来るだけ無の状態で、自分が本当に興味があることをやっていれば、自然にうまくいくだろう。
無になることは、このブログのメインテーマである。
器によるレベルは確かにあるが、人間は、無になりきれば不可能はなく、全て思い通りなのである。








いざという時のための必殺の裏技

不可能が一切なくなる、無になるための方法を1つ、見つけるべきである。
しかし、それは、多少時間がかかるかもしれない。
そこで、それとは別に、いつでも、最低限の引き寄せを行うための方法を1つ用意しておくと良い。
緊急事態を乗り越えたり、ちょっとした軌道修正に有効だが、何より、不安を解消するために、是非、持っておきたいものだ。

それは、一頃流行ったルーチン(ルーティン)と似ているし、同じ場合もある。
良いルーチンは、一瞬、無になり、一時的に宇宙の力を借りる。
その意味でなら、同じものである。
こんなふうにもたとえられる。
格闘技で、普段は、実力通りの試合をするが、いざという時の奥の手を持っている人がいる。
それさえやってしまえば、勝ってしまうというものだ。
たとえば、プロレス史上最強のルー・テーズの場合は、ダブル・リストロックという、腕固めの関節技がそれで、「この技に何百回も救われた」と言う。いざとなれば、相手の腕を折ってしまえる技だった。
昔は、プロレスの世界チャンピオンともなると、相手が裏切った時(筋書き通りに負けてくれない時)のために、危ない秘策を用意していたものらしい。
まあ、そんなものを、あなたも持っておくべきなのだ。
この世には、人間社会の掟を守らない者、徹底した利己主義者、自分が良ければ他人はどうなっても良いと思う者、そして、不測の事態というものがあるからね。

私はそういった技を、単に、「奥の手」「切り札」あるいは「いざという時の裏の必殺技」などという言い方をしているが、案外に忘れてしまうことが多い。
それは、平穏が続いているということであり、人間を磨く…あるいは、男や女を磨く上であまり良いことではない。

いくつか、やり方を書いておく。
倶胝(ぐてい)という、昔の中国のお坊さんは、会う人ごとにそれを教えようと、相談を受ける度に、人差し指を1本立てて見せたらしい。
つまり、人差し指を1本立てると、一瞬、無になり、わずかの間だが、潜在意識の力を発動させることが出来る。
他にも、息を止める方法があるが、緊急事態に、善霊が声をかけてくる時は「息を吸え」と言う場合が多いと思う。
実は、息を吸って止めないといけないのだが、「吸え」とだけ言えば、次の瞬間、勝手に息は止まる。
しかも、その場合は、気管を喉の筋肉で圧迫せずに息を止めるという良い止め方になる。そして、吐いて止めるのは駄目なのである。
だから、自分で「息を止めるために吸う」と覚えておくと良い。
応用もある。例えば、息を吸って止め、額に意識を置く(集中する)などだ。これだと、いっそう、無に近付くことが出来る。
「いざという時はぼーっとする」と言う人。あるいは、「ぼーっとして、胸に意識を持ってくる」と言う人もいる。
武術家の中には、自分より強い相手と戦っても、ぼーっとしたら勝ってしまうという者もいる。まあ、この場合は、普段の心構えも必要である。
世の中で、どこか余裕がありそうで魅力的な人というのは、そんな「まじない」的なものを必ず持っているので、聞いてみても良いと思う。
私の想念停止術は、説明がややこしいが、強力なので、うまく説明出来そうになったら教えよう。








腹の据え方

ある男が、岡田虎二郎に、金に窮していることを訴えた。
この偉人に、何か一言、言って欲しかったのだろう。
虎二郎は、こう答えたらしい。
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」

腹に力をつけるとは、どういう意味だろう?
岡田虎二郎は、「常に腹に力を込めよ」と教えていたが、それを、腹を引っ込めるとか、腹式呼吸をすることだと思う人が多い。
それはそれで間違いではないが、もちろん、根本的にはそうではない。
普通にだって、「腹をくくる」とか「腹を決める」と言うだろう。
あるいは、「腹を据(す)える」とも言う。
使い方としては、「腹を据えて取り組む」のように言う。
据えるとは、「しっかりと置く」「落ち着ける」という意味だ。
そして、虎二郎の言う「腹」とは、肉体の腹と言うよりは、心という意味だろう。
つまり、「腹に力がつく」とは、心が落ち着いていることで、一言で言うなら「不動心」だ。

ところで、肉体と心の関係は実に面白い。
まず、呼吸と心が似ている。
心が乱れている時は、呼吸も荒く、心が落ち着いていれば、呼吸も静かだ。
つまり、呼吸と心は同じところから出ており、呼吸を落ち着かせると、心も落ち着く。
よって、まずは、静かな呼吸をしなければならない。
静かというより、「微(かす)かな呼吸」を心掛けると良い。
まるで、誰かのすぐ近くに隠れていて、気付かれないよう、息を殺すようなものだ。

それだけでも、かなり力がつくが、十分ではない。
頭で考えると・・・つまり、意識を頭に置くと、思考が目まぐるしく起こり、落ち着かない。
胸で考えると、思考は起こらないが不安になる。
「胸の内に収めてくれ」とか言うだろう?
これは、「お前は、このことを知ってしまったが、考えないでくれ」という意味だ。
だが、「胸に一物」と言うように、胸に重いものがあると、苦しいし不安になる。
そこで、「腹に収める」のである。
胸はタンスの引き出しのようなもので実に狭い。
ところが、腹は宇宙の広さだ。途方もなく広くて、大問題と思っていることも、なきに等しい。
その広い腹に収めることを「腹を据える」と言うのである。

こう言うと難しく思うかもしれないが、難しいことは考えなくて良い。
単に腹式呼吸をすれば良い。
ただし、形式的にやるのではない。
「はい、吸って、吸ってー。はい、吐いて、吐いて」といったように、軽薄にやるのではないのだ。
背筋を伸ばし、「本気で」「気を込めて」腹に息を吸い込むのだ。
息を吸い込んだら、腹に力を込めて、しっかり止める。
腹の力だけで息を止めるのだ。
そして、しばらく経ったら、細く長く息を吐けば、想いは腹の宇宙が預かったままとなり、空気だけ出て行く。
この鍛錬をすると、腹に力がつくのである。








何もしない者が一番強い

どんな人間が「価値ある人間」だろうか?
美男美女はそうであることが分かる。
美しいものは、それだけで価値がある。
目の保養になるからね。
また、美男美女は、他に優れたところがあると、それがいっそう輝くし、逆に、欠点は目立ち難い。
一方、頭が良い人間は、その頭を使わないと価値がないし、筋力が強い人間も、その筋力を有益なことに使わないと、やはり価値はない。
心が美しい人間だって、その心によって美しいことをしないと価値がない。
よって、何もしなくても、存在するだけで価値がある美男美女は、特別な立場にあることが分かる。
それは明白でありながら、それが公式に認められることはない。
なぜ、それが公式に認められないのかというと、それを認めると差別になるからだ。
だから、学校では「可愛い子は得」という事実を全力で隠すのだが、あまりに明白な事実だ。学校が嘘臭いのは、そんなことばかりするからである。

しかし、我々が美男美女と同等、いや、そんな価値を超えた価値を有するという説もある。
それについて説明する。
心理カウンセラーの心屋仁之助さんが、「存在給」という概念を示したが、これは、存在するだけで得られる給料である。
普通の人は、自分の存在給はゼロだと思っているはずだ。
つまり、どれほど頭が良く、特別な知識や技能を持っていても、それを発揮してこそ・・・もっと正確に言えば、働いてこそ給料がもらえるのであり、何もせずに存在するだけでは、どんなに優秀でも1円ももらえない。
そして、それは美男美女ですらそうだ。美しさをうまく使えば、かなりお金を稼げる場合も多いが、何もしなければ、やはりお金を得られない。
だから、生活保障や年金をもらうと、後ろめたく感じる場合が多い。
しかし、心屋さんは、本来、誰でも存在給は高いのだという。
で、心屋さんは、どうすれば存在給が高くなるかを教えているのだが、簡単に言えば、「がんばらなければ存在給は上がる」のである。
これは突飛な話のように思えるが、超優秀な経営者である山田昭男さんは『稼ぎたければ働くな』という本を書き、実際、社員をなるべく働かせないようにしているし、アメリカの作家で事業家のチン・ニンチュウは、「がんばりすぎなければ成功する」と述べている。
「がんばらなければ」と「がんばりすぎなければ」の境は微妙な感じもするが、一般的観念である「がんばれば、がんばるほど稼げるし良い」は、一般人を奴隷化しようとする強欲な支配者の洗脳である。ただ、その洗脳は強力なので、「がんばらなければ成功する」「がんばらなければ存在給は上がる」ということを納得する人は滅多にいない。
だから、「がんばらなければ存在給が上がる」と言う心屋仁之助さんに、「怪しい人」のイメージを持っている人は多い。私もだ(笑)。
しかし、それは、「がんばらないと稼げない」という、支配者の洗脳のせいであり、上に述べたように、少なくとも「がんばりすぎなければ」稼げることを肯定する、まっとうな成功者もいる。

あなたも、支配者による洗脳が解ければ、存在給が上がる。
そのためには、何もしないという意味を理解すれば良い。
『猫の妙術』という、飛び切り優れた人達が愛読する本がある。短くて易しい、そして、多分、面白い本だ。
それを読めば、何もしない者が一番強いことが分かる。
この本では、猫がねずみを捕まえる能力を題材に、それが示される。
修行を積み、それで得た能力を発揮して、見事にねずみを捕らえる猫の価値は高く、給料も高いことだろう。
しかし、そんな優れた猫達が全く捕まえられなかった強いねずみを捕らえたのは、ただゆっくり、そのねずみに近付き、ただゆっくりそのねずみを咥えた古猫だった。
全くがんばらない者が圧倒的に強かったのだが、その古猫は、その原理を丁寧に語る。
ところが、その古猫すら、全く及ばない凄い猫がいる。
その凄い猫は、ねずみを捕らえることは全くしない。
ただ、居るだけでねずみがいなくなるのである。
その猫が無であるからだ。
見栄も面子もなく、物質欲も名誉欲もないのだろう。
そして、心は限りなく静かなのだろう。
いや、喜怒哀楽を示すこともあるに違いない。しかし、きっと、怒った一瞬後には機嫌が良いのである。
目指すべきは、そこかもしれない。








自分専用の天使に願う

引き寄せのテクニックなど勉強せず、無に近付けば良い。
と言うのは、瞬間なら、無になるのは誰でも出来るくらい簡単で、それだけで100万円くらいは入って来るからだ…多分(笑)。
瞬間、無になるには、いろんな国、いろんな時代で行われた方法を総合し、だいたい間違いのないやり方は、次のようになる。
まず、息を吸う。ほぼ一杯まで吸うが、実際は、限界の8割から9割程度の、苦しくないくらいにする。
そして、息を止める。
息を止めると言っても、喉の筋肉で気管を塞ぐやり方は、あまりに美しくなく愚かだ。
そうではなく、上げて広げた肋骨、横隔膜を、胸や腹の筋肉を使って固定することで、空気の流れを止めるのだ。
まあ、そんな言い方をしなくても、喉の気管を塞がずに空気の流れを止めるようにすれば、自然、そのようになる。
それで、十分に無に近付く。
これだけで、かなり、潜在意識との通路が開くが、せっかくの無を台無しにしないための、簡単な方法を教える。
上のように、息を止めたまま、心の中で、静かな、穏やかな、落ち着いた、確信に満ちた声で、例えば、コンテストで優勝したいなら、
「コンテストで優勝出来るかもしれない」
と言うのである。
なぜ「かもしれない」かと言うと、誰でも経験上分かることだ。
例えば、「きっと100点だ」と思うと、だいたい、ポカをして95点だったり、それどころか、80点だったりする。
だが、100点の予感がすれば100点なのだ。
つまり、人間が引き寄せるのは、確信のある予想なのだ。
逆に、「絶対50点だ」と思えば、案外、80点のことが多いが、50点と思えて仕方がない時は、やっぱり50点なのだ。
そして、息を止めて無に近付いた時に、上に書いたように、「静かな、穏やかな、落ち着いた、確信に満ちた」声で、「かもしれない」と言えば、それは、確信に満ちた予想になる。
「静かな、穏やかな、落ち着いた、確信に満ちた」と書いたが、実際は、「静かな」あるいは「穏やかな」だけ意識すると良い。
静かさが確信なのだから。
確信に満ちた予想こそが、潜在意識への明確なコマンドなのである。
主観的なことを言えば、それこそが、長谷敏司さんのSF小説『BEATLESS』で、恐ろしく知性の高い美少女アンドロイドであるレイシアに与えたコマンドなのである。
レイシアは言ったのだ。
「アラトさん。未来をデザインして下さい。私には、それを引き寄せる力があります」
未来の明確なデザイン・・・それは、確信に満ちた予想である。
あなたには、専用のレイシアが存在しているのである。
あの強力なレイシアが、あなたの願いを叶えるために、見えないところで強大な力を行使する。
それをイメージし易いよう、『BEATLESS』を読むことをお勧めするが、まあ、あくまで趣味に合えばである(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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