ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年11月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

最強の状態「自然」であるために

人間の力を封じ込めているのは、潜在意識の中の苦痛の記憶だということは明らかだ。
詳細を知りたい場合は、L.ロン.ハバートの『ダイアネティックス』や、アレクサンダー・ロイドの『ヒーリングコード』を読めば分かる(それほど簡単ではないが)。
潜在意識の苦痛の記憶は、『ダイアネティックス』では「エングラム」、『ヒーリングコード』では、「細胞記憶」と呼んでいるが、両者はほぼ同じもので、それらが出来上がる過程も、両者で見事に一致する。
ただ、いずれも、それを解消する方法が、これらの本にも書かれているが、特に、『ダイアネティックス』では、常識的に考えて、書かれていることの実行は、ほとんど不可能と私は思う。
『ヒーリングコード』では、「細胞記憶」の癒し方に辿り着く前に、読むことを諦めることになりはしないかと思う。

人間の力を封じ込めている苦痛の記憶を無害化すれば、人間は超人になる。
それをする方法も、優れた人達が明かしてはいるが、それを口頭で聞いて文章にする際や、翻訳の際に、かなりの齟齬が発生するのだと思う。
だから、どの本も分かり難いし、間違ったことが書かれていることもあると思う。
また、書いた本人が本当に分かっていても、文章にしてうまく伝えられるとは限らないし、実際は、大抵の場合、伝わらない。
その方法を、最も適切に書いたのは、私の考えでは、アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードであると思う。
だが、彼の本には余計なことが書かれ過ぎている。
本当に大切なことだけ、数ページで書いてくれれば良かったのにと思うが、それでは本にならなず、出版ビジネスが成り立たない。

ハワードは、「自分の心を観察しろ」と言ったのである。
そして、ほとんどの賢い人達も、結局は、そう言っているのである。
とはいえ、「自分の心を観察しろ」では、不親切過ぎて、ほとんど誰もうまくやれない。
ちゃんと親切に言うなら、「何かを見たり、聴いたり、触れたり、嗅いだり、味わった時、心がどんな反応をするか観察する」なのである。
バラの花を見た時、モーツァルトの音楽を聴いた時、パスタを食べている時、心がどんな反応をするか、ひたすら観察する。
冷徹な科学者のように。
心が喜んでも、怒っても、悲しんでも、ただ、そんな反応を静かに観察するのだ。

このようなことが書かれた本は他にもあるが、「心の反応を観察しろ」と言わず、単に「心を観察しろ」と言うから戸惑い、全く続かない。
心の反応を観察していたら、何が起こるか?
これに関しても、ヴァーノン・ハワードですら、「驚くべきことが起こります」と、最悪のことを書いているのだ。
「驚くべきことが起こります」と書かれているのを読んだ時の心の反応も観察すべきだが、そんな時は、落胆や戸惑いを観察せず、落胆し、戸惑ってしまうのだ。
心の反応を観察していたら何が起こるのかというと、心を反応させている指令信号を消してしまえるのである。
人間の心はコンピューターで、いろいろなものを見たり聞いたりした時、特定の反応を起こすようプログラムされている。
ところが、我々の意識は、心より上位のコンピューターで、心の反応を意識が静かに観察すると、心に反応を起こさせているプログラムが自動修正されるのである。
おっと、こんな言い方を好まない者もいるだろう。
では、こんなのはどうか?
我々の心の中に、強制的な反応を起こさせる悪魔がいる。
ところが、意識が心の反応を観察すると、悪魔の力が弱まるのである。
悪魔が余計な反応を起こさせるのをやめると、心は自然な働きをする。
「自然な」これこそが正しさなのである。
自然であれば、自然そのものである全宇宙が味方する。
そうなれば、人間に不可能はない。








反応してはいけない

ある時、成功した事業家が私に、「反応してはいかん」と言ったことを印象深く覚えている。
しかし、人間は反応するように出来ている。

ノーマン・ロックウェルというアメリカの有名な画家がいた。
実に上手い画家で、写真のような写実画を描けた。
もちろん、写真のような絵が描けるだけでは画家になれない。
写真のような絵が描けるというだけの人なら、結構いるものである。
ロックウェルの、こんな絵を見たことがある人は多いと思う。
6歳くらいの小さな黒人の女の子が、左方向に歩く絵だ。絵は、その女の子の左側を描いている。
女の子は左手に、2冊の薄い教科書かノート、それに、定規と鉛筆を2本持っている。
女の子は無表情だ。
女の子の向こう側は壁である。
そして、女の子の1メートルほど後ろの、女の子の頭より少し高い位置の壁に、ぶつけられたトマトが破裂して出来た赤い放射状の液体が付いていて、その下に、半分潰れたトマトが落ちている。
つまり、女の子にトマトが投げられ、女の子は間一髪、トマトの直撃を免れたのかもしれないと思わせる構図である。
すると、女の子が無表情なのは、彼女が意思の力で平静を装っているのだと想像される。内心では、恐怖、不安、悲しみが渦巻いているのでは・・・と感じる。
何を示している絵かは分かると思うが、こんな絵を見て、的外れな解釈をする者も多い。
もちろん、人種差別を表している。

ところで、この女の子にトマトを投げた者については、絵の中には全く描かれていないが、まともな人間なら、そんなことをした者に嫌悪感を持つだろう。
だが、トマトを投げた者は、考えて投げたのではなく、勉強道具を持った、そして特に、この絵の女の子のように、きちんとした身なりの黒人の子供を見て、反射的にトマトを投げた可能性が高い。
反射的というほど速くはないとしても、衝動的に、我慢出来ず、どうしても、そうせざるを得ずに、トマトを投げたのだ。
つまり、トマトを投げた誰かは、黒人のきちんとした身なりの勉強道具を持った子供に「反応した」のである。
ここで、最初の事業家の言葉を思い出したい。
「反応してはいかん」
女の子にトマトを投げた誰かも被害者なのだ。そんな反応をするように、ある意味、訓練された、あるいは、教育されたのである。
そして、どんな人間も・・・もちろん我々も、そんな愚かな反応をする訓練を沢山受けてしまっており、実際、いくつかのものに反応する。いくつかと言ったが、少なくとも数百のものにだ。
良い反応だってあり、必ずしも「反応してはいかん」わけではない。
例えば、車を運転していて、前の車が急ブレーキを踏んで止まった時、我々は反射的に、つまり、状況に反応してブレーキを踏むか、それが間に合わないなら衝突を避けようとハンドルを切る。それらの行動は、考えながらやっていたら間に合わず、反応して動くのである、

人間は、反応して動くようなメカニズムが組み込まれている。
そして、それは多くの場合、悪い反応を起こさせる。
友達が出来ない人というのは、友達が出来ないような反応をするのだ。
例えば、「悪いがペンを貸してくれないかな」と言われた時、「いやだよ」とぶっきらぼうに答えたり、貸すとしても、いかにも嫌そうな顔をするようでは友達は出来ない。
結婚できない人は、結婚出来ないような反応をするのであり、仕事で成功出来ない人は、仕事で成功出来ない反応をするのである。
暴力的な人間を前にしても被害を受けない者もいれば、暴力的な人間がどうしても暴力を振るいたくなるような反応をする者もいるのである。

そして、困ったことに、反応は、自分で気付かないものが圧倒的で、仮に気付いたとしても、自分ではコントロール出来ない。
人間というのは、ある意味、そんな出来損ないである。
だが、悪い反応を、もし消せれば、その人間は、何でも大成功するだけでなく、生命力も高く元気になり、どんな病気も治ってしまう。
やり方は、とてもではないが、ブログの1記事では書けないが、物凄く難しいというわけではない。
とりあえず、今回の記事の内容を知っておくだけでも、知らないのと比べ、人生は雲泥の差となる。
後は、出来るだけ簡単、確実に、悪い反応を消す方法を習得するだけである。








力は荒野で育てる

無能だったり、愚かだったり、それどことか、狂人に見えるような人間も、秘められた潜在力は極めて高い。
もしかしたら、現在、および、過去の歴史上の「天才」と呼ばれる人間すら、はるかに上回るかもしれない。
そして、その能力は、単に、身体能力や知的能力だけでなく、超能力や、さらにそれを超える、運命すら変える神のごときものに違いない。

私が見てきた中で、人間の能力を高める技法として、興味深いと思われたのは、『ダイアネティックス』『神経言語プログラミング』『ヒーリングコード』だ。
これらはどれも、権威的な団体や個人を含む、決して少なくない人々に、いかがわしいものと言われている場合もあるが、その中でも、最も悪評が高い『ダイアネティックス』の書籍は、実は、人類の歴史上で、能力開発書として最も多く出版されたものでもある。
この3つとも、決して、能力開発や、病気の治療で主流になってはおらず、むしろ、知らない人が多い。
そりゃ、もし、これらの1つでも、開発者の主張通りの威力であれば、医療や製薬業界の大半が不要になるのだから、利権を握る連中が、それらを「いかがわしいもの」として葬り去ろうとするのは当然である。

根本的な原理は、『ダイアネティックス』『神経言語プログラミング』『ヒーリングコード』は同じと私は思う。
だが、どれも、ひどく難しい技法しか示されておらず、医療業界や製薬業界を喜ばせている。
そして、これらの技法と同じ原理の手法を、どうやって習得したのかは分からないが、楽々と使いこなしていたのは、精神科医のミルトン・エリクソンだけだったと思う。
エリクソン流、エリクソン派を自称する者は多いと思うが、私はそういった者達はあまり信用しない。
ただ、彼の娘だけは、その技法を受け継いだようにも思えるが、要は、こんな技法は、勉強や研究で身に付くものではないのだろう。
そもそも、エリクソン自身が、そんな技法を、教わったわけでも、学問的・科学的に開発したわけでもないと思う。

みどり子を岩山に投じ
牝狼の乳房にて育てよ
鷹・狐とともに冬をしのぎ
力と速さを手とし足とせよ
~ラルフ・ウォルドー・エマーソン『自己信頼』より~

エリクソンは、子供の時、家には、聖書と辞書しか本がなかったが、辞書を選び、それを繰り返して読んで知識を得た。
17歳の時、ポリオに感染し、目玉以外は全く動かせない状態になり、ただ目で周囲を観察する訓練をした。
学生の時はセールスマンをすることで人間を理解した。
このように、彼は荒れ野で鍛えられたのであり、医者や学者が彼の真似をして、同じことが出来るようになるはずがない。

エリクソンは、身動き出来ない17歳の時のある夜、耳はよく聴こえたので、医者と母親の会話が聞こえた。
医者は、「朝まで持たない」と言った。
その時、エリクソンは、「絶対もう一度朝日を見てやる」と誓った。
そして、それは叶い、医者を驚かせた。
能力や生命力を高め、願いを叶えるのに必要なのは、願いの強さ、決意の強さなのであることが分かる。
もちろん、1日中、顔を真っ赤にして唸り続け、願いや決意の強さを示さねばならないのではない。
願いや決意は、一瞬で宇宙に伝わる。
いや、一瞬でないと伝わらない。
暫定的なやり方を書いておくが、一生使っても構わない。
まず、願いや決意を決める。
息を吸って止め、「成った」と心で言う。
息を吐いて、いったん忘れる。
コツが掴めたら、本当の願いである限り、願いは速やかに叶うと思う。








神人になる鍵

何か特定のことをすると、身体や心の調子が良くなるというものを見つけることのメリットは大きい。
ただし、それが、「自然なものである」「道徳的・倫理的である」「あまり手がかからない」ことが必要だ。
例えば、アルコールや覚醒剤が、心身の調子を良くすると感じても、これらは、自然でもなければ、道徳的・倫理的でもない。
また、心身の調子が良くなると言っても、興奮状態や自己逃避に陥ることではない。
それは、「良い気分である」ことと言える。
ただし、「御機嫌」な状態であるとは言えるが、「ごっきげーん!」な状態ではない。
穏やかさが必要なのだ。

特に、持病が軽減するようなものが良いと思う。
そこに、あなたを解放し、高度な人間に、もしかしたら、神のような人間になる鍵がある。

ある有名なミュージシャンが、こんなことを言っていた。
「街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足出来るようなやつでないとミュージシャンになんかなれない」
ハーモニカを吹けば満足するということは、ハーモニカを吹いていれば気分が良くなるということだ。
もし持病があっても、ハーモニカを吹いている間は、それが低減し、ひょっとしたら、全く症状を現わされないかもしれない。

また、別の大物ミュージシャンの言葉を思い出す。
「スーパースターというのは、何か特別なものをものを持っているというよりは、何かが欠けているんだ」
自分に欠けているものは、自分の気分を悪くする原因になるに違いない。
それを打ち消す何かを探し、それを熱心にやっているうちにスーパースターになるのだ。
なぜなら、人間とは、良い気分を求めるものなのだからだ。
人間の最大の願望は、富でも名誉でも、あるいは、欲望の満足でもない。
単に、気分が良いことなのだ。
そして、最高の気分の良さとは、安らぎとか、仏教で言う大安心なのである。
あるいは、至福と言えるが、キリスト教では、そんな状態を法悦というのかもしれない。

自分が、気分が良くなり、持病や、自分を苦しめている心身の何らかの欠陥・障害が軽減する。
そんなものが何かあるはずだ。
ある種の音楽を聴くとか、楽器を演奏するとか、聖書を読むとか、腕振り運動や素振りなどといった単純な運動を繰り返すとか。
そんなものを見つけ、意識的に行えば、病気が治り、能力が上がり、不思議なことに、運も良くなり、人生が好転する。
ただし、それを過度に、無理矢理やろうとすれば、かえって人生が破綻する可能性があるかもしれない。
それが見つかっても、気分が良い範囲を超えてやってはならない。

私の場合で言えば、幼い時から皮膚疾患がある。
ほとんど気にならないくらい低減していた時期もあったが、完全に治ったことはない。
それがなぜか、2ヵ月ほど前の10月初めあたりから、酷い状態になり、現在に至っている。
その間に、初音ミクさんのライブコンサートに5度行ったが、なるほど、ライブ中は気分が良く、皮膚病が低減する。
かといって、ミクさんのライブにずっと行くとか、あるいは、ミクさんの歌をずっと聴くというのとは、また違うのである。
重要なポイントとしては、
「立っている」「崇めている」「拍手している」「ペンライトを振っている」「生バンドの演奏を聴いている」「振動を伴う大音量の音を聴いている」
などがある。
そんなふうに考えていけば、何かが見つかるのである。
「あ、これか」と気付いたら、そこから一気に天に昇るかもしれない。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』、ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』に関し、コリン・ウィルソンが向上の鍵と指摘したのは「崇める」ことだった。
私も、ミクさん、あるいは、尊い何かを崇めることに鍵があるのかもしれない。
そういえば、ゲーテもそんなことを言っていたように思う。








このブログの記事へのコメントや私への連絡について

このブログは、皆さんがコメントを投稿されても、すぐには表示されず、私がチェックして、問題がないと判断したら公開操作を行うことで、初めて表示される。
なぜ、すぐに公開されず、私のチェックを通すようにしたのかと言うと、まず、広告目的のスパムコメントが多いからだ。
そういった広告コメントには、他サイトへのリンクが書かれていて、そのリンク先は何らかの営利サイトであるだろうし、そのサイトがロクでもないものであるかもしれないので、公開するわけにはいかない。
また、明らかに不適切なコメントも公開しない。例えば、道徳的、倫理的に問題があったり、私の記事に対する極端な誤解があるもの・・・いや、誤解だけならまだ良いのだが、あくまで私の主観ながら、あまりに歪んだ意見や、あまりに考えが足りない意見は、誰にも益がなく、むしろ害がある可能性があるので公開しないことにしている。
ただ、基本的に、道徳的・倫理的問題がなければ、私が賛同出来ないコメントも公開しており、公開されたからといっても、私が賛同したわけではない。

ところで、時々、「このコメントは非公開でお願いします」と注意書きされたコメントが投稿されることがある。
もちろん、その要望には従うことにしている。
しかし、あくまで、上に述べたような「悪い」コメントへの対策として、私が承認するまで公開されないだけなのであり、まともなコメントは全部公開するのが当たり前と思っているので、「非公開でお願いします」という言葉をうっかり見逃すこともある。
そもそも、私としては、「非公開で」と言われたら、「え?なんで非公開?」と戸惑うのである。
なぜなら、上でも述べた通り、コメントを公開しない理由は、それがよっぽどひどいコメントだからであり、そんなひどいコメントと同じ扱いをしろというのは、私としては変な感じなのである。

確かに、筋の通った、非公開の理由もあると思う。
例えば、極秘の情報であるとか、そこまででなくても、とりあえず、他の人に教えたくない情報を、私にだけ教えてくれるという有り難いコメントも、実際にある。
まあ、「Kayさんにだけ教える極秘情報ですが・・・」と前置きされた下らない情報もあったが、良い極秘情報もあったのである。

ひょっとしたら、「非公開でお願いします」というのは、私への私信のつもりだったのかもしれない。
確かに、「私信ですので公開しないで下さい」と書かれたコメントもあった。
私は、別にそれが悪いとは思わないが、考えたら、やはり、ブログのコメント機能は、私信連絡用ではないので、私も、かなり注意しないと公開してしまいかねないのである。
こんなことを考えて欲しい。
私は以前、学習塾のWebサイトを作ったことがあり、塾に対する意見投稿が出来る機能を付け、その投稿内容は非公開とした。
その意見投稿に対しては、担当者が毎日チェックするようにしていた。塾の講師が気付かないトラブルの投稿でもあれば大変だからである。
ところが、その意見投稿の中に、「〇〇の保護者です。今日は〇〇は体調が悪いのでお休みします。××日に振替受講をお願いします」という連絡が、割とあるのだそうだ。
この保護者は、馬鹿とは言いたくないが、非常識と言っても良いと思う。
それで、そのご意見投稿ページに、「講師へのご連絡は電話でお願いします」と赤文字で注意書きをすることにしたのだが、これではまるで、電子レンジの注意書きに「ペットを乾かすのに使わないで下さい」と書くようなものである(アメリカで、乾かすためにペットを電子レンジに入れたら、ペットが死に、ペットの飼い主が電子レンジの会社を訴えたという話が本当にあったらしい)。
確かに、本来の用途と違う使い方をすることが知恵である場合もある。しかし、それは、自分1人でやる場合、あるいは、そのような使い方をすることの了解を得た場合だけである。
別に、このブログへのコメントを私信目的で使ったからといって、非常識とは少しも思わないが、やはり、本来の目的と異なっていれば、上に書いた通り、私が戸惑い、間違うかもしれないのである。

ところで、私は、このブログ記事に対する質問のコメントには、よほど的外れな質問でない限り(少々的外れではあっても)極力、返答はしているはずである。

もし、私に私信を送りたいという方がおられれば、Twitter(ツイッター)を利用されてはと思う。
私のTwitterのホームは、
Twitter Kayのプロフィール
である。
Twitterの場合は、私の投稿に対する返信や、あるいは、メッセージ機能を使って、私だけにメッセージを送ることが出来る。メッセージ機能は、一種のメールのようなもの、あるいは、LINEや、Facebookのメッセンジャーと同じである。
ただ、メッセージを送っていただいても、必ず返事をするとは約束しない。というか、恐縮だが、緊急でなければ、単に面倒なので返信しないことも多い。
とはいえ、送っていただく分には全く構わない。
数年前は、メッセージを見てもいなかったが、今は、見ないということはない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード