ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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覚醒

かなり以前の『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメで、主人公の14歳の少年シンジが乗るエヴァ(エヴァンゲリオン)初号機(巨大ロボット)が「覚醒」する話があった。
エヴァ初号機の肩の装甲版が砕け散った時、赤城博士(女性。30歳)が、
「あれは装甲版ではないの。エヴァ初号機本来の力を封じ込める拘束具なのよ」
と言う。
つまり、なぜか、エヴァ初号機には、その性能を抑える拘束具が付けられ、弱くされていたのである。
そして、その拘束着が砕け、本来の力を取り戻したエヴァ初号機は恐ろしく強かった。

我々も同じで、拘束具を付けられ、本来の力を封じ込められている。
だが、我々に付けられた拘束具は精神的なものだ。
ところで、誰とは言わないが、YouTubeなどで、自分はいかにも覚醒した人間のように、この世の闇の支配者などの、なかなか面白い話をしている者がいるが、そんな者は、ちょっと隠れたことを知っているだけなのだ。
そんな者の中には、元々は「向こう側」(か、その周辺組織)の人間だった者もいて、「向こう側」に居た時に知った、政府のちょっとした秘密を得意げに話すこともあるが、その者には力は全然ないし、大したことは知らないのである。
元「向こう側」(か、その周辺組織)に居たとしても、所詮、小物に過ぎず、だからこそ、「向こう側」の連中も、その者を放置しており、その者が言う程度のことは、バラされても何ともない。
また、やはりYouTubeなどで、宇宙人の関係者みたいな振りをして、「ライトワーカーの皆さん、時は来ました」なんて言ってる者も、元「向こう側」(か、その周辺組織)の下っ端だった程度の者が知っている情報に脚色した話をしているのである。
おそらく、その元「向こう側」(か、その周辺組織)の下っ端だった者から、間接的に聞いた話が元で、全くの嘘ではないかもしれないが、極めて曖昧で、何より、その話し手にも、情報元にも何の力もないし、大したことは知らず、知恵もないので、予測力はない。

2011年に84歳で亡くなったサイババという、奇跡を起こす聖者がいたが、彼が自然死だったかどうかは分からない。
ただ、生前から、彼はメディアからは詐欺師のような者だと宣伝され、特に亡くなってからは、世間的には、そんな評価が定着しているし、そもそも、一般的にはすっかり忘れられている。
彼が、どのレベルだったかは分からないが、「向こう側」の妨害を散々、跳ね除けていたのだから、ただ者ではなかったと思う。
政木和三さんはテレビで、サイババについて、「あのくらいのことは、本来、誰でも出来る」と言われたように、政木さんはもっと上位だったかもしれないが、その政木さんも、ある時から、かき消すようにいなくなり、そして、亡くなられた。

まあ、結局、一般の人々が覚醒することが大切なので、YouTubeでいろいろ言っているのも役に立たない訳ではないかもしれないが、あまりにパワー不足だし、知恵もない。
で、結局のところ、神仏の名を唱えることだ。
真言は、あなたを護り、幸運に導くかもしれないが、最後は、神仏の名に優るものはない。
それと、そのことをどうこうしようと思わなくて良いが、自分が精神的拘束具を付けられていることは自覚した方が良い。
神仏の名を唱えていれば、それを壊してもらえるかもしれない。








真言でまともに考える

「医者によって言うことが全然違う」ということが、よくあると思う。
例えば、糖質制限について、
「糖質制限は徹底的にやればよろしい。ゼロでも良い」
と言うベストセラーの本を沢山書いている医者もいれば、
「極端な糖質制限は非常に危険」
と訴える医者もいる。
そして、こんな場合、これらの医者は、両者で話し合って解決せず、自分の考えを主張し続けるだけである。
こんな場合、どちらかが正しいかは、自ずと分かる。
まずは、自然に考えれば、「糖分は適切な量、摂れば良い」が正しいとしか思えない。
次に、人間的なことを考慮する。
すると、その主張で儲けている方が、大抵、嘘を言っていることが分かる。
そして、話し合いに応じない方が、確実に、嘘を言っている。
これらもまた、普通に考えれば分かることである。

では、新型コロナワクチンについてはどうか?
大抵の医者は、ワクチンを絶賛しないまでも、打つことを推奨する。
それは立場上、仕方がない。
しかし、ワクチンは危険だから打ってはならないと言う医者もいる。
この問題に関しても、両者が直接話し合うことはない。
よって、素人にはさっぱり分からないということになるが、実際は、これも普通に考えれば分かることだ。
まず、医者(あるいは医学研究者)としての実績があること、そして、損なことをしている方が大抵正しい。
そして、正しいことを言っている医者の話は、ちゃんと分かる。ただし、「分かり易過ぎる」ことはない。
一方、間違ったことを言っている医者の話は、「分かり易過ぎる」が「納得出来ない」。
間違ったことをする医者は、ちゃんとした説明をすることを嫌い、通り一遍のことしか言わない。
また、どんな世界でも、素人相手に専門用語を並べるような者は、嘘つきというより頭が悪い。
そんな頭が足りない専門家を相手にしてはならないが、聞く方も、最低限の知識は必要である。
「俺は知識ゼロだ。その俺に分かるように言え」と言うのもまた、馬鹿&傲慢である。

つまり、自分がまともな思考をすれば、分からないことなんて、そんなにはないのである。
だが、自分が偏見を持っていたり、洗脳されている場合は、間違った方を選んでしまうのである。
もちろん、全く偏見のない人間はいないかもしれないが、偏見が多いほど、騙されるし、間違うのは確かだ。

パソコンのセキュリティ問題も嘘が多い。
サポートが切れたWindows7やWindowsXpを使うのは凄く危険だと言われるが、実際のところ、7やXpをいまだ使っている人は多いが、セキュリティ被害に遭ったという話はほぼない。
むしろ、セキュリティ被害に遭った者は、数そのものが多いからだろうが、大抵、Windows10を使っている者だ。
結局は、OSの問題ではなく、使い方の問題で、正しく使うためには、さほどのITの知識は必要ない。
ただし、最低限の知識や理解は必要だし、正しい使い方が出来ない者が多いので、一応は、過剰なカバーをしてくれるWindows10と、専門メーカーのセキュリティソフトを使った方が無難である。
とはいえ、あまりに使い方が悪いと、何を使っても危険である。

正しい判断をするためには、文系バカでは駄目で、理系思考が必要だと言う者もいるが、そのように、誰かを見下している時点で、そう言っている者が間違っているのである。
理系、文系以前に、まともに考えることが出来ることが必要だし、そのためには、偏見がないこと、傲慢でないこと、その他にも、利己的でない、素直である、責任感があるなども必要なのだが、そんなに難しいことではない。
そもそも、理系、文系なんてものは、それほど明確でないというのが、まともな考え方である。

これらに関しても、真言を唱えると良い。
その原理に関しては、発明家で能力開発のスペシャリストだった中山正和さんがうまく説明してくれていたが、ごく簡単に言えば、良い真言のリズムが、正しく考える状態にしてくれることが多いのである。
例えば、中山正和さんは、般若心経をよく勧めておられた。
そして、脳が正しく考える状態になれば、運も良くなるし、超能力も発揮されるのである。
最高の真言は、神仏の名なのであるが、これらはレベルが高過ぎ、世間的な問題は超えてしまっているので、世間的な問題に関して、間違うというのではないが、「どうでもいい」になってしまうことが多い。
ただ、ワクチンのように、生命や尊厳に関わることでは、直観的にノーとなるし、実際は、細かいことに役立たないわけではない。
しかし、人間は、ある程度は人間らしい欠点もないと、いわゆる、人間味がなく、可愛くないかもしれない。
神仏の名を唱えると、そこらも、いい感じに落ち着く。
一方、呪文的真言は、あくまで傾向であるが、卓効優先であると感じる。
神仏の名にしろ、真言にしろ、長く唱えていると、良い状況に導かれ、必要な勉強なら進んで行うようになり、必要な経験に導かれると思う。








一番大切なもの

人間にとって一番大切なものは何だろう?
「もちろん命に決まっている」と言う者が多いと思うが、それが間違いとは言えない。
しかし、命より名誉を重んじる人もいれば、「いや、愛である」と言う者もいる。
まあ、「いや、一番大事なのはお金だ」と言うのは、なかなか共感や賛同を得られないかもしれないが、他人が否定出来ることではないかもしれない。
どの回答にも、明確な反論は不能で、議論を始めたらキリがない。
だが、一番大切なものは名誉や愛、あるいは、お金だと言う者は、極限まで行ったことがないのだ。つまり、それなりに恵まれていたはずだ。
それは、一番大切なものが命だと言う者でもそうである。
なぜなら、極限まで行けば、人間は割と容易く自分で命を絶ってしまえるからだ。

貧しく無知な女性であるサックバーイーは「一番大切なもの、それは神の名です」と断言し、それを聞いて震撼した偉大な聖者ナーマデーヴァは、サックバーイーの弟子になった。
本当に苦しい時、人は神に祈るとしても、何々を下さいとか、何々をして下さいなどとは言わないものだ。
せいぜいが、「ヘルプ!(助けて!)」と言うし、本当の極限状態では、それすら言わない。
ただ「神様!」と、普通は心で言うだろう。
純真無垢な12歳の少女だったサックバーイーが非道な家に嫁がされた時は、まさにそんな状況だったと思われる。
サックバーイーはパーンドゥランガ(クリシュナ神)を信仰していたので、パーンドゥランガの名を心で唱え続け、そして、救われたのである。
ナーマデーヴァは、神の名を唱えることの教義や、それに隠された原理を『聖なる名前の哲学』という短い手記にまとめた。
短いながら、それは偉大な聖典であり、一度読んで分かるようなものではないが、ナーマデーヴァ自身が神の名を唱えていたことが分かれば、同じことをすれば良いことはすぐに分かる。
仏教で言えば、仏の名を唱えることになる。
真言宗、浄土宗、浄土真宗の始祖とも言われる龍樹が、『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』の『易行品』で、「阿弥陀仏などの仏、菩薩の名を称せよ」と記しており、それが、後に念仏になったのである。
(ただし、龍樹はそれを『観無量寿経』や『阿弥陀経』など、『浄土三部経』を元にしたと考えられている)
従って、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることが、サックバーイーやナーマデーヴァの神の名を唱えることと同じだし、「阿弥陀仏」「阿弥陀」「阿弥陀様」と唱えても良い。
同じく、観世音菩薩を信仰するなら(あるいは単に好きなら)、「南無観世音菩薩」「観世音菩薩」「観音様」と唱えれば良いのである。
家の宗派が何であるかは関係ない。神仏の名は心で唱えるのであるから、どの仏の名を唱えているかは誰にも分からず、よって、問題が起こることもない。

親鸞の教えが書かれた『歎異抄』と併せて考えると、我々は神仏の名を唱えること以外、何もやることはない。
何もやる必要はないということに関しては、ナーマデーヴァを心から崇拝していたインドの聖者ラマナ・マハルシも同じことを述べている。
ただ、正確に言えば、マハルシの場合、実際に、我々は何もしていないのだと言う。
為されるべき行為は為されてしまい、起こるべき出来事は起こってしまう。
それを、自分がしている、自分がしなければならないと思うのは迷いである。
大人になれば、働かなくてはならないと言われる。
だが、マハルシは、「働く運命にあれば仕事は避けられないが、働く運命になければ、いくら仕事を探しても見つからない」と言う。
マハルシ自身、社会的な仕事に就いたことはないし、私も、会社勤めをしていた時でも、仕事をしたことはほとんどなかった。
何もしなくて良いが、敢えて言えば、神仏の名を唱えることだけはした方が良い。それも、出来るだけ多く。
そうすれば、全てはうまくいくだろう。








少女が奇跡を起こした方法

ラマナ・マハルシ(1879~1950)は、C.G.ユングも崇拝した世界的に知られるインドの聖者で、広大な彼のアシュラム(道場)は今もきれいに保管され、世界中から巡礼者が絶えない。
マハルシは「沈黙の聖者」と言われるほど、ほとんど会話をしなかったが、そのわずかな会話の内容が、今も日本でも、書籍として発行され続けている。
マハルシは、少年時代、学校で、黒板に書かれたことを一度見ただけで完全に暗記してしまえたという話があるが、その驚異的な記憶力のおかげで、自分で聖典を持っていなくても、一度見せてもらえば内容を覚えてしまったらしい。
そのマハルシが、14世紀の聖者ナーマデーヴァ(ナームデーヴ)が書いた『聖なる名前の哲学』という、4つの文から成る、日本語の翻訳なら730文字ほどの小冊子を発見すると、それを自ら書き写し、小さな書棚に置いて大切に保管し、度々朗読して聞かせたという。
この話からも、ナーマデーヴァがいかに優れた聖者であるかが分かる。
『聖なる名前の哲学』の全文は書籍『あるがままに』や『ラマナ・マハルシとの対話 第2巻』(共にナチュラルスピリット刊)に収められていて、私は、PDFおよび画像にしてスマートフォンに入れている。

サイババの『ナーマスマラナ』(サティヤ・サイ出版教会)によれば、上に述べたナーマデーヴァの教えは、神の名を唱えることであった。
ナーマデーヴァは、サックバーイーという、牛糞(燃料にされる)を作る一般労働者によって神の名を唱えることの重要性を知り、サックバーイーの弟子になったのだという。
サックバーイーは、パーンドゥランガという神を信仰し、その名を常に唱えていた。
パーンドゥランガは、クリシュナ神の別名のようだ。
サックバーイーは、純真無垢な少女であった12歳の時、酷い家に嫁がされ、そこで辛い日々を送っていたが、パーンドゥランガに祈り続けた・・・彼女の場合、パーンドゥランガの名を心で唱え続けたのだと思われる。
それで、サックバーイーは、家を抜け出してパーンドゥランガの聖地パンダルブルに行くことが出来、そこで直接パーンドゥランガに会ったという。
『ナーマスマラナ』の104ページによれば、パーンドゥランガ(クリシュナ)はサックバーイーの姿になって家事を行い、そのスキにサックバーイーは家を出たということだ。
『ナーマスマラナ』に、ナーマデーヴァに関する面白いエピソードがある。
彼が、兄のグニャーナデーヴァと森を歩いていた時のことだ。
喉が渇いた2人に、古井戸が目に入った。
覗いてみると、その井戸の底の方に少し水があった。しかし、桶のようなものはなかった。
すると、グニャーナデーヴァは、鳥に姿を変え、井戸の底に降りて水を飲むことが出来た。
だが、ナーマデーヴァは、
「私の神は私の中におわす。神のところに行かなくても、私には神がそばにおわすことを保証できる」
と言って、座って神の名を唱え始めた。
すると、井戸の水が上昇してきて、ナーマデーヴァは水を飲むことが出来た。
福音書のイエスの奇跡同様、このお話をそのまま受け取っても別に構わないが、なかなかそうもいかないかもしれないので解説すると、この場合の水は神を喩えたものだろう。
グニャーナデーヴァは自分が神のところに行ったが、ナーマデーヴァは、神の名を唱えることで、神を連れて来ることが出来たのである。
サイババは、ナーマデーヴァのようでないといけないと述べた。
ナーマスマラナとは、神の名を唱えることであるが、書籍『ナーマスマラナ』には、念仏はナーマスマラナそのものであると書かれている。
無論、あらゆる神仏の名を唱えることがそうであろう。
祈るとか、信仰するというのは、どういうことか分からない人も多いだろうが、『聖なる名前の哲学』を読めば、ナーマスマラナが最も優れた祈り、あるいは、信仰であると分かるのである。








言葉は神であった

ヨハネ福音書の冒頭の言葉「初めに言葉があった。言葉は神であった」に、どれほどの深い意味があるのかは、はっきり言って分からないが、人間にとって言葉が大切なものであることは確かだ。
それを示す、こんな話がある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中に、ある不思議な廟(びょう。神殿や寺院のようなものと思う)について書かれている。
この廟は五千年も前に建てられたものでありながら、建てられたばかりのようである。
驚くべきことに、この廟は、損傷したとしても、独りでに治ってしまうという。
この廟の中では、「生命、愛、平和、調和」という言葉しか使われず、これらの言葉が強力な力となって、そんな不思議な現象を起こしているのだと思われるが、その理屈は完全には分からない。
だが、この力の原理の詳細は分からないとしても、このことからも、良い言葉を使い、悪い言葉を決して使ってはならないことが強く感じられるのである。
たとえ、悪や愚か者に挑む時でも、悪い言葉を使うべきではない。
我々に悪い言葉を使わせ、力を削ぎ、穢れさせることもまた、悪の狙いなのであり、それに乗せられてはならない。

良い言葉を唱えることで、力や恵が与えられることが、『マスターの教え』に書かれている。
また、良い言葉を書いた紙にも力がある。
聖書の言葉を書いたカードには必ず大きな力があるので、そのようなカードを持ち歩いている成功したビジネスマンも少なくない。彼らは、このカードが自分の成功の秘訣であると言う。

また、意外と知られていないことは、偉人の名にも、その偉人の力の波動があるということだ。
例えばだが、大事業であれば、アンドリュー・カーネギーやヘンリー・フォード、科学技術であれば、二コラ・テスラといった、その道の偉大な人物の名に力があり、アメリカの自動車会社テスラのように、その名を社名にすることも少なくない。
だが、名をもらったからには、それに恥じない事業をしなければならず、その名を穢すようなことをすれば、すぐに事業は破綻すると思う。

そして、聖ナーム・デーヴ(ナーマ・デーヴァ)が教えたように、最も優れた名前は神の名である。神仏の名と言っても良いだろう。
それは、様々な聖典に書かれており、間違いのないことだと思う。
特にこのことについて書かれた聖典が、仏教の『浄土三部経』の特に『観無量寿経』であり、『法華経』の『観音経』だ。
「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」と唱えるのも、それらから来たのであるが、「阿弥陀仏」「阿弥陀様」「阿弥陀」「観世音菩薩」「観音様」と唱えても構わない。
また、神仏の名を書いた紙にも力があるので、自分で作っても良いと思う。
神仏の名を頻繁に、そして、丁寧に心で唱える者が駄目であることは考えられない。
たった、これだけのことをすれば良いのに、それをせずに不幸に苦しむ必要はないと思う。












プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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